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『あかり。』(第2部)#55 あ、代役・相米慎二監督の思い出譚

相米監督が映画に戻る。
それで代役が回ってきたことがある。きっと、無理すればできないことはなかったのだろうが「あいつに撮らせればいいだろう」とか思ってくれたのだろうし、周囲も映画に専念させたかったのもあるだろう。
しかし、それは結構なプレッシャーであった。
キャスト(吉川ひなの・鳥羽潤)やスタッフはそのままである。
企画のテイストや演出の方向もそのままである。
でも、相米監督の代わりを僕ができるわけはないし、結局、頑張って空回りして似て非なるものが出来上がっただけだった。

それは、とても悲しい現実だった。
その頃、自分の仕事でもそんなふうにして僕はあちこちで駄作を撮って回っていた。
監督のように俳優やスタッフを動かしたかったが、全然できなかった。
監督の偽物のようなCMが出来上がるたび、僕は内心ため息をついた。

監督の磁場は強いので、影響を受けた人間は必ず、そこに捕まってしまう。
それに早く気づいて、自分は自分と割り切れる者だけが、その磁場から逃れられる。しかし、僕に限らずとも、それがなかなかうまくいかないようだ。
まあ、そんなわけで、僕は少々自分にがっかりしていた。

監督が、映画『あ、春』を都内で撮影しているので陣中見舞いに行った。
その日はポカポカと暖かくて、撮影の準備は順調に進んでいた。
僕が行くと、監督はあまり表情を変えずに頷いた。
「どうですか?」
「全然や」
そのうち、リハーサルが始まった。山崎努さんや子役、他、家族が揃っていたシーンだった。何度かリハーサルして、回そうとなった。
案外、早いペースだ。
僕は後ろの方で、熊谷さんが照明の準備を段取りよく進める様子を興味深く見ていた。長沼さんがレールを敷きカメラワークを作り始めた。
スタイリストが豆まきの鬼のお面を作りに走っていた。それぞれが、リハーサルを見てアイデアを考えシーンを作り上げようとしている。
そこに僕がいる場所はない。
監督が年端もいかない子役に熱心に言葉を投げかけている。それを聞いていた山崎さんが子役に芝居で働きかける。
しかし、監督の様子はなんとなく熱量が低かった、ように見えた。

昼飯になったので、僕は失礼してどこかに行こうとしたら
「どこ行くのよ。食ってけよ」と監督が言った。
「いえ、悪いですから」
「そんなことないよ。〇〇、ムラモトくんにあげて」
僕は気後れした。僕が弁当をもらったら、誰かが一つ足りなくて食べれなくなる。
それを見透かされたのか「大丈夫です、予備ありますから」と制作部がお茶と弁当を渡してくれた。(今でもやさしい嘘だと思っている)
監督と僕は、ロケ地の庭の端で並んで二人で弁当を食べた。
「順調ですか?」
「まあまあや」
「回すの早いですね」
「みんな大人だからな。(芝居)できんの早いんだ」
佐藤浩市さんも斉藤由貴さんも大人の俳優になっていた。もう、かつてのしごきぬいた若手ではない。
「いいじゃないですか」
監督が苦笑いしている。
「これからは、早い・安い・上手い、でいくんだ」
「え?」
すると、後ろから監督のマネージャーであり、今回はプロデューサーも兼ねているT女史が現れ
「そうですよ。監督はこれから生まれ変わるんですから」
と言った。
思わず監督も僕も笑った。
「なんだそれは」と言いながら「よし、これからはそうしよう!早い・安い・上手いだ」と立ち上がった。
弁当はほとんど手付かずだった。

ああ、祭りは終わったのかもしれないな・・・その時、なぜかそんなふうに思った。

映画は完成し、こじんまりとしながらも仕上がりは上質で、無理なワンシーン・ワンカットもなく、いい映画だった。
公開されると、動員はわからないけれど、批評家筋の評判も良く、賞も受賞した。

でも、監督。
これは僕の見たかった相米映画じゃないんです。

酔ったふりして、いつか言いたかったけど、その機会はついぞなかった。

いま、改めて見直すと『あ、春』は、監督にとっては中休みのような作品だ。
その前に、いくつもの企画が流れたりして、長らくCMでお茶を濁していた監督が、腰をあげた拍子に撮った映画のような感じだ。
それでも、このクオリティになるのだから、すごいのだけど。

監督が全力投球した作品ではなかった。打たせて取るピッチングで、9回を最小失点で勝ち投手になったベテランピッチャーのような作品だった。

監督は本当に変容するのだろうか……。



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