見出し画像

『あかり。』 (第2部) #43 渚でスピッツ・相米慎二監督の思い出譚

帰京すると、早く編集したかった。
先行仕上げしたんじゃなかったかな。どうだったんだろう。
その頃、編集するのが楽しくて仕方なかったのだ。自分で撮ったものより、監督が撮ったもののほうが楽しかった。

北海道から帰ってきて、オフライン編集(本編集に入るまでの予備編集で、この段階で尺や使用カットを決める)は、やらせてもらったんじゃなかったか。

僕は、早めにシリーズの方向性というか、芝居のテンポや、編集のリズムを掴んでおきたかった。そのほうが、この後、撮影する2カップルのコンテや現場での対応ができると踏んでいた。ただ、この辺りの進行は記憶が曖昧だ。


基本、CMは15秒なり30秒なりの間、音楽が流れている。
セリフがある芝居ものは、そのバランス(SEも加わる)を取るのがふつうだ。ナレーションもある。その要素が短い時間に混在する。
監督は、音のバランス(構成要素にも)に異常にこだわる。多分、すごく敏感な耳を持っているのだ。だから、あらゆる音を聞き逃さない。


これは監督の映画の時でも有名だが、ダビングにふつう以上に時間とこだわりを見せるので、音のスタッフは燃え、なんていうか芝居と映像と音が、それぞれ単独の時より、ずっと豊かな表情を見せるのだ。
そして、見るもの(=聞くもの)にざらついた印象を残す。


監督はいつもミキサー担当氏に「遊んでみ」と言っていた。そして、次に言うセリフは「もっと遊んでみ」だった。

SE(効果音)が跳ね、セリフが溢れる。音楽が世界観を作る。そんなプロセスを スタジオのJBLのスピーカーで聞いていると、映像と音が混然となり、豊かな15秒が時間をかけて出来上がる。

監督は、後ろのソファに寝転んで「遊んでみ」を繰り返していただけである。

やれやれ。そんなことがあっていいのだろうか。僕らはふつうもっと一生懸命ダビングしているのに。音の作りがまるで違う。ちなみに、ミキサー担当氏や効果音担当氏とは自分の仕事で何度も組んでいたのだ。

じゃあ、僕の時はどうなんだよと、ちょっとスタッフに文句も言いたくなるが、それが『監督の器の違い』と言うものなのだろう。僕は「いいすね」などと笑いながら、同時に絶望もしていた。嫉妬など小さい、小さい。もっと、その先の感情です。


さて、今回のCMシリーズの音楽は、当時の人気ポップス・バンドの『スピッツ』が書いた『渚』という曲だった。あの頃(というか80年代以降)CMのタイアップがつけば、ある程度曲が売れた。今よりずっとCMの効果があったのだ。そのタイアップを広告代理店が取りつけていた。
曲が売れればCMの認知も上がるので、双方メリットがあった。

で、スピッツ。僕は正直、それほど好みではなかった。繊細なボーカルの声質が苦手だった。
ただメロディはキャッチーで、華やかで、湿り気もあった。それに、なんとなく都会的だし。
きっと、このシリーズには相性がいいんだろうな……と事前にずっとCDを聴き込んでいた。

アーティストが自分の好みであろうがなかろうが、編集に合わせることが僕らの仕事である。そもそも、自分の好みなんて広告キャンペーン全体からすれば小さなことで、そのCMに最大の効果があればいい。

それに何度も繰り返しスピッツを聞いていたら、だんだん悪くないような気になるから不思議だった。大衆性を得ているものには何かしら理由があるものだ。

編集してみると、フィルムの中の吉川ひなのは、なんだか自由で輝いていた。10代だけが持つきらめきがあった。
「ああ、アイドルを撮るってこういうことなんだなあ…」と感心したことを覚えている。

MさんのカメラもKさんのライティングも、眼差しがやさしかった。でも、監督の眼差しが一番やさしかった。

みんな、大人だった。


編集を広告代理店に見てもらい、ある程度完成に向けての感じをお互い握っておく。
なにしろE社の看板の仕事、階段を一段ずつ上がるようにして作業は進んだ。
グリコ・ポッキーのシリーズは、まとめて撮影し、まとめて仕上げるそうで、そうやって一年分を撮りためるのである。


次は安藤政信・奥菜恵のカップルだ。この二人も、相米監督の演出を受けるのを楽しみにしていてくれた。その段階で、監督の勝ちは決まっていた。

撮影に勝敗という例えは変かもしれないけど、僕にはそう思えた。

ただ、我々の敵は別にいた。

海であり、波であった。そして、めんどくさい漁師……。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?