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『あかり。』(第2部)#50 ネパールはやはり遠かった・相米慎二監督の思い出譚

原作のエッセイを読み込んだ。
ネパール編の『地球の歩き方』を買い、何となく彼の地の情報を得る。美味いものは何か? それも探す。やはりカレーか? チベットよりはマシな食べ物にありつけそうだ。
インド料理と大きくは違わないだろう、とアタリをつけた。
考えてみると、意識してネパール料理を食べたことがない。

その頃、赤坂あたりではインド料理のカレーのテイクアウトが流行っていて、よく出前で編集スタジオで食べたものだ。
とても美味しい。続くとつらそうだったけど、基本美味いのはありがたい。
本場で食べれば、もっと美味いはずだ。(インド料理と同じならだけど)

今度の旅は二人だけだったから、スーツケースはやめて、大きなリュックにしようと決めた。(途中で作者が合流する計画もあったような記憶もある)
ネパール行きの話を聞いた広尾のE社の旅好きの制作部が、「僕のリュックを貸しますよ」と言ってくれたので、ありがたく借りることにした。

僕はCMの仕事に戻り、一方で個人的に準備を始めた。
まずは、相米監督がどんな映画にしたいかだが、そんなことを聞いても話してくれる人じゃないので、勝手に想像するしかない。

エッセイは一人旅の一人称で書かれている(まあ、エッセイなんだから当たり前だ)。では、監督がこの本の何に惹かれて、何を映画にしようとしているのかを考えるしかない。

監督は、日本を離れて、日本的な映画にしたくないんじゃないかと思った。
ネパールの風景は雄大で険しい。
そして人が、多い。人の多さなら日本だって相当多いが、なんていうか日本は人の匂いは希薄な国だ。オウム事件と神戸の震災の後で、バブルの終焉ははっきりと告げられたばかりの時期だった。

監督の過去作には、人間臭さがなくなり無臭になっていく日本人に抗うような人間力のある登場人物や……ある種の生きるための逞しさを身につけていく少年・少女が主人公のものが多い。

このネパールを目指した女性は、自分の足で何に辿り着いたのだろう? そしてそれは今を生きる若者に何を訴えかけるのだろう。

僕は、監督の真意を計りかねたまま、東京の片隅で打ち合わせをしたり、コンテを書いたりしてあくせくと働いていた。


長野のロケ先は、美しい自然を残した国立公園の一角だった。そこの奥にある小さなせせらぎで僕たちは撮影することにした。
撮影現場までの歩きにくい道に、機材を運ぶため、コンパネで(簡易的な)道を美術部が作っていた。
何だか、自然破壊もいいところで、そこで粛々と行われる準備を見ながら、少し(自然に対して)申し訳ない気持ちでいた。
しかし、これがCM撮影だ。

キャストは原田知世さんで、数年ぶりの再会だった。
相変わらず透明感のある人で、いくつになっても変化がない。
この人も角川映画でデビューしたんだよな……『時をかける少女』だっけ。
そういえば大学の同級生に尾道出身の男がいて、大学に入る前に、現場で制作進行のアルバイトをしたことを自慢していた。それを僕らは羨ましく聞いていたのだ。今や、そんなバイトがどれほどきついか知っているので、羨ましいというよりご苦労様……と思うけど、何もわからない夢見る若者にしてみれば、プロの現場に参加できるなんて、それだけで御伽噺ようなものだったんだろう。

僕が監督についてネパールをまた目指すのも、同じようなものかもしれない。ただ少し歳を重ねただけで、御伽噺に浮かれていただけのことかもしれない。

川のせせらぎに照明機材が置かれていく。光を回して撮るのが好きなカメラマンは、大きな木枠を両岸に渡して、ほぼ囲ってしまい、アングルに入るところ以外はトレッシングペーパーで覆われている。そこだけ見ると何のためにこんな遠くまでロケに来たのかわからなくなる。

ネパールへの出発まで、あと三週間を切っていた。帰京したら、このCMを仕上げて、そのまま飛行機搭乗のスケジュールだ。

その夜、宿に戻ってぼんやりしていると、監督のマネージャーのT女史から電話が入った。
「ムラモト君、あのね、悪いんだけど……ネパール行くのやめるって言ってるのよ、相米さん」
「え? なんでですか?」
僕は突然のことに驚いた。僕がロケに出る前に話した時には、そんな話出ていなかったのだ。
「ごめんね。せっかくスケジュール色々調整してくれたのに。撮影でしょ?帰ってきたら相米さんから話あると思うから」
「ああ、はい……」
「撮影頑張ってね」
僕は電話を切って呆然とした。いったい何があったのだろう? どうして急に、シナハン(=シナリオハンティング)をやめるのだろう。もう、あの話は映画にしないということか?

僕は釈然としないまま、とにかく監督の真意を聞きたくて仕方なかった。

では、東京に戻って、その真意を聞けたかといえば、結局なにも聞けなかった。

監督とは会ったけど、「悪かったな」とひとこと言われて、逆に冗談めかして「せっかくスケジュール空けたのに、ひどいですよー」とかなんとか言って、笑い話風にしかできなかった。

『私に会うまでの1600キロ』『イントゥ・ザ・ワイルド』他にもたくさんあるだろうけど、ひとりでスクリーンにかかるロードムービーを見かけると、相米慎二監督の撮らなかったロードムービーを想う。

日本を飛び出して、アジアの辺境の地で、雄大で過酷な自然と闘う相米監督と主人公の姿を想像する。

貧弱で弱かった主人公たちが、旅を通して鍛えられ、人間的なタフさを一つずつ身につけていく物語を想像する。

うまくすれば、僕もそこにいて、主人公たちと同じように映画に鍛えられ、今よりずっとマシな人間になれたのかもしれない。



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