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『あかり。』 第2部 #42 ジンギスカンと坂道・相米慎二監督の思い出譚

『E社のエンゲル係数は日本で一番高い』という都市伝説は、CM業界で有名であったが、本当にそうだった。
とにかく、食事を大切にする。それは末端の制作部の若手まで浸透している半ば社訓のようなものだ。

もちろん、それはスタッフ一同、大いに歓迎する社風です。

函館ロケで驚いたのは、広告代理店・キャスト・メインスタッフ・技術スタッフ各班が、それぞれ乗り合わせる車両は違うのだが、夕飯に行く店を巡回することだった。
だから、監督が今日行った店に、明日は照明部の若手が行く、その翌日はそこにキャストが行く…というふうに、数日かけて、全員が同じものを食べるわけだ。地方の旨いものを出す店に、いっぺんにスタッフ全員が入れないし、別れて行くことで店も潤う。スタッフも士気が上がる。そしてこれが、どこのお店も旨いのだ。
さらに、宿のそばに食事後にみんなが集える飲み屋も決まっていた。
なんという段取りの良さ……心配り。現地のロケコーディネーターとの連携が素晴らしい。
僕は感嘆し、感激していた。
会社を辞めてもいいことはある。

今は広告界に、そんな余裕はないのかもしれないが、その頃はまだそんなのんびりとした気分が残っていた。
たらふく食って、翌日頑張る。そんなシンプルなことが。

その昔、洗剤のCMで有名になった坂で、僕たちは撮影した。坂の撮影はほんと辛い。エキストラの配置も動きも、カメラの動きも、全て脚に負担がかかる。しかし、昨夜も美味いジンギスカンを食べさせてもらっているので、みんなしっかり働く。士気が自然と上がっている。こういうのもプロデューサー陣の目に見えない力だ。


遠くに函館の海が見えた。
その手前の道に、路面電車が走る。路面電車はどこもそうだが、広告車両が多くなり、路面電車でイメージする旧式デザインのものが少ない。それを無理言って走らせてもらうわけだが、芝居のタイミングと走る電車を合わせるのに苦労した。(時刻表はさすがに変えられない)
ロケコーディネーターのKさんと無線をやり取りしながらの撮影だった。監督のつける芝居と電車が、奇跡的に合うまで何度も繰り返して撮影した。

東京で撮るのとは違って、多少の無理が効いたり(多少ではないかも)気持ちにゆとりが出るのが地方ロケのいいところだ。

監督は、いつもの調子で、吉川ひなのに演出していた。今回は通称『食べカット』と呼ばれるポッキーを齧るタイミングもあるのだが、監督はあまりそういうCM的な見え方は気にしないので、こちらでちゃんとする。制作部はキンキンに冷やしたポッキーを山ほどクーラーボックスに準備している。
商品をきちんと撮るからCMになるわけで、芝居さえ撮れればいいわけじゃない。
そこは監督も理解していて、食べカットも真面目に取り組んでいた。

吉川ひなのを石垣に登らせたり、鳥羽くんに彼女を肩車させたり。過剰な演出というか、あるものはなんでも使うというか、ロケ場所で生かせるものを見つけて役者に無理な体勢で芝居させるのは、予定調和を嫌う監督らしかった。とにかく肉体を躍動させることを好んだ。

晴れていて、気持ちのいいロケ日和であった。

その回の撮影で、印象に残っているカット(シーン)がある。このカットはシリーズ全体のティーザー広告に使われた。(CMの表紙みたいなもので、全キャストがオムニバスで出演する)
一目惚れした彼にまとまりつく彼女。時に鬱陶しく思う彼は、振り向きざまに低い街路樹を叩く。そうすると繁った葉っぱから水飛沫が舞い散り、彼女は小さな悲鳴をあげる。彼は嘲笑い、そのまま行こうとするのを彼女が再び追いかける。そんなシーンだ。(ひなのちゃんのキャラクターは監督の演出なのか、ひなのちゃん自身の選択なのか甘ったるいストーカー気質になっていった。)
そこには日常の中にふと顔を出す暴力性があった。10代の鬱屈と自分を持て余している感情が垣間見えた。
編集では、その一瞬を使うので、あまりどぎつくはないのだけど、シーン全体で見ると、なんともざらつきのある芝居だった。
それも、その場で起きたこと(監督が起こさせたこと)である。

CMだと、起きることをすべてあらかじめ決めて撮影することがほとんどだ。
予定調和こそCMがCMである由縁である。

それを壊そうとする監督の演出を広告代理店の人たちは、むしろ歓迎していた。そういうゆとりがある人たちだった。

広告代理店といえば、チームの中に東大出身の新人プランナーのNさんがいた。監督は会うなりいきなり彼を呼び捨てにし、パシリのように使っていた。
(普通はしない)
制作会社やスタッフにとって、広告代理店のクリエイティブチームは上位に位置する存在で、たまに敵対する関係にすらなる。めんどくさいことは彼らから指示される。同じことを何度もやらされるのも彼らの都合だ。まあ、彼らにも彼らの立場がある。
しかし、監督は、そういうことをわかった上で、Nさんをからかい、
「それでいいのかお前は」
とこちら側になんなく引き入れて、手中に納めていた。
Nさんも少し嬉しそうにセリフを書いたり、モニターを覗き込んだりして、すんなりチームに溶け込んでいた。
誰を、どう扱うと、物事が円滑に進むのかをパッと掴むのが相変わらずうまかった。その人の上司にしたって、相米監督が新人の部下を可愛がっている様子を見て、嬉しくないわけがない。

今やNさんは、大阪の最大手広告代理店のトッププランナーの一人である。

僕たちは函館の街のあちらこちらで、朝から暗くなるまで撮影し、旨い飯をたらふく食らい、大いにロケを堪能していた。

毎日、すごく楽しくて大変だった。



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