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『あかり。』第2部#69 三馬鹿・相米慎二監督の思い出譚

監督にとって大切だったのは、俳優やスタッフと真摯に向き合うことだけであって、他のことは結構いい加減だった。

監督を見ていると、『演出すること=仕事』というより『=生き方』に思えた。
考えてみると、アイドルたちが右往左往する恋愛ドラマみたいなものに、なんであんなにエネルギーを掛けたのだろう。
それはCMのほうも同じだった。
どっちだっていいじゃないか……と考えてしまえばそれまでのことに、なぜか一生懸命なのだ。
いわゆるわかりやすい一生懸命さとはまた違うのだけど、演技すること・させることについては、まったく妥協のない人だった。

演ずるわけだから、その人そのものではない。役の上のことである。それなのに、そこに人生の真理をのせようとするみたいに、真面目に向き合うのだ。たぶん、その真面目さに役者もスタッフも引き寄せられ、乗せられ、時には誤解しつつも全力でやっていたりする。

しかし、その上級な腕前(=人間性)に新人が憧れたところで、うまくいくはずもないのはわかっていた。
監督に気に入られたい、褒められたい、と関わる人すべてが思っている。
そんなふうにできるわけがない。

監督は始終楽し気に見えた。僕たち3人の新人監督が、悩み、考え、悪戦苦闘する姿をおかしそうに笑っていた。

「監督なんて、考えている時間の長さだからな」

これでいいか……と区切るのではなく、永遠に、これでいいのか……と問いかける時間。
しかし、それはなかなかの苦行でもあった。

役者もスタッフも相米監督にどう思われるか、どう見えているかを(内心)気にしている中で、物事を進めたり決めていくのって、ときどき投げ出したくなる無力感に襲われたものだ。
それでも、いただいた機会を無駄にはできない。向き合わなくてはいけない。

もう一つ問題だったのは、他の二人の監督との意見調整だった。共通のキャスト(脇役)もいたし、ロケ場所や話の整合性もある。
二人は、初監督で、この作品をものにしようと僕なんかより意欲が旺盛だった。
本当にバラバラの意見をまとめるのが大変だった。
オープニングとエンディングは僕が撮るように言われ、さらに負担が増えていた。
「全然、まとまらないんですよ……」
僕が愚痴ると、監督はとにかく嬉しそうだった。
「オレもディレカン(=消滅した伝説の会社・ディレクターズカンパニーのこと)のときは、そういう役割だったんだから、ムラモトくんもしっかりやりなさいよ」
そう言われてしまうと、返す言葉がない。

当たり前だが、スタッフやキャストが同じだからといっても、映画(みたいなもの)とCMではまったく違う。
どこが違うかと言えばすべてが違う。
陸上競技で例えると、100m走とマラソンくらい違うのだ。
今回は30分✖︎3本だから、10kmマラソンくらいか。それとも1万メートル走か。
まあ、いずれにしても違う競技である。

それは肉体や精神の使い方にも及ぶし、まあなんやかやあるのだ。
監督は、それを僕に味合わせたかったのだと思う。

今思えば、ありがたい話だ。

「監督したことあるのはムラモトくんだけなんだからさ、ちゃんとリーダーシップ取らないとダメじゃないか」

他の二人に「あいつのいうことを聞け」とは監督は決して言わない。
僕にこう言うだけだ。

中身だけでなく、振る舞いも含めて、いろいろ教えてくれていたのだと思うけど、当時は胃が痛くなる思いだった。

監督だけ変わって、スタッフは共通だ。
僕はスケジュール的に三番目に撮ることになっていた。
実際、そのときには、スタッフは疲弊し、これはかなり損をしたなあ……と、そのときは正直思ったけど、今となっては微笑ましい思い出だ。

一緒にモノづくりしながら、あれこれなんでも相談できて、答えは与えられず、考えることを強いられ、考えた上で話すと「まあ、そうだよな」とかなんとか笑ってくれて。
そんな時間は、本当にかけがいのないものなのだ。




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