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『あかり。』 #22 なぜ一緒に行くと監督の馬券ばかり当たるの? 相米慎二監督の思い出譚

相米監督が現れるときは、よれた格好に下駄履き、というのは定番であったが、たいていの場合、その片手には競馬新聞がある。基本、我々が仕事をしているときはソファに寝そべって熱心に競馬新聞を読み込んでいる。ふつうの新聞を持っているのを見たことがない。

大きなレースがあれば、誰かが馬券を買いに行かされる。それもよくあった。
そのうちみんなで競馬場に行こうと言い出した。よく出かけたのは府中競馬場だ。早いうちから出かけ、一日中馬券を買う。『見』もするが、基本はレースに参加するのだ。

その頃、僕は別の作品で競馬好きなプロデューサーと仕事をさせてもらっていたので、こっそり競馬をやっていた。たとえば錦糸町の場外馬券場に一人で出かけ、あまたのギャンブラーたちに混じって熱くなるような真似だ。
僕はメインレースの単勝一点買いが好きだった。馬を何頭も追いかけるのが苦手で、いろいろ試したんだけど、複数の馬券を買うとなんだか意気地なしみたいな気がしてしまう。それでシンプルに一点買い。そういうところは何事においても今だ直らない。

件のプロデューサーによれば、あるいは寺山修司によれば、競馬はロマンだそうだが、僕にとっては、身を持ち崩す気分を味わうもので、本気で競馬にのめり込むわけではない。それでも、なけなしの金で単勝一万円一点買いなんかしてみると、うっかり熱くなる。本命に賭けても面白くないからちょっとだけ外して買うのもいけない。

しかし、監督と行く競馬は、そういう乱暴な一点買いとは違って、その日の流れを読んだり、多少、取りに行くというか、手持ちを増やそうとする欲が絡んでくるタイプであった。
監督が競馬をする理由は聞いたことがないが、基本的に博打好きな人であった。人生そのものも博打的な風情がある人だったからかもしれない。
監督はひよることを好まず、かといって、ひよった人を責めず…いや、こっそり責めていたかもしれないが、なんか赦そうとはしていた。

今、これを書いていて、近くで雷が鳴っている。時折り窓が青く光る。
監督の映画で突然雨が強く降り出したりするいくつかの映画のことをふと思い出す。何度もやるからスタッフはえらく大変だったろう。
『台風クラブ』を撮った夏が雨が少なくて苦労したんだ、と美術の池谷さんが笑っていたのを思い出す。そんなエピソードを僕はあとからあとからいろんな人たちから聞いたのだ。

競馬場で雨上がりだと、馬場が重くなり、番狂わせが起きやすいそうだ。番狂わせこそ、監督が好きなタイプのレースだ。ほら、雨が降り出した…。
きっと荒れるぞ。嬉しそうに監督は言う。そんなこと言われても先の読めない僕には雨のレース展開なんてわからない。予想がつかないことを予想するのが好きで、それが当たるとすごく嬉しそうだった。

予定調和をなにごとも嫌うのが、監督のスタイルだった。

それから、不思議なことに、監督とギャンブルに行くと、必ず同行者は負ける。競馬であろうと、パチンコであろうと、麻雀であろうと。
監督が圧倒的に大穴でも当てて大金を手にすることもないのだが、ちょっとしたレースを当てて「来たわ」とか、小さくつぶやく。
「え? マジですか」
「おお」
「金に換えてくるわ」とそそくさと払い戻しに行くのだ。で、それを元手にまた賭ける。レースがすべて終わると、監督の手元にはまあまあの飲み代くらいは残っていて、オケラになった連中に、もつ焼きなどを奢ってくれるのだ。(絶対にいくら勝ったとかは言わない!)

そんなことが楽しかった。

今は、僕は競馬新聞も東スポも買わなくなって、短い赤鉛筆もどこかにいってしまった。競馬は卒業したのだ。そもそも賭ける金もない。地道になったわけじゃない。相変わらずふらふらと生きている。
だけど、あの頃のように、『何かに何かを賭ける』というような熱がなくなったのかもしれない。
それでもまだ、僕はこっそり探している。賭けるべき何かを探している。

監督が最後に賭けたのは、自らの生命だった。大博打である。きっと最後まで、治る方に賭けていたんだろうなあ。

そういえば、競馬をやめてずいぶん経った頃に、僕はJRAのCMを何本か撮った。
皮肉なものである。


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