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『あかり。』(第2部) #52 オウム事件・公安・統一教会あるいは『お引越し』

正月を監督と過ごした思い出がない。
監督は三ヶ日をどうしていたのだろう。しかし、それを考えるのは面白くないので、ずっと考えないようにしていた。
年末ギリギリまで、そのとき側にいた人となんらか過ごし、明けたらその続きをする。その間の三日間についてはあまり触れない。そうやってきたのじゃないか。
かつて側にいた人たちはどうだったのか……詮索しても意味はない。

今年も正月がやってきた。
この雑文にお付き合いしてくれている人たちに、今年がよい年になりますようお祈り申し上げます。

前にもちらっと書いたかもしれない。
オウム事件が起きた年、神戸も揺れて、明らかにこの国の何かが終わろうとしていた。

その頃、僕たちは毎日のように一緒にいたので、何をしていても、やがてその話になる。ならざるを得なかった。毎日心がざわざわしていた。そんな気持ちは初めてだった。

その時は、場を和ませるつもりで、
「ショッカーみたいですね」
「なんだそれは?」
「仮面ライダーの敵組織ですよ」
僕は、漫画や特撮番組の中にしか存在しないはずの悪の組織とオウム真理教をなぞらえた。ショッカーはショッカーの論理で世界征服を企んでいた。
「は、くだらね」と監督は一笑した。

そして、いつしか公安の話になった。
監督が声を落として「公安なんて、そんな甘いもんじゃないぞ。あいつらはすごいんだから」と言った。
「そうなんですか……」
「あいつらは怖いぞ……」
「はあ……」
監督はぬるくなった珈琲を啜ってショートピースに火をつけた。
箱の中は少なくなっていたので、あわてて新しいのを差し出した。

その数年前に公開された監督の映画『お引っ越し』には桜田淳子さんが主人公(田畑智子)の母親役で助演していた。僕は今となってはこの映画が大好きだが、公開当時に彼女が統一教会問題で揺れて、すごく残念な気持ちになったことを思い出す。
映画に「変な色」が付いてしまった、と感じた。
今、仮になんらかの映画が公開されるときに、同じことが起きたら、更なるバッシングを浴びることだろう。信仰を聞いてからキャスティングするわけでもない。

もちろん出演者の信仰の自由と映画の興行は別のものだ。
ただ、それをバネにできるほど、映画は強くない。それを分けて考えられるほど、観客はやさしくない。

映画に関わる全ての人が手塩にかけた主要な登場人物が、変なスキャンダルに巻き込まれることは、昨今よくある。(監督のケースも散見するけど)
その当時はけっこう珍しいことだった。

しかしながら、スクリーンに映っていた彼女の演技と、それは別のものといえば別のもので、映画の中身はきちんと評価された。
それが興行的にどうだったのかはよく知らない。

ただ、監督や配給・宣伝に関わる人が相当大変な目にあったのは想像に難くない。

その時も、そんなことがつい口をつきそうになったことを思い出す。もちろん何も言わなかった。一般論は監督の一番嫌いなものだ。

昨年は世の中が統一教会問題で揺れた。
しかし、本当の問題は放置したことだ。癒着していたことだ。
きっとオウム事件以来、この国が誤魔化し誤魔化しやってきた全てのことが、あるいは強引に舵を切った全てのことが、それほど正しい判断ではなく、もしかしたら相当間違っていたことが、なんらかの形で噴き出したのかもしれない。

監督はあの時、苦い顔をしていた。
あんなに苦い顔をして珈琲を啜る監督を見たのは初めてだった。

その後で、僕たち数名は西荻の路地裏で湯麺をご馳走してもらい、打ち合わせのような確認事項をして別れた。

元旦から、北朝鮮がミサイルを発射した。
ウクライナは相変わらず悲惨だ。彼の地の冬の厳しさは想像するしかないけれど、きっと指先が凍るような冷たさなのだろう。

2023年、世界が少しでもよい方向に向かうのを祈るばかりだ。


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