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『あかり。』第2部 相米慎二監督の思い出譚・S#61 白い開襟シャツ

「そのシャツくれよ」
と監督に言われて、流石にその場で脱いで渡すことはできなかった。
僕が着ていたのは確か10数年前にアメ横で買った白い開襟シャツである。
大して高価なものではない。薄いブロード綿のものだった。
「いや、これは流石に・・・同じようなもの探しておきます」
「おう」
と、なり、その場で取り上げられることは防いだ。
監督は自分が着たいものは人から取り上げる。着せたいと思った人は差し出す。そうやって自分で服を買うことはない人だった。

僕はアメ横に行き、買った記憶のある店を久しぶりに巡ってみたが、同じシャツはもう売っていなかった。
ミリタリー系のものだったんじゃないかと思うのだが・・・。

思い出せた店はあらかた回ってしまい、トンカツ屋でロース定食を頬張ってぼんやりした。
手ぶらで帰るのも癪なので、最初の店に戻り、同じような生地の襟違い(普通のシャツタイプ)のスクエアカットのシャツを買った。

次に会った時に渡すと、
「わざわざ買ったの?」
と言ったが
「襟が違うんです。同じのはもうありませんでした」
「あっそう」
と、やや不服そうに監督は受け取った。

監督はあくまで『開襟シャツ』が欲しかったのであり、似たような生地の半袖シャツが欲しかったわけではない。

わかっていたが、今のように検索できる時代でもなく、つい手を打ってしまった。(なんでもなくて、いい感じの白い開襟シャツを買うのはいつだって難しい)

その後、何度かそのシャツを着ている監督を見かけたが、その度に小さく後悔した。

監督が死んだ後、マネジャーのTさんから、そのシャツが戻ってきた。他にも監督にあげた服も戻ってきた。

こういうのって戻ってきても悲しいだけだ。
かといって捨てるのも忍びないときっと思ったのだろう。でも、どうして僕があげたと知っていたのだろう? 監督が言ったとは思えない。

僕は夏になるとたいてい白い開襟シャツを着ている。五、六枚をローテーションで着回す。
この前、その中の一枚を玄関先でチェーンに引っ掛けてしまい袖先が裂けてしまった。
それは20年以上前に買ったコムデギャルソンのシャツで、丈を詰めたりしてなんとなく騙し騙し着ていたのだが、度重なる洗濯で生地も弱っていたのだろう。あっけなく破れた。
どうしようかと思ったが、やはり愛着があるので、直し屋さんに持って行った。

僕にとって、夏のシャツは白い開襟シャツがあればいい。
できれば上質な生地の肌触りのよいコットンがいいが、ポリが混じっていたって構わない。
ただ、一人で着ていてもつまらない。
それだけだ。

毎年、そう思う。

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