アライさん界隈で過ごして気づいた2つのこと

 良いニュースと悪いニュースがある。


非武装・中立ちほー

 はかせ・ランチのアカウントから界隈を眺め始めてすぐに、昔読んだVA-11 Hall-Aのレビューのことを思い出した。

>そこに訪れる人たちは、探偵、アイドル、ハッカー、編集者、記者たちである。それぞれに事情を持っており、多分バーの外では敵対しているかもしれないが、プレイヤーはジルと一体となって、職業的に彼らに公平に接しなければいけない。

 『戦士たちの休息所』という言い回し(たぶん日本でしか通じないうえ、元ネタの北欧神話とは解釈がズレてそうだから、ベネズエラ人の作者は意識していないと思う)に引っ張られすぎているような気はするものの、ひとつのエッセイとしては心に残っていた文章だ。

 アライさん界隈も――時期によって大きく所属するフレンズや雰囲気が違うから全く一概には言えないが――ヒトとしての姿・立場では利害や好悪が対立している組み合わせは多々あり、そしてどの時期を切り出しても「ツライさん同士で争うのはやめるのだ」という理想が皆に共有されている。
 Twitter上では、人を助けるためでさえ、ふだんの主張や立場と一貫性のない方便がゆるされないような理屈っぽい領域が広がりつつある一方で、まるでそのこととバランスを取るかのように、アライさん界隈では理屈よりも共感、ツライさん同士が助け合うことが優先されているのだ。

 たしかにその方が居心地が良いし、私もそれに倣って現地では非武装・中立を貫いている。


人殺しがとる態度

 向こうにいるとき、私は「どこかの誰か」のことを考えないようにしている。直接関わりあう、目の前のフレンズのことだけを考えているうちは、自分でも驚くくらい気が楽で、信じられないくらい優しい態度をとれた。
 私をよく知る人ならこそ誇大か虚言だと思うに違いないが、なんと向こうの自分はほとんどのフォロワーに好かれ、自他ともに認めるかわいい癒し系として通っている。長年の悲願が叶ったのだ。
 ……だからこそ悲しい。

 遠くの誰かや近くの誰かを意識から追い出すことで、潜在的・間接的に大勢の人を苦しめてるとしても、そうした生き方の方が主観的にも・傍目にも幸せで充実していて、虫も殺さない顔で人殺しを看過している方がよっぽど人格者に映ってしまう。残酷な正義よりも優しい不正義が人を救ってくれることを祈ることしか、もはやできまい。


 いかにも人を惹きつけるためのつまらないタイトルを、今回はわざとつけた。たくさんの人、特に私のnoteを読んでくれている人に、なるべく読んでほしかったからだ。


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