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それでもまだ、中村武志に抑え捕手大石友好(1989年のドラゴンズ)

1988年にリーグ優勝を果たした星野監督率いる中日ドラゴンズ。強肩・中村武志がシーズン中盤以降しっかり正捕手の座につき、優勝に貢献していました。ストッパー郭源治が登板するとベテラン大石友好にバトンタッチするスタイルが確立していましたが、最終盤には中村がそのままマスクをかぶるケースも生まれ、1989年シーズンは本当の意味での正捕手として脱皮していくシーズンと想像できました。

もちろん開幕戦は中村が先発でマスクをかぶり、4月14日には郭の登板でも最後までホームベースを守ります。しかし4月中旬に郭が戦線離脱、チームは波に乗れず先発捕手を大石や大宮に任せる試合もチラホラ。

そんな中、6月に入って郭が復帰するのですが・・・去年に逆戻り?ほとんどの試合で郭-大石の抑えバッテリーの復活するのです。

ようやく中村の時代が到来か

郭の復帰後、特に7月に入ると快進撃で白星を重ねていくのですが、突然抑えバッテリーに終止符が打たれました。

7月17日からオールスターを挟んで20試合、中村がフルイニング出場。その間6試合に郭とバッテリーを組み、ようやく本当の正捕手として独り立ちした形となったのです。

代打での出場が4試合あり125試合出場

9月以降は大石が一軍ベンチを外れ、後に外野手に転向する山崎武司がベンチに入って試合を経験させるケースはありますが、基本的には最後まで中村が正捕手として手続けた形となり、初の規定打席にも到達したシーズンとなりました。

郭登板の勝利試合で最後までマスクをかぶった試合は前年の4試合から17試合に増加。今度こそ、1990年こそは抑え投手との勝利のハイタッチは正捕手中村が、となるシーズンになりそうな予感・・・だったのですが、そう簡単に事が運ばないのが星野ドラゴンズなのです。


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