最近の思考 7/4

・物語について

人生は物語ではない。

よく人生は物語だとか、ナラティブだとか、そういう言葉で表される。

でも実際人生で起こる事象の一つ一つは、支離滅裂で統合的でなく、気まぐれである。

上振れも下振れもない。

”明日はいいことあるさ”も、”何をやっても上手く行かない”も全て嘘だ。

私の人生に対するイメージは点の羅列である。

規則性のない点があちこちに、同時多発的にぽつぽつと現れては消え、終わりの時に全てふっと姿を消す。

それらをむちゃくちゃに繋ぎ合わせたのが”物語”と呼ばれるやつだ。

つまりは線である。

適当に引いた線など物語たり得ない。点が消えた時に同時に消える。

でも時々、それらの点が規則正しく並んで、偶然綺麗な線を引ける人が現れる。

そうした綺麗な線は点が消えても残り続ける。

線を引いて初めて点が意味を成して、物語になる。

私は線を引く人間たり得るか。

・精神科と心療内科について

先日精神科を受診して何一つ成果が得られなかったという話を書いたが、ある意味当たり前だった。

というのも、精神科と心療内科は同じような聞こえだが性質が全く異なる。

簡単に言えば、精神科というのは医学サイド、心療内科は心理学サイドである。(こうざっくり区分してしまうとかなり雑だが)

偏見も含むが、医学サイドは症状を断定しがち(というよりせざるをえないというか)、心理学サイドではグラデーションを考慮して曖昧にしがち…というところがある。

何が言いたいかって、精神科にかかったからには何かしらの病名が断定されないと処置がなされない。

なんとなくメンタルが…とかやる気が…とか言った時は即刻心療内科にかかるべきである。精神科に行くべきではない。

俺のように説教話で終わるのが関の山である。

心療内科は心理学サイドなので、まともな臨床心理士にあたればまずこちらの言うことは聞くだけ聞いてくれるはずだし、おそらく”共に解決する”方向へ向かってくれるだろう…と信じたいところである。(一応心理学サイドの人間なので)

詳しい話は調べればわかるんじゃないかなぁ、と思います。はい。(投げやり)

・精神科で語ったことについて

死は本望ではないとたしかに語ったが、それは否が応にも生きたいということを意味しない。

生きたいということと、どうしようもなくなった時にどう”しなければならないのか”とは別問題である。

種々の困難と辛酸とを全て取り除いて、それでようやく生きたいと思える程度でしかない生きたいという感情を生きたいと表現するのは流石に無理があっただろうか、と今思えば。

「俺とて”死ななければならない”状況になりたくなかった」という感情が生きたいということの意味である。

そうした感情を勝手に普遍的なものだと考えていた自分の落ち度。

そりゃあ言葉を端折りすぎたら伝わるものも伝わらない。

まぁ、正確に伝えたところで考えすぎと言われるオチは変わらないのかもしれないが。





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