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第4回④ 田上恵太先生

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

 東北大学大学院に所属する「研究者」という肩書きを持ちながら、地域社会に緩和ケアという文化を浸透させ、「最期まで安心して生きることのできる」地域づくりを目指す、地域での活動にも尽力される田上先生。現在のキャリアに至るまでの想いをお話していただきました。

田上恵太先生
東北大学大学院 医学系研究科 緩和医療学分野
東北大学大学院 緩和医療学分野講師、東北大学病院 緩和医療科医師。2008年に関西医科大学医学部卒業後、東北労災病院での初期研修を経て、国立がん研究センターでの研究や臨床に携わる。2017年からは東北に戻り、やまと在宅診療所登米にて在宅緩和ケアプロジェクト展開を開始、2019年からは徳之島徳洲会病院にて緩和ケアチームを結成するなど、緩和医療の研究を社会に還元するための活動を行っている。

がんセンターから、東北の地で緩和ケアへ

 もともと緩和ケアの領域に進みたいという想いを持っていた田上先生は、東北労災病院で初期研修を行い、当時はまだ珍しかった腫瘍内科の道に進みます。“Palliative & Oncologist”の二刀流を目指し、2012年からは国立がん研究センターのレジデントとして数々の研究に携わってきました。研究テーマは、臨床現場におけるオランザピンとグレリンの併用療法の制吐効果や食欲増進効果をもとに取り組んだ基礎研究から、最適な緩和ケア受診開始時期に対する遺族の意識調査などの疫学研究まで、多岐にわたります。たしかに国立がん研究センターにおける仕事は、国の機関であるため集まる情報も多く、学会や論文におけるインパクトは大きかったものの、「国の機関にいても地域に貢献・影響を及ぼすことができていない」ともやもやを感じていたといいます。以降、次第に活躍のフィールドを研究から社会活動にシフトしていきます。
 2017年4月に東北に戻り、そこで出会ったのがやまと在宅診療所登米(宮城県登米市、医療法人やまと)で働く田上佑輔先生(第1回登壇者)。「地方都市でも最期まで安心して暮らしていけるような文化をつくりたい」という考えに共感し、やまと在宅診療所登米にて在宅緩和ケアプロジェクトの展開を開始します。また翌年には、徳之島で救急医として活躍する知人の要望を受け、”徳之島は最期まで安心して生きれる”プロジェクトを行うために、徳之島徳洲会病院にて緩和ケアチームを結成。更には緩和ケア先進国として知られるオーストラリアやニュージーランド、シンガポールまで実際に足を運び、緩和ケア・終末期ケアの研修留学もしました。日本と諸外国では、医療の質は変わらないものの、アドバンス・ケア・プランニングや価値観の違いが大きいと感じたといいます。

僕なりのシステムの提案

 「最期まで安心して生きていける」地域づくりを目指して、田上先生はこれまで複数のシステムづくりに貢献してきました。新たなシステムをつくることには苦労も伴うといいますが、「システムは作るもの&持続して発展できるようにメンテンナンスするもの」というコンセプトのもと、地域事情に応じて、その地域に無いものは新しく作ってきたそうです。
 現在、やまと在宅診療所登米緩和ケアプロジェクトでは、医療過疎地域でもオンライン診療を駆使して地域を支える「ナースプラクティショナー(NP)ステーション」開設に向け、動き始めています。このような活動もあり、登米地域は次第に、専門的な緩和ケアを受けながら最期まで暮らせる地域になってきたといいます。
さらには登米での経験を生かして、徳之島でも新たなシステムの展開を見据えています。「徳之島緩和ケアアウトリーチプロジェクト」では、行政と連携した島民への啓発活動や、本土の医療機関への情報提供に取り組んでいます。

やはり、プライマリケアとの連携しか勝たん!

 緩和ケアの専門医は、全国に300人ほどにとどまります。その中で、「質の高い終末期ケアを地域に届ける」ためには、プライマリケアとの協働が不可欠だと考えているそうです。確かに学会レベルでは、緩和ケアとプライマリケアの関わりは深いですが、実際の地域での連携はまだ不十分だと感じているといいます。
 なぜ、「緩和ケア×プライマリケア」なのでしょうか。都市部では、2040年問題という言葉があるように、高齢者の数が爆発的に上昇することが予想されています。一方、へき地では医療・福祉従事者の不足・医療過疎が進行するのは確実です。施設で最期まで生きるシステムの構築も不十分であり、高齢者の療養入院難民が続出することも予想されています。だからこそ近い将来、医療が直面するであろう問題への解決として、医療者が地域と会話をすることが欠かせないと言います。
 「やはり、プライマリケアとの連携しか勝たん!」と、田上先生は語りかけます。プライマリケアは、緩和ケアと同じく“地域”目線を持つ医療者です。生き方や価値観、コミュニケーションに重きを置いて、「患者と家族と地域を診れる医療」を提供したいと意気込みます。

“地域の1ツールになりたい”

 田上先生は、登米の診療所や徳之島におけるシステムづくりだけでなく、足元での活動にも力を入れています。仙台のような都市に住むよりも、より田舎の地域で「地域の1ツールになりたい」という望みをもつ田上先生は、地元のケアマネージャーと連携した月に1回の「介護・医療もやもや解消室」の開催など、数多くのイベントに関わっています。

最後に、田上先生は今後のご自身のキャリアの展望について語ってくださいました。 「最期まで安心して生きていける」地域づくりを叶えるために、より”地域”の医師という1ツールとして、”地域”と地域の未来を考えていくためのキャリアを積みたいという思いから、厚生労働省の医系技官として行政経験を積むことも考えているそうです。

「”地域”で最期まで安心して生きていける」ことを目指し、緩和ケアを軸に地域・プライマリケアと協働して活動される田上先生。最後に、総合診療に携わる視聴者から、多忙な多職種の巻き込み方のコツについて質問がありました。田上先生がプロジェクトに巻き込んできた多職種は、地域の医療者や福祉関係者が交流するケアカフェで知り合った人が多いといいます。田上先生の考えるチームビルディングのコツとしては、無理をしないこと、そして1人で運用できるような小さいところから始めて、だんだんと興味のある人を巻き込んでいくことだと教えてくださいました。
システムを作り、仲間を巻き込み、持続可能なものにしていくことをやってきた田上先生だからこそ伺える、そんなお話だったように感じます。

取材・文:伊庭知里(慶應義塾大学医学部3年)


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