武装少女とステップ気候

8.ぼくら、二十一世紀の子供たち (4)

 思い返してみれば、自分自身と過去の出来事とは、実際に何の繋がりがあったのか、はっきりしないのでした。でも自分の思い込んでいる自分の過去を――いわば妄想を、否定してみると、確かに自分は空っぽなのだと分かるのでした。それでも左腕は誰のものでもなくなり、幻影だけが残り、そこには、代償としての赤黒い甲蟲が居座っているのでした。
「赤毛のお姉ちゃんが、脚をくれたんだ」
不意に、死角から少年の声がしました。アノニマは驚いて(自分以外に、人が居るとは思っていなかったからです)振り返りました。彼は、義足の両膝を抱え込むようにして、部屋の隅っこの地べたに座りながら、一人ぼっちの人間たちがみなそうするように、静かに微笑んでいました。
「でも、外に歩いていけるなんて、思えないよ」
「…………」
アノニマは黙って少年を眺めました。その顔は美しく、化粧をしていて、髭などは綺麗に剃られており、彼が男娼(バッチャ)であることは明らかでした。
「脚が無いからさ、踊れないんだ。僕の価値は尻の穴だ、って。地雷なんか、踏まなけりゃよかった、って今は思う」
「…………」
アノニマは、窓から眩しい外を見ました。薄暗い室内で二人は、しばらくお互いに黙っていました。彼は懐からナイフを取り出して、それから言いました。
「ご主人は、僕をぶつんだ。歩けないから。そうやって愉しむんだ。僕は、鼠とかウサギとかを捕まえて――盗んだナイフで、切りつけて、愉しむんだ。自分よりも、ずっと弱いものを」
「…………」
彼は彼と同じように綺麗な装飾の施された儀礼用ナイフ(ジャンビーヤ)を抜いて、うっとりと眺めました。それはイスラム世界で一人前の男と認められた証でもありました。アノニマにとっては、彼はナイフの刀身を眺めているのか、それともそこに映り込んだ彼自身の鏡像に見惚れているのか、分かりませんでした。
「君も、同じ? その銃は、弱者を殺す為のもの?」
するとアノニマは、彼に三二口径のブローニングを投げて寄越し、それから言いました。
「銃は、イコライザと呼ばれる。暴力の前に、人は平等だ。イコライザは、文明の道具に過ぎない。人を差異づけるのは――その技術だ。そして、技術は、水をやりすぎた土壌では、決して育たない」
アノニマは、ぎこちない義手の動きで自分の装備の一式を掴むと、ベッドから起き上がりました。数ヶ月の寝たきりでやや衰えた筋肉で、彼女は少しよろけましたが、それでもふらつきながら立ち止まりました。
「お前は脚を得た。銃も得た。立って歩いてもいい。地面を這いつくばっても、いい。憎い主人を殺しても、動物を殺し続けても、自分の頭を撃ち抜いたって、いい」
そう嘯きながらアノニマは、言葉はなんと無力であるかと思いました。いくら言葉で飾ったって、我々はそれぞれの肉体に幽閉されたたった一つの孤独な霊魂に過ぎないのです。人は生来、自閉されて狂った猿でしかなく、想像力によって言語化された過去のイメージを、反芻し続ける穢れた生き物なのです。
「………」
アノニマは室を出ました。少年は黙って、再び顔を埋めるようにして、膝を抱えました。彼女は振り返りませんでした。
 廊下の窓ガラスでは、アポロ・ヒムカイが笑っていて、やー、カッコいいなぁ。と呟きました。
「流石、さすが。元スモールボーイ・ユニットの部隊長。ってとこかな。それとも君がアポロだっけ? わかんないや」
「…………」
アノニマが黙っていると見えて、アポロは続けました。
「ゾーイ、君は、自分より不幸なものの存在を畏れているだけさ。他人の不幸も横取りしてしまうほど……他者が不幸になる事に強烈な違和感を覚え、常に自分がいちばん不幸でなければ安心できない。それは優しさでも正義でもなく、単なるエゴの、ナルシシズムの、自意識過剰なお姫様さ。悲劇のヒロインのつもりかい? 自分は、そんなに特別な存在だと?」
「……うるさい……私の事を、ゾーイと呼ぶな……」
うふふ、とアポロが映り込むガラスの向こうで笑って、それから言いました。
「羨ましいよ、ゾーイ。――ああ、それとも、アノニマ。だっけ? だって君は、君の過去に没頭しているんだから」
「……お前は、ありもしない未来を夢想していただけだ」
「君の過去も、単なる妄想だったりしてね?」
アノニマは右の拳でガラスを砕きました。破片は飛び散って少し血が流れましたが、誰も気にする人はいませんでした。左手の義肢もいたずらに駆動して虚空を握り締めていました。
(君がいくら否定しようと、僕は既に君の一部なのさ。君が本当に僕だったのか、それとも僕が君を作ったのか。そこに大きな違いはない。いずれにしたって、アポロ・ヒムカイは二度死ななくちゃならないんだ。果たして君に、それができるかな?)
尖ったガラスの破片はぶつぶつとそう呟きました。アノニマは背を向けて立ちつくしていました。慰めてくれた狼犬はもう居らず、彼の毛皮で出来たポンチョだけが暖かいのでした。
 首からぶら提げた琥珀の宝石が、一緒に吊られた狼犬の牙に当たって、音を立てました。冬の寒い空に、アノニマはそれらを握り締めると、なんだか太陽のように感じられました。
 ひゅるるるる、と音がしました。それは新年を祝う花火のようでありましたが、その実は逆で、空から落ちてくる――迫撃砲の音でした。それはまずさっきまでアノニマの居た病室に着弾しました。少女は咄嗟に伏せて、顔を上げると、
「――ヨーイチ、」
と、差し迫った表情で呟きました。脚は既に歩きだしていました。

「おじさん、何してんの?」
その少し前。春野陽一は太陽も雲に隠れた雪景色の中ポラロイド・カメラを構えて、雪の中で笑っている子供たちを撮影していました。少し離れた物陰から、石段に座り込む痩せた感じの黒髪の少女が、そう言って話しかけてきたのでした。
「おっ。なんだ、お前も一緒に撮るか?」
ヨーイチがカメラを構えて言いました。子供は顔を隠すようにして、
「いいよ。写真はキライ」
と、答えました。するとヨーイチは、どかっと隣に座り込んで、
「じゃ、話は?」
と、尋ねました。子供は半分はにかんだように、視線も合わせず、
「……別に、いいけど……」
と、不貞腐れながら言いました。
 座りながらヨーイチは、再び子供たちの写真を撮る事を続けました。シャッターを押すたびに吐き出されてくるフィルムを渡すと、子供たちは早く乾けと言わんばかりにそれをびたびたと振り回すのでした。
「いいなぁ。そうやって誰とも仲良くできて」
少女が呟きました。すると、ヨーイチはニカリと笑って言いました。
「そんなことねぇよ。気に入られるのは俺の写真さ。腕が良いんだかな。結局、俺自身はファインダーの手前側。外れん坊さ」
「ふーん。じゃあ私と同じだ」
そうか? とヨーイチが言いました。うん。と少女が答えました。
「だって、私、ここの街の子じゃないもん」
「他所から来たのか」
「うん。村が、襲われてさ。必死で逃げだして、お父さんも、お母さんも、どこに行ったか分かんない。死んじゃったかもしれない。私も、迷子なんだ」
目も合わせずに、というより、少女は目が見えないようでした。それが肉体的なものなのか精神的なものなのか分かりませんが――いずれにしたって、ヨーイチの撮る写真を見ることができないので、周りの子供たちと一緒に楽しめない、といった面持ちでした。
「おじさんの英語、なんかちょっとヘン。ここの人じゃないの?」
「ああ。日本から来たんだ」
「ふーん……ニッポンてとこは、いいとこ? 子供たちは、幸せ?」
そう言われてもヨーイチは記憶喪失なので、というよりも、少女の質問が抽象的すぎるので、同じように曖昧に答えておきました。
「わっかんねぇなぁ……でも、日本製の服はここらでも人気だって、たまに聞くぜ」
「ああ。高級品の話ね」
と、少女はややぶっきらぼうに答えました。足元の薄く積もった雪は、少女の裸足の熱に溶け始めていました。
 ヨーイチは、ふと思い付いた調子に言いました。
「お前、名前、なんてーの?」
少女は、やや躊躇いながら答えました。
「……ハンナ。ハンナ・ビント=シャムス・アル=ハズラッド」
ヨーイチはニヤリと笑って、それから周りの子供たちに、
「よーし、お前ら……この女を捕まえるんだ。手荒にしちゃ、いけねぇぞ……いいか、あくまで平和的に取り押さえろ」
と、扇動しました。ハンナは、「は」と言って顔をしかめましたが、近所の悪ガキどもにあっという間に羽交い締めにされると、
「やあーっ! 何すんの、おっさん、この変態っ、痴漢っ」
と、悪態をつきました。ヨーイチは気にも留めずニヤニヤ笑いながらポラロイドのシャッターを何度も切りました。その度にフィルムがジジジジジ、と吐き出されて、それから、アラビア文字の書ける子供に、余白に何かさらさらと書かせて、それから言いました。
「こいつ、ハンナ・ビント=シャムスって言うんだってさ。親と、はぐれっちまったらしいんだ。という訳で、お前らに重要な任務を与える――こいつの親を探せ! どんな些細な情報でも、構わんぞ。さぁ、分かったら、散った、散った!」
そうやって、英語の分かる少し大人びた子がみんなに通訳すると、小さい子供たちがわーっとなって散開しました。ハンナはぽかんとしましたが、しばらくすると、小さな声で「ばっかじゃないの」と呟きましたが、その空色の眼はなんだか輝いていました。
「ま。見つかんないかもしんないけどな。でも、何にせよ、一歩は踏み出せたろ」
ややあって、うん。とハンナが小さく答えました。ヨーイチはその頭をぽんぽんと叩いてやりました。ハンナは、どちらかと言えば、彼に撫でてもらいたかったのですが。
 不意に、ひゅるるるる、と音がしました。それは新年を祝う花火のようでありましたが、その実は逆で、それは空から降ってくる――迫撃砲の音でした。それが政府軍のものなのか、反政府軍のものなのか、あるいは流れ弾か。それは犠牲祭の最中の人々にはほとんど関係の無い事でした。
 ヨーイチは一瞬姿勢を低くして、それから、「あそこは……」と思い当たるところがありました。彼はロバのジャックに跨ると、急いで馬を走らせました。
 いっぽうでハンナは、ずっとヨーイチの背中を、それが見えなくなるまで(あるいは馬の足音が消えるまで)追っていました。冬の太陽(シャムス)の薄い光は彼女の眼を浅く輝かせていて、少し大人びた子は、そっと彼女の傍に居てやっているのでした。

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