武装少女とステップ気候

7.九月十一日に生まれて (4)

 足音を引きずっていました。床や壁、天井をツル植物のように張り巡らされている、いろいろなケーブルを辿りながら、ゾーイは、痛む頭を抱えながらとぼとぼと一人歩いていました。青白い液晶の光が、奥から漏れていました。その広い部屋には、沢山の画面と、ウェブサーバ、チョッキを着た白ウサギの剥製、狂った懐中時計、それから高カロリー輸液のパックなどが散乱していました。その中央に、舌を出して動かなくなっている狼犬の姿があり、ゾーイは、
〈――カマル!〉
と、叫びました。すると彼女のすぐ隣から、少しくぐもったボイス・エミッター越しの、少年のような声が答えました。
「安心しなって。麻酔銃だよ。ちょっと邪魔だから」
ゾーイはほとんど反射的に、右手に握りしめた自動拳銃『武装した人』を、その声の主に向けました。するとその腕は弾かれて、ぬるりと暗闇から腕が現れたと思うと、拳銃を奪い取られ、それをあっという間に分解されました。ゾーイは即座に左手で三日月型のカランビット・ナイフを抜いてその喉元に切りかかりました。が、それは空振って、すぐに右腿から回転式拳銃『ピースメイカー』を抜きました。すると相手は彼女が引き金を絞るより先に、点滴のスタンドで『ピースメイカー』の銃口を外しつつ、弾きました。引き金が絞られると、放たれた銃弾は明後日の方向に飛んでゆき、拳銃もまた狼犬の傍へと転がってゆきました。
「過去は、無かったことにはできない。体験は、白紙には戻せない。人生は、自分で原稿用紙を埋めていい。あがき続けるしかないんだ、その最期の瞬間まで」
「――アポロ。アポロ・ヒムカイ」
うんうん、と頷いて、ガスマスクのアポロは答えました。
「アロー、アロー、ゾーイ。やっと会えたね。英語は嫌いだから、フランス語とかでいいかな? アラビア語もちょっと苦手でさぁ」
「お前が話しやすい、――お前の国の言葉で話せばいい。英語だろうと、フランス語だろうと、ロシア語だろうと、日本語だろうと。ずっとそうしてきただろう、お前は、アポロ・ヒムカイは」
するとアポロは、うふふ、と笑って、食事も済んだところだ、と呟き輸液のパックをカテーテルから外しました。ガスマスクのレンズ部分はマジックミラー、鏡のようになっていて、その表情は窺い知れず、白いパーカーのフード部分にはハートマークとピースマーク、それと二つのAが組み合わされた虹色の蝶と『生来必殺(BORN TO KILL)』の字がデザインされており、背中には『戦争を欲するなら、平和に備えよ(SI VIS PACEM, PARA BELLUM)』の文字が描かれていました。首周りにはゾーイと同じような赤のバンダナを付けていて、胸にはピースマークのロケットペンダント、そのチェストリグには羽根の付いたハートマークの意匠、肩には第八二空挺師団『オール・アメリカン』の部隊章(インシグニア)、右腕には黒地に白で描かれた蝶の腕章、そして左腿には、ナチスドイツ製ルガーP08『パラベラム・ピストル』をホルスターに収めていました。
「僕の国。国ねぇ、僕に国なんてあったかしら? かしら、って。生まれはシャーマン戦車『蛍』(ファイアフライ)の中で、育ちは三不管(サンブーグヮン)の九龍(クーロン)城。だから狭くて暗いところが好きでねぇ。――ま、なんだっていいや。言葉なんてたかが言葉で、どうせ全部嘘っぱちの虚構なんだから」
アポロが左腿から『パラベラム・ピストル』を抜くと、三十二発の蝸牛弾倉(スネイルマガジン)を装着してゾーイに向けました。それから言いました。
「あのホテルの親子は気に入ってくれたかな? 結構自信作だったんだ」
「あの悪趣味な人間爆弾の事か?」
「あのくらいで君が死ぬなんて思っちゃいないさ。ゾーイには生きててもらわなくちゃいけないからね」
そう言って、アポロはしばらく彼女を眺めていました。ゾーイは隙があれば、左腿に包帯で括り付けたブローニングの三十二口径を抜き撃ちするつもりでいましたが、彼女に向けられた銃口はぴたりとして動かないのでした。アポロがふと、彼女の左腰の散弾銃を見て、尋ねました。
「ゾーイ、『ルパラ』はどうした?」
「……壊れたから、棄てた」
「ああ、そうか。悲しいなぁ、悲しいなぁ……全てのものはいずれ壊れてしまう。物も、心も、動物も、人間も。あの銃はぼくの宝物のひとつだったんだ。母親のものでね。だから、君にあげたんだよ」
アポロはガスマスクの下で泣いているようでした。けど涙は流れませんでした。もしかしたら、泣いているのではなく、笑っているのかもしれませんが。ゾーイには、ガスマスクのボイス・エミッター越しの嗚咽にしか聞こえないのでした。アポロが再び尋ねました。
「ゾーイ、君は生まれ変わりを信じるか?」
聞かれてゾーイは、ちらりと狼犬のカマルを盗み見て、
「何の話だ」
と、聞き返しました。アポロのガスマスクのレンズに、自分の姿が反射していました。
「君の話だよ。ゾーイ・ビント=イスマーイール・アル=アシナ。アリス・ヒムカイは僕の母であり姉であり、兄であり父でもあった。彼は、あるいは彼女はベトナムに生まれて、彼の姉の子供――すなわち僕を、ここまで育ててくれた。いずれにしろ、彼女とは離れ、今僕はここに居るわけだけど。そこにゾーイ、君が現れた。君は僕と同じで、母親を失くし、居場所を失くし、言葉を失くし、だから、親きょうだいに囲まれた奴らが憎くてね。僕らは、元はそういう集まりだったろ? 『愛されなかった望まれなかった選ばれなかった子供たち』。これも、彼の彼女の受け売りなんだけどね」
「お前の話は、どうでもいいが」
ああ、ごめんごめん、とアポロが言いました。それから、どうしたって自分の話になっちゃうんだよなぁ、と、ひとり愚痴をこぼしました。
「にんげんは、やっぱり連帯したいらしい。結果が欲しいらしい。みんな、やっぱり僕とは考え方が違う。みんな、僕の為に死んだ。分からない。分かりあえない。居場所を与える僕の為に。甘やかすのがいけないのかな? けど僕は違う。僕は僕のために行動する」
「お前は違うさ、私が今からお前を殺すんだ」
「そうだね、だからゾーイ、ぼくは君の事が好きだよ」
それからアポロは、ぱん、と手を叩いて、突然に思い付いたふうに言いました。あるいは、すべて計算の上なのかもしれませんが。
「ああ! 西暦で言えば、ゾーイ、今日は君の誕生日じゃないか!――二〇〇一年、九月十一日。きっと世界でいちばん、聖書とコーランが燃やされた日だ」
それを聞いてゾーイが、
「…………」
とだけ言うと、アポロは、
「ハッピーバースデーの歌でも唄おうか?」
と聞いて、ゾーイは、
「いらん。人の誕生日を祝うなら、まずその銃口を外せ」
と答えました。するとアポロは、うふふ、まぁそう焦らないで。と笑って、その銃口は据えられたままでした。
「ぼくは愛されない子供が好きさ。だから、そうやって兵隊を集めてきた。彼らが彼女らが、僕の為に命を賭して戦ってくれるのは、とてもとても哀しいことさ。みんな、貴重ないのちなのにね。いろいろ、突撃だとか自爆テロだとか、細々とやってるんだけどさ。テルアビブの空港のときみたいにね。みんな、どうも、死ぬことに喜びを覚えるみたい。僕はそれを、死という結果を与えるんだけど、なんだか見てて哀れというか、そういう気持ちになるんだよねぇ」
アポロがセンチメンタルにそう言うと、ゾーイは吐き捨てるように答えました。
「英雄気取りが。自分の正しい行いは、信じていればきっと報われるのだと――きっと誰かが助けてくれるのだと思っているんだろう。お前は、そんなに特別なのか? お前は、神様のお気に入りだと?」
「僕は特別強いわけじゃない。ただ少し臆病で、ちょっと逃げ足が速いだけさ。――やっぱりゾーイと、ずっと話がしたくてね」
 アポロがゆっくりと、部屋の中央で倒れる狼犬に近付きました。ゾーイは、彼を睨みつけましたが、アポロは、安心しなよ、君の友達を僕は傷付けたりしないさ、と、答えました。
「ぼくの蔵書をいっしょうけんめい読んでいたなぁ、ゾーイ。君は本が好きだった。小説はあまり読まなかったけど……。本は鏡さ。鏡自体を対立軸とする、現実対空想の戦いだ」
「…………」
「対立軸を失くした世界には中心しかない。それが安定の為の術で、人は安心したいがために構造を崩す事を畏れ、――いじめも、トップ・ニュースも、家族も、偶像(アイドル)も、国家という擬人化された幻想も、神様も――それからもちろん、戦争も。そういった小さなちいさな中心を失くした世界がどうなると思う?」
ゾーイが答えないので、アポロが代わりに答えました。
「混沌(カオス)だよ。ゾーイ、それは、秩序を失くした混沌だ。混沌の中で人々は運動し、ぶつかり合って、そしてそれがどうなるのか予測すらできない。混沌は、ひとつの結果に収束することはない。ただいたずらに動き続けて、思想や文化、それに宗教、そうしていのちを消費していくだけ……」
ゾーイは言いました。
「勝てばいい。勝てないなら、逃げればいい。それから、機会を窺いつつ、また挑めばいい。いずれにしたって、我々は勝ち続ける以外に、生き残る道はないんだ」
「それは勝者の意見さ、ゾーイ。生存バイアスってやつ? 勝った奴だけが口を聞けるなら、死人に口なし、強い者だけが残ることになる。そんな暴力が平和を産むかい? 僕はそう思わないね」
「――お前を殺せば済む話だ」
「そう思うかい? だけど不満のある人間はどこにだっている。そしてそれを輸送する足、それを使う手腕(アーム)、ついでに武装(アーム)、それに、意志や思想をばらまく情報網……それら全身を駆使すれば、地球を自殺させるなんて訳ないさ。もう僕は居なくたってある程度は大丈夫なようになってるよ。ゾーイは、僕たちが引きこもり(スタンドアロン)だと思ってるかもしれないけど、僕だって結構社交的で活動的なんだぜ。特に今は、インターネットがあるからね……指先一つ(ユビキタス)で。情報の越境が、やりとりが実に簡単だ。世界がもし百人の村だったら、みんな一斉に首を吊りました。いや、吊らせました。奴らを高く吊るせ! ってやつ。ゾーイにもいくつか西部劇とか、戦争映画を見せたよね。教育の一環ってやつで。キューブリックの『博士の異常な愛情』も見せたよね。アレの『皆殺し装置』が僕は好きでさぁ、」
「……何を、しようとしている?」
ああ、とアポロが呟きました。ゾーイは、まだ知らなかったっけ。と呑気に言って、端末を片手で操作すると、液晶画面に次のようなものを次々映して見せました。それは、北朝鮮の支援で中東に作られた原子炉、ソ連崩壊によって流出した核弾頭、ダーティボム――コンゴの川から採取したエボラウィルス、炭疽菌――ナチスの遺産であるサリン、VXガス――それから宇宙ロケット、などの映像を代わる代わる見せて、
「僕は核兵器(アトミック)、生物兵器(バイオ)、化学兵器(ケミカル)、といったABC兵器、それをばらまく宇宙ロケットを各地に所持している。といっても、今ここにあるのは、化学兵器くらいなもんだけど……ほら、『貧者の核兵器』ってやつ。――ま、正確にいえば、いつだって起爆させられる。今の時代、金さえあればどうにでもなるのがいいよね。アメリカの連中もイスラエルの連中も適当に媚びへつらっとけばどうとでもなるし、これくらいあれば、世界を根こそぎ平和に出来るはずさ。何故なら世界はAから始まるから! そしてZで終わる。僕らの世界は破滅に向けて、まっしぐら。ぼくたちはランボーや無敵のガンマンじゃあないから、弱いので、こうやって連帯して、ちょっとずつでも努力する必要があるってワケ。でも、僕たちがこうやって平和について考えている間は、どう平和にしようか、って考えてる間は、基本的にはあんまり使う気がないから、平和ではあるよね。よくSNSとかで先進国とかのやつらも勧誘するんだけど、わりと簡単に構成員になってくれるもんだよ。みんなもう、日常に飽き飽きしてると思うんだな。それに僕たちは何も、武器兵器を実際に持っていなくてもいい。ただ、そこにあるものを起爆させるだけでいい。各々が持っている妬み、嫉み、怨み、僻み、それと不安……それらの感情の導火線に、火を点してやるだけでいい。それこそが世界の終わりの始まりさ。――具体的には? そうだね、原子力発電所でも、核兵器廃棄所でも。なんだっていいのさ、僕らはただ淋しいだけだから、ひとりでも多く道連れが出来れば、それで。これは算数の問題だよ、ゾーイ。一人がひとりを個人的に殺すよりも、一人がたくさんの人間を巻き込んで、十人、百人と殺した方が、効率がいいってわけ。冷戦の雪解けの後には灼熱の戦争、死の灰(フォールアウト)が降り、それからまたきっと冬が来る。もう春なんて来やしない。――いいよね、青春のなかった僕らにとっては、とてもとても優しい世界だ」
と、無邪気にはしゃぐ子供みたいに言いました。ゾーイは黙って聞き流していましたが、ようやく溜息を吐いて、そして言いました。
「お前の話は、長くてよくわからん。世界がどうとか、そんなことを言われても荒唐無稽なだけだし、私にとっても、どうでもいい。世界が嫌いなら、自分ひとりだけ淋しく死ねば済む事だ。それでもお前が死なないのは、やっぱり自分の事が可愛いからだ」
ゾーイがそう言うと、アポロは、一瞬ぽかんとしたふうにして、それからガスマスク越しに笑って、それから言いました。
「――あはは! 確かにそうだね。ゾーイにはあまり関係の無い話だった。君にとって大事なのは、ムカつく僕が未だにしぶとく生きている事だったね」
アポロはそう言ってしゃがむと、麻酔で眠っている狼犬のカマルを撫ぜながら、先ほど弾き飛ばしたゾーイの回転式拳銃『ピースメイカー』を拾いました。その銃身を優しく撫ぜながら、アポロは言いました。
「生きる理由が欲しいだろ、ゾーイ? 例えば僕がそのひとつさ。僕が君を作った。君は、僕への復讐のためにここまでやってきた。まずそれにお礼を言わなくちゃね。――ありがとう、ゾーイ」
それから、アポロは『ピースメイカー』をゾーイに投げて寄越しました。それから再び言いました。
「ゾーイ。君は勝者だ。君は僕から自由を勝ち取った。紛う事なき、主人公さ。だから、僕の復讐相手の代表になってくれないかい?」
ゾーイは、黙って『ピースメイカー』を拾いました。アポロに『パラベラム・ピストル』の銃口を向けられながら、発射された一発の空薬莢を排莢して、弾倉に六発を装填し、それをゆっくりと右腿のホルスターにしまいました。アポロは、よかったぁ。断られたら、どうしようかと思ったよ。と、言いました。
「――ああ。今日は沢山話をした。今までの人生で、最高の日かもしれない。ちょっと疲れたけどね。分かってもらえるなんて、思わないけど。けど、ちょっぴりだけスッキリした。泣ければ、もっと良いんだけど」
アポロは、『パラベラム・ピストル』の蝸牛弾倉(スネイルマガジン)を外すと、通常の八連発の弾倉を装填して、左腿のホルスターにしまいました。それから、二人は狼犬を中心に、向きあいながら円を描くように、少しずつ距離を取りながら、ふと立ち止まると、アポロが言いました。
「――抜けよ。この世界では速い方が、数の多い方が、そして強いほうが生き残る。残念ながらそのルールに従おう」
二人はしばらく黙っていました。青白い光の下で、サーバーの駆動する音だけが響いていました。風は吹きませんでしたし、根なし草(タンブルウィード)も転がってはきませんでした。ゾーイの胸元には琥珀の宝石と孔雀の飾り羽根。アポロの胸元には、ピースマークのペンダントとハートマークの意匠。ゾーイの右腿には回転式拳銃『平和製造機(ピースメイカー)』、そしてアポロの左腿には、自動式拳銃『戦争に備えよ(パラベラム・ピストル)』。
 ふと、アポロが思い出したように、そして少しだけ嬉しそうに、ゾーイに向けて、こう言いました。
「懐かしいなぁ、ゾーイ。一緒に抜き撃ちの訓練をしたな。お前はみんなの中でいちばん速かった。今でも、それは変わらないか? お前はみんなのいちばん先頭を、いまでも走り続けているか?」

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