武装少女とステップ気候

8.ぼくら、二十一世紀の子供たち (5)

 雪は、しんとして積もっていました。迫撃砲を受けた野戦病院からは土煙が昇っていて、黒装束の軍団は、音もなく忍びよっていました。トヨタのピックアップ・トラックから増援部隊が降車して、荷台に積まれたブローニング重機関銃がガシャンと音を立てて装填されました。
 政府軍が上がってきました。何人かは五〇口径の掃射で身体を半分にしました。遅れて、装甲に煉瓦を金網で補強しているT‐54戦車がやってきて、主砲でトラックを吹き飛ばしました。すると黒装束の部隊は、RPG‐7対戦車榴弾のタンデム弾頭を後方からぶつけて、砲塔を吹き飛ばしました。
 それらはよくある日常の内戦の風景でありました。アノニマは、その光景を煉瓦造りの上から眺めながら、小競り合いの流れ弾が飛んでこないように警戒していました。左手の義手で拳銃の弾倉を握りながら、慣れない右手の、震える指で弾薬を込めて、それを『武装した人』に叩き込むと、ブーツの踵に遊底を押し当てて初弾を装填しました。
 冬の寒さは狼犬の毛皮のマントが守ってくれていました。雪は、触れると冷たいのだと、アノニマはそのとき初めて知りました。彼女は少しだけ感傷に浸ったように、右の手でその毛並みを撫ぜていましたが、階下が騒がしくなると、すぐに拳銃を構え直しました。
 ヒトが最後に罹る病は、死ではなく、希望という病気です。
 自分は、生き残るかもしれない。
 自分は、愛されるかもしれない。
 自分は、望まれた子かもしれない。
 自分は、選ばれるかもしれない。
 自分は、幸福になれるかもしれない。
 そういった無根拠の、なにか確信めいた幻想を消し去るように、戦車の無限軌道(キャタピラ)に巻き込まれて、赤ん坊の死ぬ音がしました。
 目の前の扉が開きました。彼らは手に迫撃砲を携えていました。それを設置するつもりだったのでしょう。アノニマは、拳銃を祈るように構えながら、引き金を叩き続けました。三人へ、二発ずつ。抑え込まれた銃声で、弾倉に三発を残して、一人生き残った男が居て、彼は回転式拳銃を抜こうかとするところでした。アノニマはそのまま突っ込むようにして崩れ落ちる死体をぶつけて、男を転倒させて組み伏せました。
 周りではそのまま静かに戦争が執り行われておりました。土を失くした芋虫が、コンクリートの建造物の淵を綱渡りしていました。
「――畜生が! いったい、誰だ、てめぇ、この餓鬼」
「人に名前を尋ねる前に、まず自分から名乗ったらどうだ」
そう言ってアノニマは男の小指にカランビット・ナイフの輪を引っ掛けると、梃子の原理でポキリと指の骨を折りました。叫び声は戦車の駆動音で掻き消されました。
「俺はモハメド……いや! ジョンだ、聖戦の(ジハーディ)ジョン! ブラッディ・ジョン・ポールだ、糞ったれッ!」
「ビートルズか?」
男の話していたのは酷いロンドン訛り(コックニー)でした。
「……どうでもいい……名前なんて意味がない。……アポロ・ヒムカイを、知っているか?」
「ああ、知ってるとも、だったら、てめぇはさしずめジェーン・ランボーか? ヒーロー気取りの、思い上りの異教徒の餓鬼が!」
アノニマは同じ方法で今度は男の薬指を折りました。男が黙るのを待って、そのまま尋問を続けました。
「……奴は、……どんなやつだった……?」
「……ああ、ああ。子供みてぇな声をしててな、頭から爪先まで、肌を一個も見せやしねぇ。……アステリオス、ミーノータウロス……糞暑いこの中東の砂漠で、ガスマスクを付けて。……いや、待てよ、――似てるぞ。おい、てめぇがアポロなんじゃ、」
少女は男の中指を折りました。男の目には痛みからか、涙が浮かんでいました。痛みの信号がすっかり叫び声に変換されると、
「それは私の欲しい答えじゃない」
アノニマはそう言って会話を打ち切りました。それから、男の落としたポリマーフレームの回転式拳銃を拾い上げると、尾栓を開いて357マグナム弾を一発だけ装填し、尾栓を閉じて男に銃口を向けました。
「おい、イギリス人。悪役は好きか?」
「…………」
男が黙っているので、アノニマはゆっくりと引き金を絞りました。ダブルアクションの重い引き金と一緒にシリンダーが回転を始め、チリ、とシリンダーストップがかかって静止し、撃鉄が落ちました。
「そのアポロからの直々の命令だ。お前たちはこれから西進する。――お前たちのことは、よく知っている。国境を、失くしたいんだろう? サイクス・ピコ協定によって定められた国境線を破壊し、イスラーム世界を統一し、新たな国家秩序を創造するのだと」
「お前は……誰だ? 『テロリストの母』のつもりか? 重信房子や、バーダー・マインホフのような?」
離散した(デジタル)信号によって制御される赤黒い甲蟲の義手の指が、彼を絞めつけました。世界にもともと国境はなく、連続量の相似した(アナログ)地平線であり、それは人にとって都合がよいので分かたれたのみの話で、パンゲア大陸がそうであったように、世界はひとつになるべき、と言えるでしょうか?
(さあ、目を閉じてください。そうしなければ何も見えないのです。フランソワーズ・アルディの壊れたレコードを流しながら、インド産の紅茶や、ブラジルのコーヒーを啜り、地球の裏側の事を想像してください。アフリカでは六秒に独り、子供が死んでおり、中東では宗教対立で、子供が銃を握り奴隷制が復活します。ほとんどの国では安全な水が飲めず、児童労働や戦争、貧困や疫病によって未来はなく、これは、ずっと昔から続いている子供たちの物語です)

 私と同じ年の子たちはみんな
 ふたり仲良く 並んで歩いてる
 私と同じ年の子たちはみんな
 幸せとは何か よく知っている
 手と手をとって 目と目をあわせて
 明日をも恐れず 愛しあい 進んでいくだろう
 ああ でも私は ひとりで歩く このこころに 痛みを抱え
 ああ でも私は ひとりで歩く 愛されない事 知ったから

 日々は夜のようで その境界(ちがい)は無くなり
 喜びはうしなわれ 哀しみだけが残り
 誰も愛の言葉を 囁いてはくれない

 私と同じ年の子たちはみんな
 共に歩む 未来の事を夢想してる
 私と同じ年の子たちはみんな
 「愛する」とは何か よく知っている
 手と手をとって 目と目をあわせて
 明日をも恐れず 愛しあい 進んでいくだろう
 ああ でも私は ひとりで歩く このこころに 痛みを抱え
 ああ でも私は ひとりで歩く 愛されない事 知ったから

 日々は夜のようで その境界(ちがい)は無くなり
 喜びはうしなわれ 哀しみだけが残り
 おひさま(ソレイユ)が 私に輝く時は 来るのだろうか

 私と同じ年の子たちのように
 愛とはなにか 知れるだろうか
 私と同じ年の子たちのように
 なれる日は やがて来るのだろうか
 手と手をとって 目と目を合わせる
 明日をも恐れぬ しあわせを手に入れられたら
 このこころの 痛みを失くし
 愛されると 知る日がやがて 来るのなら

 少女は再び引き金を絞りました。チ、チ、とシリンダーの回る音がして、再び撃鉄は虚空を叩きました。
「……どうでもいい。私は、フランケンシュタインの怪物だ。何にも属さない。誰にも属さない。自分自身にも、その過去にも属さない。私の歳や、生まれ、経歴、性別、人種なんてものは――意味を持たないものだ。それは、いつだって改竄できる。私はただ、ここに在って、そして言葉を操る。引き金を絞る。我々は、その為に受肉された一つずつの、離散した、孤独な魂だ」
「…………」
「お前たちに武器や弾薬が供与されるだろう。アポロが今までそうしていたように。それら武力は離散したお前たちを一つの力とするだろう。国境で隔てられた――イラクとシャームのイスラム国家を」
「その左腕……ハッド刑でも受けたのか? この穢れた盗人が」
「――そうだ。私は廃品回収業者(スカベンジャー)だ。お前らのような屑を集めて、役に立たせてやる。光栄だろう?」
「憶えたぞ。てめぇみてぇな異教徒の餓鬼も、女の腐ったような奴も、皆殺しだ。奴隷にして売り捌いてやる」
「いいぞ。私を追ってこい。ゴラン高原で待っているからな」
 アノニマはそう言って、男の首を機械の腕で羽交い締めにし、気絶させました。少女は、彼を殺しませんでした。
 銃声は散発的になり、戦闘は遠くに移行しつつありました。アノニマは双眼鏡を取り出しました。黒装束の集団は、小規模な戦闘に苦戦しているようでしたが、それは彼らがまだ経験の浅い新兵だからでした。白人や黄色い肌なども見受けられました。それらはみんなインターネットで啓発された、先進国の意識の高い若者なのでした。彼らは自己責任の名の下に、社会から支援を満足に受ける事もなく、失業し、恋人もなく、首を括るか、ただ無為な日々を過ごすか、という者たちばかりでした。そんな中で、先進国――西洋諸国の定めた『文明国』に、反旗を翻す集団に啓蒙されれば、簡単に黒に染まる。みな自分の領分を確保する為に敵が欲しいだけであり、彼らは先進諸国で培養されるホームグロウン・テロリストなのです。
――そんな彼らを責めることはできないだろう? とアポロが言いました。彼らはロンドンでもテロを起こした。みんな捌け口が欲しいんだ。政府による抑圧、規制、住民の貧困、若年層の失業、奴隷化……若者は元気があってすることがないから、殺人かセックスかドラッグか、というところに落ち着くんだろう。それは南京もソンミも、カティンもチベットもアウシュヴィッツも、――そしてそれらを取り巻く言説も、同じ事さ。みんなどこかで、何かで鬱憤を晴らしたいんだ。これは、すなわち自浄作用なわけだよ。
(捌け口にされた人間の気持ちを、お前たちには分かるまい)
そうだね、アノニマ。君は正しい。でも君だって銃を棄てられない。暴力から人を救う唯一の手段は、やっぱり暴力だ。そうでなくては、ヒトはレミングと同じ道を辿るのさ。
(……生存競争……そしてそれに伴う『事故死』?)
君も、自殺を考えた事は何度かあるだろう。自殺は敗北だ。我々はそう定義しなくてはならない。何故なら死ぬべきなのは他人であって、自分ではないのだから。そうしなくては、生きてゆけない。僕らは――その他人から、愛されなかった、選ばれなかった、望まれなかった子供たちなのだから。
――背後からロバの蹄の音が聞こえてきて、アノニマはハッと目を覚ましました。ヨーイチ、と呟いた少女は呆けたように黙っていました。自分が過去に犯され固執し反芻する、穢れた存在ということを改めて自覚させられたからです。
 血に塗れた、雛に成り損ないの茹で卵(ハードボイルド)が、ぽとりと白い雪の上に落ちました。それは初潮(ファースト・ブラッド)でした。
 アポロ・ヒムカイが言いました。
「人間は過ちを繰り返す。そうする事で物語が紡がれ続ける。自分本位の、独善的な物語が、子供たちが産まれ続ける。だから繰り返すんじゃない。僕はそれを、終わらせてあげようってワケ」
 痛むお腹と心を押さえて、彼女は指笛を吹きました。二階のヘリから飛び降りると、どこからともなく現れた蒼褪めた馬に跨りました。そしてアノニマは逃げました。ヨーイチは、アノニマ、と叫び、彼女を追いかけました。雪は、土と混じり合い溶けて泥と化していました。この内戦がいつまでも終わる事のないように。人々がいつまでも過ちを続けるように。そして物語に、いつまでも終焉が訪れないように。

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