見出し画像

お金配りおじさんが宇宙に行けたのは羨ましいけど歴史に残ることをしたのかっていうと違うよね

 お金配りおじさんこと前澤友作氏が無事に地球へ帰還してきた。

 無事に帰還できたことは喜ばしいことだし、身内が宇宙に行く立場だったとしたら無事に帰ってきてくれたことは安堵の材料でもある。ひとまず、その点に関しては当事者の立場に立つと非常に喜ばしいことだ。よかったよかった。

 ただ、今回、氏が行った宇宙旅行。それほど日本で話題になったのだろうか。いや、日本だけではなく世界中でどれほどのニュースバリューがあったのかと考ええると、大してなかったのだろうなと思わざるを得ない。宇宙からお金を配ったこと自体は初めての取り組みかもしれないが、正直なところ、それが歴史の一ページになったのかと聞かれればならないだろう。

 なぜ、氏の宇宙旅行が情報価値をもたらさなかったのか。そんなどうでもいいことを考察してみようと思う。

 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

▶︎ 前澤友作氏の宇宙旅行はニュースバリューがない

▷民間人による初めての宇宙ではない

 まず、これが大きいだろう。民間人による宇宙旅行は1990年12月に元TBS記者の秋山豊寛さんが行っている。こちらは日本人初どころか世界で初の民間人宇宙旅行者だった。

 それ以外にも日本人関連でいうと毛利衛さんが日本人で初のシャトルへ搭乗した。1992年9月のことである。日本人で女性初は向井千秋さんがが1994年7月に搭乗した。

 日本人として初めて宇宙旅行に行くこと自体は他にも若田さんや野口さん、山崎さんなどたくさんいる。そう、もう珍しいことではないのだ。

 それは日本人だけでなく、世界中の報道機関としても他の各国で存在する数多くの内の一人という認識でしかないのである。そうなれば報道するだけの価値があるのかと言えば、それほどないだろう。

 YouTubeやTwitterなどの企業は自社のツールを利用して発信をされることによって広報的な価値を見出すことができるだろうし、宇宙空間からでも技術的に発信することが可能であることを示せたことは大いに意義があるのだろう。

 しかし、それを知ったところで、別にこれまでだって中継をつないで食事をしたりする様子を映像を通して視聴してきた我々としては別に「わかっていること」なのである。

 つまり、氏のやったことは既視感のある誰かがやったことであり、宇宙旅行自体が「お金を払うことによって実現可能な身近なもの」だと認識された、それほど価値のない行動といえる。

 (もちろん、行けるだけの財力があることも、行動できるだけの時間があることも含めて羨ましいとは思うが、それだけだ)

▷ 歴史の一ページに刻まれることでもない

 既視感があることは上記したが、氏が行った今回の宇宙旅行で「世界で初めておこなったこと」は何か。それが歴史の一ページに刻まれる取り組みは何があったのかということだ。

 たとえば、上記した秋山さんは世界で初めての民間人宇宙旅行者だったし、向井千秋さんは日本人女性初の搭乗者だった。若田光一さんは日本人初のISS(International Space Station : 国際宇宙ステーション)に長期滞在し、土井隆雄さんは日本人で初めて船外活動を行った。

 この中で歴史の一ページに名を刻むのは秋山さんだろう。

 何せ、世界で初めての宇宙旅行者なのだ。この人が宇宙に行くまで誰も成し遂げていなかったのである。間違いなく歴史の一ページに刻まれるものだ。僕も小学校の時に社会の教科書で目にしたのをよく覚えている。

 では、今回の氏が行った宇宙での「お金配り」は(お金贈りというらしいが)歴史の一ページに刻まれるべき事柄なのかといえば、そうではない。これまでも宇宙に飛んでいった金萬者は他にも大勢いる。ここまで日本人のみに限定したものは初めてだろうが、それを歴史に残る偉業だといえるのかといえば違うだろう。

 それは道楽であり、承認欲求を満たすために行う享楽である。

 仮に氏が歴史に残るような偉業を達成する可能性があったのだとしたら、日本人が制作した民間旅行ができるロケットの開発などを行った、などだろう。これは現状ホリエモンこと堀江貴文氏が取り組んでおり、2021年8月に宇宙空間に到達している。

 Amazon創業者であるジェフ・ベゾス氏のブルーオリジンや、テスラ創業者のイーロン・マスク氏が立ち上げたスペースXなど、長者人はすでに宇宙旅行ビジネスを手がけており、前澤氏のようなお金持ちを「宇宙にあげる側」として動いている。

 そう、すでに「宇宙に行くこと」は珍しいことでも何でもなく、ビジネスとして成立させることができる「商売」になっているのだ。そうである以上、氏が宇宙に行くこと自体にニュースバリューがないのは当然なのだ。

▷ ホンダのF1優勝の方が価値がある

 同時期、F1でホンダがメルセデスの牙城を崩し優勝するというトピックがあった。所属するフェルスタッペン選手にとっては初の総合優勝となり、Honda F1としては1991年のアイルトン・セナ選手での優勝以来30年ぶりの栄冠と勝ち取ることとなった。

 Formula 1の公式Twitterアカウント(@F1)が最終ラップの様子を動画でアップしているが、クルーたちの様子が生々しく確認できることもあり、非常に興奮する内容になっている。

 これはホンダがF1の舞台から完全に撤退することと、その理由にもなっている通りカーボンニュートラルを目指す上でF1のような化石燃料を使いまくるスポーツは退廃していくことを考えると、歴史に残る出来事であったといえる。

 前澤氏の宇宙でのお金配りよりもホンダのF1優勝がニューストピックとして価値のあるものであったと言えるのは、ホンダがF1への参入を果たした頃からアイルトン・セナの事故死、撤退からの復帰、そこからの活躍など諸々の前提条件が揃っていたからだと言える。

 どう考えてもお金配りおじさんには前提条件は「金」以外にないため、そこに歴史の一ページに刻まれるだけの価値があるのかと言えば、どう考えてもないのだ。

 しかし、何度でもいうが、そこに至るまでの財力を確保できていることや、ビジネスを起業し売り抜けることまでやり遂げられ、それ以上に自己の承認欲求を満たすためにお金を配ることを何の躊躇もなくできることは本当にすごいと思っている。羨ましいのだ。

 仮に同じような状況になったとして、僕が承認欲求を満たすためにお金を配るのかと言えば、できないしやらないだろう。そこまでして得たいものは承認欲求ではない。

 こんなところで。

 ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 今回のnoteに関連する紹介したいnote

▷ 著者のTwitterアカウントの紹介

 僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。



最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!