効率化・合理性の追求・生産性を向上させた先を考えてるのか
「効率化」「合理的」「生産性の向上」って言葉を使うと、何だか頭が良さそうに思えるので使ってみました。だって、そんなことを書くと、意味のありそうな内容を書いてる人みたいに思えませんか。
ただの言葉遊びになってしまってはもったいないのですが「働き方改革」なんてのが唄われるようになってから、やたらと残業や休日出勤やらに世間的に厳しい目を光らせるようになりましたよね。
それまで言ってなかった人たちも、「空気感」ができたことによって一斉に声に出しはじめ、行動をしはじめたところだと思ってます。
すると、それから外れているような働き方・働かせ方をしている企業や個人に対してネガティブな感情を想起させながら「社畜」「ブラック企業」なんてレッテルを貼り、あわよくば否定対象としてみられるようになっています。
果たしてこれが健全なのかといえば、「そんなこともないよなぁ」と思いつつ、割と一生懸命にやってるだけの人たちが非難を食らっては肩身の狭い思いをしている情景も目に浮かんだり…
まぁ、あとは、ツールやサービスを導入して、もっともっとみんなが働きやすい環境を整えましょう!企業としては、その環境を整える必要があります!その為にはITの活用が不可欠だから国として補助金出します!
…なんて具合に動いたりしてますが、その先にあるのは何なんでしょうか。
効率的に働けるようになったり、
合理性を追求できるような思考になったり、
それらを駆使した結果、生産性が向上したとして、
その先に何をみてるんでしょうか。
僕ね、思うんですよ。
大体の人はそこまで見てないんじゃないかなぁ…って。
別に否定するわけではないんですよ。
僕だって、個人的に導入してるツールだってあるし、家計のためにアプリを使ってます。その他にも自分の声を拡声させる意味でのSNSだってツール・サービスな訳で、それを駆使することによって生活が変わりましたし、豊かになった実感がありますから。
ツールやサービスを導入しようってのは否定のしようがないんです。
いくらダメなツールであったとしても、それって使ってみなければ便利かどうかもわからないし、使ったことがなければ否定のしようもないんだから、使ってみる他にないと思います。
そして、導入しようとしてる人たちは、一生懸命に考えて、社会的な空気も感じていて、ちょっと強迫観念的にせかされるような気持ちを抱きながら、導入を決めたのだと思うし、決めるんだと思うんです。
一生懸命なだけなんですよ。
けどね、導入したところで、その先にある、いや、もっともっと根本的なところにある「生活」をみてないと、誰のためにもならないんじゃないですか。
会社が導入して満足すればいいってものではなくて、
経営陣が導入を決定し、本当に納品されて使いはじめたらいいものでもなくて、
社員の人たちが仕事の手間や工数が改善されるだけでもダメなんですよ。
自分がどう生活したくて、そのためにはどんな仕事が良くて、その中で我慢できるところと譲れないところがあるけど天秤にかけながら考えているのかどうか。
ただ単に効率的に、合理的に、生産性を向上させたところで「あなたはどうなりたいんですか」って質問に答えられないと、誰も幸福にならないんじゃないかなぁ、と思ってます。
それとも、みんなはすでにそれを気づいていて、行動しはじめてるのかな。
いや、なんか違う気がするなぁ。
もっと、「自分」と「他人」を分けて考えたほうがいいと思う。僕はね。
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