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影ぞあらそふ

梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ
定家

袖の上で今たいへんなことが起きている。梅の香の漂う、うっとりする早春の夕べ。月が煌々と照らす。と、袖に目を落とすと、匂いと月影があなたの袖を奪い合ってるじゃないですか。いいんですか、こんなことしてて。そうね。じゃ、どうしたらいい?ていうかんじの会話をG線上のアリアかなんかにミックスしたらどうだろう。

学生の頃、友達に、物語のダイジェストを語る天才がいた。あるとき、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』を語り始めた。すごい長編のはず。その名場面を、もしかしてノーベル文学賞もらってる原作よりいいんじゃないかっていう感動短篇にして15分で語ってくれた。四代にわたって栄華をきわめた一族が没落していく。はじめの二代は商才に長けていた。三代めが事業をしくじり、四代目は遂に音楽の才能しかなかった。屋敷の壁は崩れ、屋根も落ちたかつての大広間で、一人ピアノに向かい、「月光」を弾く。その青い光と音色にまぎれるかのように座っている一人の客がいた。藤原定家。ドイツ語に誰か訳してほしい。「軒もる月の影ぞあらそふ」。

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