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第13話| 身心の使い手になる

「もちゐず」、いまいち受けなかった。

「ゐ」が流行って、「今日、ゐる?」「ゐるよ!」ってみんなが言いはじめ、平安時代の日本語が復活する。サッカー部は蹴鞠部になり、応援は雅楽でやる...っていう予想はあっさり外れた。人生はきびしい。

いいこともある。最近、昼休みに校庭の隅っこでダザイと話してると「なにしてるの?」って、他のクラスの子とか先生とかが来る。先生だって知らないことはいっぱいある。そうするとダザイが教えてあげる。

ナツメ先生がダザイに授けた能力はもう一個ある。それは同時通訳。最強じゃない?さっそく今日のとこで試してみよう。

身心を挙して色を見取し 目と心で色を見て 身心を挙して声を聴取するに 耳と心で音を聴いて したしく会取すれども よく理解しようとするけれども かがみに影をやどすがごとくにあらず 鏡に影を映すようにはならない 水と月とのごとくにあらず 水に映る月のようにはならない 一方を証するときは一方はくらし 人間の認識はいつだって部分的だ

ダザイ、すごい。

AMM。

朝飯前ね。ちょっと聞くけど、「身心」がどうして「目と心」なの?

翻訳って、意味を訳すんだ。文字を訳すんじゃない。見るのも、聴くのも、フィジカル=身とメンタル=心の両方を使ってるはずだ。この場合、目と耳でフィジカルの方を代表してるわけだ。

そっか。

それから見取・聴取の「取」は英語の接尾語みたいなものだから、訳すほどの意味はない。

ただ見る・聴くってことだね。それはわかった。「したしく会取」がなんで〝よく理解する〟になるの?

「したしく」は近いってこと。「会」は〝わかる〟。至近距離からなら、よく理解できそうだろ?

でもじつはよく理解できない。人間の身心は鏡とはちがうんだ。

そう。全部がクリヤーに映ることはない。どっか必ず不鮮明だったり、歪んだりしてる。

ねえダザイ、こないだ「身心はツールだ」って言ったよね?

言ったよ。「自己はツールだ」って言ったんだけど、まあ、同じことだ。

完璧なツールって、ないだろ?

うん。人はただ、与えられたツールを使いこなすしかない。

お父さんが前に話してたんだけどさ、中国に昔、弓を使わない弓の名人がいたらしい。

弓なしで、どうやって矢を射るんだ。

「不射之射」っていうんだ。

(つづく)

挿し絵|富澤大輔

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