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noteをお休みした理由と今後の方針について

こんにちは、お久しぶりです、土下座最中です。

ここのところ更新をやめて、しばらくnote断ちとX断ちをしていました。
その間も記事を読んでくださったり、スキボタンを押してくださった方々、ありがとうございます。

今回はなぜ急にnoteをお休みしたのか、それを書いて行こうと思います。


なぜ毎日更新をやめたのか

毎日更新にこだわった理由

毎日投稿というほど長く続けてはいませんが、50日以上は毎日投稿の表示が出ていました。
確か51日続いたところで、一旦お休みしました。

毎日投稿はいろんなnote運用法について書かれた記事や書籍で勧められていましたし、私も毎日投稿を続けることで自信を持ちたいと思いました。
なので、書いた日記を翌日にあげたり、記事を書けなかった日はつぶやきで繋いだりと、あの手この手で毎日投稿という“箔”を自分につけたかったのです。

手段と目的が入れ替わる

そして、これは本当にお恥ずかしい理由なのですが、途中から毎日投稿のバッヂ目当てになってしまっていました。
投稿して、何日連続と出ると「私はこんなに続けられてる」と自信になると思い込んでいました。

自分はこれだけ頑張れるのだから、決してダメな人間じゃない。
その毎日投稿のバッヂが私を肯定してくれると思っていたのです。

段々と更新が義務化、そして重荷に……

ところが毎日投稿することに拘っているうちに、今度は「早く更新しなきゃ、毎日投稿が途切れる」というプレッシャーに変わってしまいました。
そして前日の日記を翌日にあげるような「1日分の日記のストック」を使って安心していました。

毎日投稿の日にちが途切れていないのを見てはホッとするということをしばらくしていました。
ところが、そうしてプレッシャーを感じて、追い詰められながらnoteを続けることについに限界がきてしまいました。

「これ以上、自分を追い詰めたら、二度と戻ってこれなくなる!」

せっかくフォロワーさんが増えて、記事を読んでくれて、スキをしてくれる人がいて、いきなり更新を止めていいか悩みもしました。
しかし、自分を追い詰めて更新していくのはもう限界だったので、ある日からnoteを書くのも、そして見るのも、ぱったりとやめてみたのです。

いきなりで驚いた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんでした。

誠実でありたい

このまま無理して苦しいまま記事を書き続けて、そんな苦しい思いの記事を皆さんにお見せしていいものか、というのも感じていました。
記事の中ではなんてない風を装って、それは偽りの言葉なんじゃないかと思いました。

私はnoteでは正直に生きたい。
noteは心を開放する場所にしたいと思っていたのに、いつのまにか人の目を気にしてちゃんと心からの言葉を書けてないんじゃないかと思いました。

それは誠実ではない。
私は自分の書く文章に誠実でありたい。
それも、一度立ち止まる理由になりました。

無理をしてしまっていたこと

交流することは私の楽しみ

交流(と呼べるほどかはわかりませんが)させていただいているうちに、スキやXでのリポストやいいねをよくするようになりました。

ありがたいことに、私の記事やポストにスキやいいねをくれる方もいました。

コメントをくださる方がいて。
私もたまに記事にお邪魔してコメントさせていただいて。
そのコメントのやり取りで少し人との交流というものを感じて。

本当にありがたいことです。

自分を苦しくしてしまった部分

私は本当にいいと思ってスキやいいねを押していました。
ところが途中から「スキしてもらったんだから返さなきゃ」「いいねもらったから押さなきゃ」と、いいと思っているにプラスαで義務感を感じてしまいました。

もちろんスキやいいねをもらって、その人が気になって見に行って、いいなと思ったらスキやいいねを押すのは私は苦ではありません。
コメントをもらうこともうれしいですし、いろいろ交流させていただいて、本当に楽しいのです。

ただ「してもらったんだから」「返さなきゃいけないから」という意識がどこかで芽生えてしまいました。
何事も義務になると急に苦になるもので、私は返さなきゃ返さなきゃという自分勝手な義務感で、自分で勝手に苦しくなっていったのです。

どれひとつとして逃したくなかった

また中途半端に完ぺき主義なので「フォローしている方の記事は全部読まなきゃ」と、これも勝手に義務化して苦しくなってしまいました。

そもそもフォローしている人の数も多くなってきて、フォロワーさんも多くなってきて、すべてを読んでスキを押すなど、時間的にも私の体力・精神力的にも無理になってしまいました。

それでも、一つも逃したくない私は「あれもこれも読まなきゃ」「あの記事まだ読んでない」「今日はnoteのアプリ開いてない」などと、どんどん自分を自分で追い込んでしまいました。

この方の記事は絶対全部読もう、やっぱりいい記事だからスキしよう、と思う方も何人もいらっしゃいました。
そういう方からスキを押していただけることもありました。

本当にいいと思って、その人のファンになって、記事を読んでスキを押していたのですが、一つとして逃したくない私は少しでも記事に対してスキが遅れると負い目のようなものを感じてしまいました。

人からの好意を素直に受け止めきれなかった

また「スキもらったんだからスキを押しに行かなきゃ」と人の好意をプレッシャーに感じてしまっていたのです。

これは本当に申し訳ないとともに、反省すべきことだと思っています。

スキを押してくださった方は、私の記事を読んで何かがいいと思ってくださったからスキを押してくださっているのに、私はそれを返さなければ失礼なものだと思い込んでしまいました。

そもそも、このスキのシステムは本当にいいと思ったら押すものだと思います。
もちろん、交流があったり、この人の記事は好きだからスキを押したい!と常連みたいになったり、そういうスキのやり取りも楽しいです。

ですが、私は「スキをもらったら必ず返さなければ失礼」という、好意でスキを押してくださった方に対して失礼な考え方をしてしまいました。

「もらったんだから返さなきゃ」という義務感にまみれた考えは、スキを押してくれた方にも、私がスキを押した方にも失礼なのをすっかりと見落としていました。

自分のペースを守れなかった

noteは本気でやりたいことのうちの一つです。
ですが、それはあくまで自分の体調や精神面の健康が守れてこそだと思います。

更新が途切れたらどう思われるか。
スキをしなかったらどう思われるか。

そうやって人の目ばかりを気にして、自分のペースでないスピードでnoteを読んだり書いたりしているうちに、とうとう自分の心にほころびができてしまいました。

そして取り返しがつかなくなる前に一度離れようと思ったのです。

本来の目的を思い出す作業

初心に帰る

もともとnoteを始めた目的は、自分の現状を隠さず話せる場所が欲しかったのと、自分の病気、そして自分という人間を理解してもらうためでした。
そして社会に出ることがなかなかできない私がつながりを求めたのがnoteでした。

「自分の病気に対する理解者を増やす」
「それを通じて自分を理解してもらう」
「自分を理解してもらったうえで交流させてもらう」

これが最初にnoteを始めた目的です。

そりゃあ、始める前はあわよくば収益化とも考えましたが、始めてみれば収益化も霞むほどの楽しいことがたくさんありました。

記事を読んでくださった方、スキを押してくれた方、コメントのやり取りをさせていただいた方、Xで反応してくださった方、いろんな方に感謝でいっぱいです。

noteを書くことの意味

noteは愚痴をこぼしたり、日々のこと・その時の心象を書き留めたり、またいろんな方の考えに触れたりする場所にしたいと思っています。

そしてnoteには、自分の記録をつける、それを振り返って自分がどう変化したかを知るという、日記帳に任せていた役割も担ってもらいたいと思います。

その時にどういう反応をもらえたか、どういう交流をしたか、あるいは何もなかったのかも含めて、私のnote生活だと思っています。

そうして自分の記事を書いて、人の記事を読んで。
自分を理解してもらって、人を理解して。
その結果、私に興味を持ってくださった方と交流させていただけたら最高だと思っています。

自分のペースで

note攻略法などの記事や本を読んでみると、毎日更新やマガジンの充実、定時に更新など様々なことが書いてあります。
私もnoteを始めるにあたって、note運用に必要なことだろうと、そういう記事や本を読み、実行しようとしました。

しかし、noteで自分の人生を広げたいと思っていても、無理をして体調や精神を壊せば本末転倒。
本当にやりたかったことから離れて行ってしまいます。

今回も実際に無理がたたって、一時完全ストップという形になりました。

私がしたかったことはnoteを書く習慣をつけることで、毎日更新ではありません。
習慣になって、毎日更新のバッヂがもらえればラッキーくらいに思っていなければいけなかったところを、思い切りはき違えました。

毎日更新という言葉にとらわれ、カッコつけていたら、ほころびが出るのも当然です。

そこで今回のように一度立ち止まって、書くことの意味などを考えました。

初心に帰れば、思っていたことは難しいけど難しいことじゃなくて、ただ知ってもらいたい、知りたいという気持ちが原点でした。

これからは記事やマガジンの充実とか、毎日更新とか、そういうことにとらわれずに、自分のペースで発信していけたらと思います。

最後に知っておいてもらいたいこと

スキをくれたあなた、スキをしに行ったあなたへ

この記事でも書いたように、私は本来、人の記事を読んでスキをしに行くのが大好きです。
ネット越しで顔も本名も知らない人が多い中で、その人の考えていること、生活、人となりが見えてくるのがとても楽しいです。

また私の記事にスキをくださった方には、私がその方の記事にスキして興味を持ってくださった方もいると思うし、たまたまたどり着いてスキをくれた方もいると思います。
私に少しでも興味を持ってくださって、本当にありがとうございます。

スキを押さなくても、記事を読んでくれた方、Xでリポストやいいねを押してくださった方にも感謝しています。

これまで、記事を投稿されるたびに私がスキをしに行っていた方、そしてスキを返してくれた方も、本当にありがとうございます。

私は皆さんが大好きです

本当は、フォローしている人全員の記事を全部読みたい。
読んで、いいなと思ったものにはスキを押したい。
この人の記事なら全部読みたい、そしてスキを押したい。

そう思っているのですが、私にはすべてに反応することができません。
もっともっと、noteに時間を取りたいと思っていても、なかなか時間を割けないこともあります。

これからは読める範囲で記事を読んで、スキを押しに行きたいと思っています。

またnoteやXでの反応も、できるときは反応したいと思いますが、できないときもあるかと思います。
そういう時は「ああ、いまは土下座最中は反応できないんだな」と思っていてください。

決して、皆さんのことをないがしろにしているわけではありません。
時間的に、あるいは体調的に反応できないことが多いのです。

今までは多少の無茶をしてでも、すぐに反応しなきゃ、すべて目を通さなきゃと、頑張ってきました。
その結果、無理がたたってnoteを嫌いにまでなりかけました。

今回は少し離れて、落ち着いて考えて戻ってこられそうですが、今後は今回のように完全ストップという事態にはしたくないのです。

これからは自分のペースで無理や無茶のないnote生活を楽しんでいけたらなと思います。

私に「何かアクションしたのに何も返ってこないよー」ということもあるかもしれませんが、それはあなたを大切にしてないわけじゃありません。
ただ、その時は私は私を大切にしているのだと思って、温かい気持ちでいてくれると嬉しいです。

自分にも皆さんにも、一番誠実なのはnoteを続けること

私は書くことが好きです。
日記帳にしても、小説にしても、詩にしても、noteにしても。

そしてそんな自分に一番誠実であれるのは書き続けることだと思っています。

「書くこと」と「書くことから得られること」を大切にしていきたい。
今回のように「書くことで大切なものを見失う」ことは、もうこりごりです。

それでも同じ過ちを繰り返すこともあるかと思いますが、それでも誠実であろうとすれば、書き続けるのが一番の誠意だと思っています。

長々と書きました。
あちこちにとっ散らかって読みにくい文章だったかもしれませんが、これが今の私の思いです。

これからもnoteを続けていって、それで仲良くしてくださる方がいれば、それはとても幸せなことだなと思っています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

もし、記事を読んで「サポートしてみようかな」と思ってくださった方、お気持ちだけでもとてもありがたいです。ありがとうございます。 サポートしていただけましたら、その費用は今後の執筆のための環境改善費用に充てたいと思っております。