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20240217・書くことを続ける


最近書くことのハードルを上げすぎている

最近、noteを開いてはマガジン記事の執筆にいそしんでいたのですが、どうも自分で自分の書くことに対するハードルを上げすぎているように思います。

こんにちは、土下座最中です。

「マガジン記事ともなれば、きちっと書かねば」
「病気のことを書くのだから、正しく書かねば」

こんな考え方で、日々マガジン記事をコツコツ書いていました。
ちょっとここ数日は、生理中の体調不良で書けていませんでしたが、今週中に何とか公開を!と思っていました。(それはちょっと無理っぽいですが)

このきちっととか正しくとかは、誰にとってのきちっとで正しくなのだろう?

そう考えると「これって私の独りよがりでは?」と思いました。

いくら長文の(自分では)内容の充実した記事を書いても、ある人から見れば、もう知っている内容でためにならなかったり。
いくら正しくとはいっても、私自身当事者であるだけで、専門家ではなかったり。

結局、私個人でできることには限界があるのだと思います。
それこそ、私の書くマガジンに出版のプロである編集さんがつくとか、専門の先生が監修につくとか。
そんなことでもない限り、私が書く文章は”きちっと”でも”正しく”でもないのです。

それを、何を肩肘張っていたんだろうなぁ、とたまった日記の空欄を埋めながらぽつぽつと書いていたら「これを書けばいいんだ!」ということで、今パソコンに向かっております。

書くことを続けるのは一つの才能

例えば、作家さんの小説講座みたいな本を読んだとき、ある作家さんは「作家になるなら毎日最低原稿用4枚分は書きましょう」と書いていました。
毎日最低1600字、1枚分増えますが切りの良いところで言ったら2000字。
これくらいは書けないとプロの作家として生きていくのは厳しいとのことです。

つまり、多くのnoteクリエイターさんがやっているように、毎日2000字程度の記事を1つ更新するのと同じことです。
クリエイターさんによっては、もっと多くの文字数で1日に複数記事書いてらっしゃる方もいます。

私には統合失調症という病気があり「毎日更新せねば!」なんて思えばプレッシャーで病状を悪化させかねないのですが、現実的にnoteや書くことで周囲に何か影響力を持とうと思うなら、それくらいはやらなければならないのでしょう。

特に文才があるわけでもなく、記事の構成力もない私がnoteで何かを伝えたいのなら、それくらいするべき(べきって言っちゃいましたね)なのでしょう。

もちろん、もう自分にプレッシャーをかけて自分でつぶれるようなことはしたくないので「べき」という考え方はしない方がいいのでしょうが、これが世間一般で通用する最低限のレベルなのだと思います。
そしてそれを実際にやってのける人数は、とても少ないのです。

質が量がとよく話題に上りますが、量もこなしていないのに質が上がるはずがないんです。
質ばかり重視してなかなか記事が書きあがらない、長編の小説も完結したことがない。
私の中途半端な完ぺき主義の最も悪いところだと思います。

今までほぼ毎日日記を書いていて、体調が悪い日に書けなくて1日でも空くと、書き方を忘れてしまいます。
それくらい当たり前のことにならないと、習慣とは呼べないのでしょうね。

私は甘えているのだろうか?

もちろん、統合失調症が甘えからくる病気でないことは私も重々承知です。
統合失調症は本で読む限りは、脳内の分泌される物質のバランスが崩れることによって引き起こされる病気。
つまり「心(精神)の病気」とは言われていますが誤解を恐れずに言うと「脳の病気」でもあるのです。

脳の病気である以上、自分でなんちゃらいう分泌物をコントロールできるわけもなく、薬に頼る、カウンセリングに頼る、その他の治療法に頼る、リハビリに頼るなどとして少しずつ寛解に近づいていくのが王道の治療でしょう。

ただ以下の記事を書いて固定記事にしていることで、自分が言い訳しているのではないかと思うときもあります。

もちろん、この記事に出てくる言葉は、苦しかった時期を乗り越えてnoteを続けるために書いた本物の言葉です。
ところが時々、自分がこの記事を免罪符にしてしまっていないだろうかと思ってしまうときがあります。

少しくらいはこだわりを捨てて、こだわって書きたい

「note(特にマガジン記事)を書く以上は、人のためにならなければ」
「何か有意義なことを、学びのあることを書かねば」

この、いつの間にかできてしまった「こだわり」が私自身のnoteを書くハードルを上げてしまっていました。

たぶん、多くのnoteクリエイターさんがそうやっているから、私もそうせねば!とここでも義務感の発生です。

そうじゃなくて、上に貼った記事内にあるように「私がしたかったことはnoteを書く習慣をつけること」です。

それは自分で公開していない記事を書き足したり編集したりするのもそうです。
日記帳だったり、他のSNSであったりもそうです。
しかし、そもそも公開しなければ読んではもらえないのです。

変な義務感の「こだわり」は捨てられるなら捨てて。
どうせ持つなら書くことを続けるため、読んでいただくための「こだわり」を。

まあ、しんどくなったら潔く休ませてはいただきますが。笑

これは他のSNSでも言えることですね。
この前Instagramの投稿では、1週分空きましたが、その後まとめて更新しました。

しんどくなったら無理はしない。
これが一番こだわりたいことかもしれませんね。

とまあ、つらつら書きましたが、これからはもう少しnoteに対する自分の中のハードルを下げていきたいなと、それだけのことです。笑

今日はこの辺で。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

もし、記事を読んで「サポートしてみようかな」と思ってくださった方、お気持ちだけでもとてもありがたいです。ありがとうございます。 サポートしていただけましたら、その費用は今後の執筆のための環境改善費用に充てたいと思っております。