見出し画像

RDR2感想

 自身の生い立ちや過去というものは、日々を記憶して生きる「人間」という生き物である以上、影のようにどこまでも付き纏ってくるものだ。そして己がそれを後ろめたく思うほど、忘れたいと思っていればいるほど、不思議とその色は濃く深くなっていってしまう。
 私にとってはそんな残酷な事実を再認識させられたのがこのRedDeadRedemption2というゲームで、その読後感と言うべきか、あと味は凄まじいものであった。

 主人公のアーサーは生粋の荒くれ者で、生涯のほとんどをダッチ率いるギャンググループの一員として過ごす。ボスや仲間から命じられれば、荷物運びだって人殺しだって、多少文句や皮肉をたれつつもなんでも引き受ける、頼れる男だ。
 そんな彼はゲーム終盤で体調を崩し、当時では不治の病とされた結核にかかってしまう。だんだんと前までのように無理はできなくなって、そこで彼はようやく自分が今まで人々に何をしてきたのか、彼の病の進行速度のようにじっくりと知っていくことになるのだった。

 このゲームのすごいところは、なんでもかんでもアーサーを通してプレイヤーに共感させてくるところである。秀逸なグラフィック表現によって雄大かつ神々しい自然をこれでもかというくらい描き、主人公アーサーはプレイヤーのスティック操作の導きによってそんな風景を言葉無く見つめては、翌朝になると、こっそりと鉛筆で描かれたスケッチを日記に残してくれていたりする。
 そして終盤、アーサーが結核にかかると、ゲーム前半では息があがらなかったような戦闘シーンでゼエハアと苦しそうにしていたり、粗食になって、痩せ細っていく。プレイヤーは、他のゲームではなかなか見ることのない「終盤になるにつれ主人公が弱くなっていく」という現象に直面することになる。
 プレイヤーがストーリーを進めて敵を倒し、アーティファクトや武器、経験値を入手して主人公がレベルアップする。それによって今まで倒せなかった強敵はおろか、魔王でさえ倒して平穏を手に入れる…というのはオーソドックスなRPGの流れだ。このゲームはその逆を行き、精神的にも肉体的にもどんどんと弱くなっていく主人公をプレイヤーという超至近距離から見せつけることによって、他にはない強い共感を伴ったゲーム体験をもたらしてくれていると思う。

 ストーリーの終盤以降の流れも、非常に心に来るものがある。彼は前述した通り、荒くれ者として自身とグループの「正義感と信条」に従って、文字通りなんでもやってきた。終盤のサブクエスト群は、それらが持つ意味について語りかけてくるものが多い。
 アーサーは身近なものから承認を得て、笑顔を守り、義賊的な信頼を得るために仕事をこなしてきたが、周りの人から見ればそれは違う。殺された男の家族から見ればアーサーはどう改心しようとも永遠に悪魔だし、街で彼に助けられたシスターからしたら、彼はずっといい奴のままだ。

 森で困っていた未亡人や、狩りの趣味が合う義足の元軍人は、口を揃えてお前は良いやつだと言うが、アーサーはいつもそれを苦笑いで否定するのだった。
 この苦笑いは、アーサー自身がそちら側に行く権利があるのか判断に迷っているようにも見えた。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?