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無題

 かつて車は空を飛んだが、いろいろあって人類の移動手段は馬に戻った。まあ、いろいろといっても、成り行きについてはきわめて単純だった。みんな車のことが怖くなったのだ。そうなってからは、黒電話のダイヤルが正位置になるように、スムーズだった。  人数についても、1兆人はやっぱり多いという事で、500人ほどになった。これほどになると、日常生活で滅多に他人に会うことはない。それでも人類同士のつながりが前より密接になることはなかった。遺伝子の拒絶反応に大人しく従って、個々で生活するまでに

        • プール

           平泳ぎの時間は僕にとって、個人的な思考の時間だ。右の列ではクロールやバタフライなんかで忙しなく賑わって、子供たちはその有り余るエネルギーを空気全体の熱っぽさへと変換させていたが、僕はというとそれらの1/3くらいのリズムで水をゆっくりかき分け泳いでいた。窓の光があまり届かない一番左端に存在する列は、ほぼ僕一人の専用スペースとなり、そしてそのことに誰も気が付いてはいないようだ。  他の泳法に比べると、平泳ぎからは永遠の香りがする。まず息が上がらないし、ゆっくりとターンをきめれば

          覚えておきたい夢の内容

           ゴールデンレトリバーの赤ちゃんはチョコチップクッキーの生地(まだ焼く前でデロデロのやつ)に似ている。色合いはもちろんのこと、なんだか他の部分にも共通項があるような気がする。生まれたて特有の甘い雰囲気や、輪郭のテキトーな感じなど。夢の中で車を運転していた。ハンドルはゴツゴツとしていて、プラスチックのような合皮のような、長く握っていると体温が伝搬する素材で作られている。雲一つなく、100均えのぐの「あお」みたいな空のもとで、右足をアクセルに、左足をあぐら未満みたいにして(これは

          覚えておきたい夢の内容

          無題

           牛丼屋の室外機が苦手だ。それから絶えず放出される塩と肉と油の香り、生温い温度を感じるたびに、あの日のことをどうしようもなく思い出すからだ。某月某日、千葉の平凡なニュータウンでのことだった。なんの不条理についての説明もなしに、後にプレデターと呼ばれる、どの種類にも属さない生き物が大量発生し、そこの住民の大半を食い殺す、という事件が起きた。  プレデターは蚊が突然変異したものだという意見もあれば、いやあれは豚と人間が何がしの陰謀によって交配されたものだという意見もあった…もっと

          無題

           天国に向かうのがバスなのだとしたら、地獄に行くのはタクシーだろうというムードがある。  己のこめかみに突きつけながら引いたトリガーの行方は空ぶったのだろうか?現に俺は今もタクシーに乗っているようだ。不審に思って大声を出そうとおもったが喉からはつっかえるようになにも響かない。だくだくと血は流れるのにまったく痛くないことに気付いた。そうか俺はもう死んだのだな。見知らぬ運転手の顔はバックミラー越しに画質を落としてモザイクのようになっている。暗いトンネルの道路照明はオレンジ色に、

          仕分け

           以前住んでいたアパートの目の前に信号機があった。横断歩道付きの、ボタン式のものだ。僕の住んでいた街は片田舎もいいところで、しかもこの住居はその中でも結構なはずれの方に建っている。危ないことに、街灯もろくに用意されていないものだから、寝る前に部屋の電気を全部落としてしまったりすると、ここ一辺の明かりという明かりは信号機の伝える赤と青、それと月明りのみに支配されることになった。  カーテンを閉め切っても、どこから滑り込むのかその原色の光はちらちらと部屋に映る。あんな夜中じゃ誰も

          ないぞう

           化学教師の柏先生は暗がりにあるうろのような目を持っていて、そのせいか周囲には常に、言外に人を遠ざけるような雰囲気が付きまとっていた。  美術室で沈黙する石膏像のような、公式通りの端整で無駄がない顔立ちは、目元の深い隈に汚されてなんとか存在することができている。正されているところなど見たことがない背筋と、成人した男性にしては細すぎる後ろ姿にはなにか哀愁のようなものが漂い、しかし先生はこれっぽっちも気に留めていないようだった。  ざっくばらんな短髪に見合うひどくハスキーな声質を

          傷薬

           鎌田さんの家の庭にはひょろひょろのアロエが植えてあって、私はそれをなんとなしに観察したことがある。大部分がのっぺりとした緑色で、先端のみが焦げたように黒ずみ尖っていて、果肉は透明。だからといって必ずしもすべての要素が澄んでいる訳ではなく、ぐじゅっといった具合に崩れて露呈した果肉の表面には埃やゴミが付着していたり、羽虫がその瑞々しい粘液を我が物顔で啜っていたり、結構散々だ。  重力に従って地面に落ちた果肉に数匹の蟻が群がっている。そのうち列を形成し、どこかへと運んでいく。  

          くじら売買

           小さい頃、僕の住んでいた地域には「くじら売り」という職業が確かに存在していた。芳しい潮風が日夜を問わず家屋やアスファルトを撫で回るあの町だからこそ成り立っていた職、などとと立派に飾りたい所だけれど、実際にはその程度の労働でおのれを養っていける手筈も無く、時間と暇を持て余してはいるもののガツガツと居酒屋バイトに取り組む気にもなれない、ある程度社会に出てこの世の実情を知ったので気概もくそも捨ててしまいました、なんて勝手に絶望した顔をしている大学生などの、片手間の小遣い稼ぎである

          くじら売買

          魚工場

           絶望した気持ちで眠りにつき、起きてもまだ現実は現実だった。3日前、魚工場勤務以外の地球上の人間は全員、宇宙からの外的要因によって殺されてしまった。俺はちょうど、宮城のしたのほうにある魚工場に勤務していたから事なきを得たが……違っていたらと思うと恐ろしい。こんな状況、もしかすると死んだほうがよかったかもしれないが、工場は宇宙人の支配下に置かれ、辞めるわけにもいかず、みんな死んだ目で働いている。  定時際、宇宙人が俺の作業机の横におずおずと現れ、口を開いた。「ハウトゥーメイク」

          塹壕の中の詩

           塹壕のなかで詩を書くことが大流行した時期があった。  みんなが余りにも死んだ目をしていたものだから、上層の、塹壕に住んでいないやつらが雑誌を前線に、勝手に頒布しはじめた……とあるページに小さい寄稿コーナーがあり、兵士たちはそこに短い詩を送ることができたのだ。それ以前と以降では、塹壕内の空気はまるで違ったと思う。雑誌が始まってからは、猫も杓子も、詩のことしか考えていなかった。たとえネズミが足を齧ったとしても心ここにあらずだ。みんな、詩以外のことはどうでもよくなってしまっていた

          塹壕の中の詩

          クジラと波

           クジラは打ち寄せる波たちにいちいち名前を付けているらしい。我々が山や森から地名を作るのと同じように、その特徴を汲み取って、寄り添って泳ぎながら何度も、静かで大きな脳みその中で反芻するらしい。人間たちはすぐ消えてしまう波しか見ないので気付かないがちだが、実は海は広いので、クジラにとって波は長い間の友となってくれるらしい。大抵特徴のない波がほとんどだそうだが、たまにとても特徴的な波があり、そういうときは大好きになって、どこまでも追いかけてしまうらしい。どこまでも追いかけた結果、

          クジラと波

          RDR2感想

           自身の生い立ちや過去というものは、日々を記憶して生きる「人間」という生き物である以上、影のようにどこまでも付き纏ってくるものだ。そして己がそれを後ろめたく思うほど、忘れたいと思っていればいるほど、不思議とその色は濃く深くなっていってしまう。  私にとってはそんな残酷な事実を再認識させられたのがこのRedDeadRedemption2というゲームで、その読後感と言うべきか、あと味は凄まじいものであった。  主人公のアーサーは生粋の荒くれ者で、生涯のほとんどをダッチ率いるギャ

          歪む

           友達のTくんが大けがをしたという記憶は青年期の僕にとって忌々しく恐ろしく避けるべきものであり、今になって、散々スプラッタ映画などを見尽くし血みどろ文化に親しんだ状態であっても、もはや頭をどう捻っても出てこないものになっていた。  Tくんは水泳がうまく、両親も教育に熱心だったので、大会に出てちょっとした賞なども取っていた。このことから彼は田舎町では注目の的だった。さまざまな通りすがりの地元の大人から肩を叩かれてはうれしそうな顔をして、僕たち同級生はそれに特に嫉妬することもな