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いちゃいちゃにまつわるエトセトラ

※本投稿は、自主的な夏の自由課題として #文サお茶代 に一方的に投稿したネタです。つまり、脱輪さんはかわいい

 真新しいランドセルを背負って登校する子供たち。ホットカプチーノが入ったカップを片手に通勤する、トレンチコートに身を包んだお姉さん。
 まるで春夏秋冬をテーマにした展覧会のように、季節にはそれぞれに相応しい風景がある。僕が置かれたこの状況を見た人は、一体どのような季節を感じるのだろうか。
 
 窓は閉めきられ、エアコンも動いておらず、部屋に存在するのはファンレス扇風機のわずかな駆動音のみ。災害級だの、殺人的だのと形容される外気の暑さを嘲笑うかのように、情熱的で排他的な空間で密接する二人の男女。

——「君は、私を好きになるしかないの。」
彼女の白い柔肌に浮かぶ汗、見つめあう二人、そして、僕を見下ろす彼女の手には鈍色に光るナイフ。

——いや、おかしい。最後の描写が圧倒的におかしい。なぜ僕は、彼女に押し倒され、跨られた挙句に凶器を突きつけられているのか。僕が置かれたこの風景に季節感などない。真夏のアパートの一室でのささいないちゃいちゃが、やがて愛欲と汗に塗れた動物的なグルーヴに変わっていく夏の風物詩的なあれとはわけが違うのである。
 実のところ、そんな風物詩があるということは、国民的生涯学習教材の”いちゃいちゃソムリエ”講座で見知ったに過ぎないのだが、国民的通信教育がそう言うのであれば、それは真実なのだろう。なにしろユーキャンは国民的なのである。国民的なのだから、それを真と見做すのが国民的道理というものだ。

——話は5時間前に遡る

 毎日のように最高気温の歴史的記録が塗り替えられる激動の夏。今朝も、荒れた肌を高精細カメラに晒された気象予報士が、観測史上初の最高気温の到達予想を高らかに宣言していた。

 時刻はちょうど昼の12時を過ぎたあたり。僕たちはすっかりと日常を取り戻した表参道を並んで歩いていた。隣にいるのは“彼女”である。
 僕と彼女が恋人同士と呼称するに相応しい関係かどうかということは、僕のここしばらくの最大の関心事だ。だがしかし、2時間にもおよんだ彼女のプライベート・ファッションショーを最後まで鑑賞し、店から出て1分としないうちに、ジル・スチュアートのロゴの入ったショッパーが僕の左手に収まっているこの状況を、“デート”以外の言葉で表すことは難しい。僕たち二人の関係性が恋人であるからこそ、一緒に出掛け、時間を共有し、こうして地獄のような暑さの中を並んで歩いているのだ。

 「荷物、持ってくれてありがとう。結局、どこも混んでてランチ食べそびれちゃったね。お腹、空いたよね?何か作るね。」
 僕のアパートに帰り着くなり彼女はそう言うと、長い髪を縛り上げてキッチンに立ち、まるでうちの冷蔵庫の中身を予め把握していたかのように、有り物の材料を使って手際よく何かを作り始めた。

 思えば彼女との始まりは奇妙なものだった。ある日の大学の大講堂での講義の受講後、それまで何の面識もなかったはずの彼女は僕に歩み寄ってきて、講義後の僕の予定を聞いてきたのだ。彼女がなぜ僕の予定に興味を持ったのかについて、その時の僕には皆目見当がつかなかった。押し黙っていても滲み出てしまうほどに溢れる知性に惹かれたのか、あるいは、この洗練されたファッションセンスに魅せられたのか。もし後者なのであれば、ちょうどその日の前日に手に入れたばかりのジャケットの魅力を彼女は理解できるということであるわけであり、その時偶然同じ店内に居合わせた美川憲一が、いつものあの口調で話していた業界話をアクセントに添えながら、同じ価値観を共有する者として、少しばかりのファッション談義に興じてみるのも面白いかもしれないと僕は思った。

 ところが、そんな僕の考えが見事に的外れだったことがすぐにわかった。入学以来、彼女は僕をずっと観察していたというのだ。講義中の発言、図書館で選ぶ本、そして何より、どうして僕が彼女に対して一切の興味を持たないのかが不思議でたまらなかったという。

 僕はそれまで、孤高の人間を自称して生きてきた。高校時代には、“天才的なぼっち”などと揶揄する声も散々耳にしてきたが、そんな言葉を気にしたことはなかった。いや、少しは気にしたけれども。
   孤独を愛するということは、究極的な自己愛なのだ。だって、“その孤独と寄り添い生きることが 「愛する」ということかもしれないから”と福山雅治だって歌っているではないか。未成熟な男女間の未成熟な愛など、未成熟だからこそ為せる業なのだ。僕の自己愛が完全だなどと奢るつもりはないが、少なくとも完全であろうとはしたい。それが僕の哲学だ。

 はたして、彼女から突然告げられた好意に僕は戸惑うことになった。何せ僕は彼女のことを何も知らないのである。同じ学科に所属しているという共通項はあるものの、そもそもぼくは彼女の存在に気づいていなかった。

 「私、これでも大学に入ってからはお洒落にうんと気を遣ってきたつもり。君の好みがわからないから、こんなのが好きかな?あんなのが好きかな?…なんて、途中からはもう意地になっちゃって。でも、君と同じクラスになって、もうすぐ1年。そろそろ戦術を変える必要があるかもって思って、ついに声をかけたってわけ。」

 杞憂とは、彼女の想いを指すために生まれた言葉なのではないかと思われた。僕が何か新しいものを好きになることはない。僕の好きなものは生まれた時から好きなものなのだ。同じクラスに存在していたという都合上、彼女が視界に入ったことがないはずないのだが、それでも彼女に興味が持てなかったのは、つまりはそういう理由なのだ。

 20歳を目前にして、恋愛の実践の必要性を感じていた僕は、交際しないかという彼女の提案に乗ってみることにした。ユーキャンで全てを学ぶことができたと己を過信するほど、僕は自惚れ屋ではない。学びを与えてくれるユーキャンからのYes, you can!を、Yes, I can!にする時が遂に来たのだと判断した。

 そんなことがあったのが今年の4月。あれから既に4ヵ月が経とうとしている。この間、映画や本の趣味、あるいは好きな料理といった情報はうまく彼女と共有できたように思う。異なる2人の人間の関係性は、無言/有言の手段を問わない会話が成立せしめると僕は常々考えてきた。だから、彼女との情報共有によって、僕たちの関係性をより広いものにできているということについて多少の自信を持つこともできていた。Yes, I can.

 それでもどうにも彼女について解せないことがある。例えば、彼女は僕と一緒に歩くときにいつも手を繋ぎたがる。転んだ時に相手を巻き込むリスクがあるばかりか、あれほどの暑さの中、人肌が触れ合うことによって更なる温度上昇を発生させることは到底合理的でないと僕は常々思っているのだが、気が付くと僕の手はいつも彼女の手に握られている。だが、国民的教材が示してくれた国民的類例は全て頭に入れているので、対応は容易い。恋人とはそういうものだと理解し、ただ応じればいいだけである。それで彼女との関係性が健全に保たれるのであれば、暑苦しさに耐えることを僕が甘んじて受け入れ、僕たちの無言の会話の継続を図ればいい。Yes, I can.

 ところが、今日のデートではいつもと異なる状況が発生した。並んで歩いていると、いつもどおり僕の手をとってきた彼女。しかし、なぜか彼女は、繋いだ手の親指で僕の手をくすぐるようなことをしてきたのだ。蚊に刺されたわけでもなければ、そこがむず痒いことを彼女に伝えた覚えもない。なぜ彼女はこのようなことをするのだろう?彼女の親指が伝えようとしていた意味はなんだろう?…そんな風に考えているうちに地下鉄の改札口に到着したため、お互いのICカードを取り出すために僕たちの手は離れたのだった。

 料理をする彼女の美しい後ろ姿をただ眺めていることが、なんとも手持無沙汰で間抜けに感じられた僕は、彼女に質問をすることにした。

 「今日のアレ、なんだったの?」
 「アレ?」
 「渋谷駅に着く直前に、繋いだ手をくすぐってきたアレ。」
 「あぁ、アレね。大丈夫、気にしないで。もうしないから。」
 「気にするなって言われると、すごく気になる。」
 「ちょっといい気分だったから、いちゃいちゃしてみたかっただけ。」

 いい気分だったからいちゃいちゃしてみたい…なんだそれは。国民的類例には含まれていなかったぞ、そんなものは。

 「後学のために教えて欲しいんだけど、僕はどうするのが正解だったの?」
 「正解?君らしい質問ね」
 
 彼女は横目で視線をこちらに寄越し、少し笑うと、またすぐにまな板の上のピーマンに目を戻した。

 「僕らしい?…どういうこと?」
 「君って、意味とか意義とかについて考えるのが好きじゃない?」
 「まぁ…そうだね。」
 「あの時の私は、ああしたかったからああしただけ。ううん、もしかしたら、したいって意思さえなかったのかも。つまり、自然に指が動いちゃった…的な?」
 「それは君の意思や脳からの命令とは裏腹に、勝手に指が動いたということ?」
 「そんな時もあるよ。逆に、“今日は君と手を繋いで散歩しよう”と思って手を繋ぐこともあるわけだし。」
 「でも、手を繋ぐことは、いちゃいちゃすることではないのでは?」

 ユーキャンの網羅性を信じて疑ったことのなかった僕は、まだ出会ったことのない、いちゃいちゃの類例を突きつけられて、自然と彼女に質問を投げかけていた。

 「いちゃいちゃとは是是である…なんて定義は考えなくてもいいと私は思うけどな」
 「でも、定義がなければ、それを認識して意識的にすることができないじゃないか」
「いちゃいちゃはね、意識的にすることもあれば、無意識的にすることもあるんだよ?」
 「なるほど、じゃ、それぞれを悪意的いちゃいちゃ、善意的いちゃいちゃと呼ぶことにしたとして、今日の君が求めていたいちゃいちゃはどっちだったの?」
 「よく覚えてないけれど、敢えて言うなら、善意的いちゃいちゃ…かな」
 「つまり、いちゃいちゃするつもりはないのに、いちゃいちゃしようとした、と」
 「そういうことになるのかな」

 少しだけ論理の道を荒らされかけたことで心の平穏が乱れかけたが、なんとか再舗装をすることで軌道修正することができたはずだった。それでも未修の内容について確信の持てない僕は、重ねて彼女にこう質問した。

 「仮にいちゃいちゃがコミュニケーションの一類型だったとして、そこに“私はあなたとコミュニケーションがしたいです”という意味が込められていなかった場合、或いはその意味が込められていたとしても相手がそれをくみ取ることができなかった場合に、そのコミュニケーションが不成立に終わってしまうことについて、その結果は相手方の責に帰するものではない、という認識であっている?」
 「うーん、そうとも言い切れないかな」

 これだ。これなのだ。僕が用意した攻略不能な論理の砦に果敢に彼女は挑んでくる。考えることを放棄しない彼女の姿勢こそ、彼女が生み出す決定的な他の人間との違いなのだ。

 「というと?」
 「二人でいちゃいちゃできたらいいなって思うときもあれば、自分だけがいちゃいちゃを感じられればいいやって場合もあるからね。必ずしも相互の意思疎通を求めている場合ばかりではないってこと」
 「もしも後者のかたちがあるというのであれば、それは虐待になる場合もあるということなのでは?」

 ひろゆきばりのドヤった表情が僕の顔に浮かんだ。

 「たしかに、戸惑わせることで、君を気まずい気分にさせてしまったことについては…ごめん。謝る」

 ズキン。

 「べ、別に、君に謝罪して欲しかったわけじゃない。僕はただ、正解が何だったのかを知りたかっただけなんだ。でも、今日のあれが君自身でさえ認知できていない行為だったというのであれば、それを僕が汲み取る術があるわけもなく、コミュニケーション不成立という結果に落ち着いたことにも合理的な疑いはなくなるわけで…」

 ぼくの言葉がまるで聞こえていないという様子で彼女はこう続けた。

 「君にとって私はどんな存在なの?」

 ついに来た。ユーキャンの恋愛講座で出題された、重要度☆4の問いだ。ここで失点することは致命傷になりかねない。模範解答は「相手が望む答えを、相手の希望や願いに忖度していることを気取られることなく、さも、かねてから自分も同様に思っていたかのように回答すること」だったはず。

 「君は僕の魂の片割れみたいな存在だよ。僕たちは生まれてくるときに分かたれた、双子同士みたいなものだからね。(『チョロいあのコを手軽に落とす100の言葉』2020, 別冊ユーキャンより引用)」

 「そんな恋愛講座の別冊付録に載っているような言葉じゃなくて、私は君の本音が聞きたいの」

バレテタ

 まずい。恋愛検定1級という肩書が、いかにハリボテに過ぎないのかを思い知らされる時が、こんなにも早くこようとは。だが、踏み出してしまった以上、もはや退くわけにはいかない。

 「たしかに昔から言われていることだけど、僕が心から同意している考え方でもあるんだ。僕たちは不完全だからこそ、それを補い合うことのできる相手をいつだって探している。君だってそうだろ?」

 沈黙、からの

 「Are you gay?」

 そうだった。僕たちが所属しているのは哲学科であるという、決して見過ごしてはならない重要な事実を僕は愚かにも見落としていた。この場面で彼女を相手にプラトン的恋愛観を引き合いに出したところで、火に油、あるいは前面に活路のない背水の陣を敷いたようなものである。

 「私のゲイ友もみんな大好きだよ、そのソウルメイトっていう考え方。でもね、異性愛を不完全なものと見做して、男性が男性のお尻を追いかけ回すにあたっての正当性を訴えるための方便として使うのはいかがなものかって私は思う。だってそうでしょ、同性愛は女性同士でも成立するわけだし」
 「でも…」
 「“でも…”、何?あなたが敬愛する哲学者たちの中に、はたしてどれだけの妻帯者がいたかしら?」

 No, I can’t.
 先生、僕は愚かな弟子でした。

 「私が感じるあなたの魅力を教えてあげましょうか?それはね、つまんなくてかわいいところ。」

 彼女の顔は今まで見たことがないほどに上気している。単に興奮しているのか、それとも怒っているのか。僕には判断がつかなかった。

 「つ、つまんないって、それを彼氏に対して君は言うのか。」
 「だって、いちゃいちゃが封じられてしまった以上、私はあなたが用意した舞台で踊るしかないじゃない。」

 そう言いながら彼女はくるりとこちらを振り向くと、間抜けなあぐら姿で彼女を見上げていた僕の腕を持ってゆっくりと押し倒し、腰のあたりに跨ってきた。

 「誰かが誰かを好きになるのに理由なんてないの。だから、そこに意味や目的を探したって、唯一の答えなんて見つからないんだよ。私は君が好きだし、君といる私が好きなんだ。ただ、それだけ。私が求めるものを君が全て与えてくれるとも思っていないし、君が求めるものを私は全部あげることができないことはわかってる。」

 彼女に見下ろされ、瞬きすることさえも憚られるようなこの状況の中、この4か月間で鬱積したものが彼女の中で一気に溢れ出している様子を目の当たりにしているのだと僕は理解した。

 「なるほど、わかった」

 本当はよくわからなかったけれど、ここはわかったフリをしておくのが得策だろうと判断し、僕は安直な返事をしてしまった。

 「じゃ、キスして」

 なるほどよくわからない。こんな展開は上級講座でも紹介されていなかったはずだ。僕が知っているのは学び知ったことだけ。だが、対処はできる。ちょうど昨年の別冊付録の内容が「ファーストキスをレモンの味にする10のステップ」だった。駅に向かう道すがら、あるいは地下鉄の中で、来るべきこの日に備えてイメージトレーニングを重ねてきたのだ。まずは下品に見えないように上唇と下唇を湿らせて…と、最初のステップを頭の中で反芻しようとしたその刹那、柑橘系の匂いを纏った影が僕の顔を覆った。

 「今のは、“いちゃ”かな」

 また彼女はわけのわからないことを言う。

 「今、キスしていたのは私だけで、君はされていただけ。だから、いちゃいちゃじゃなくて、いちゃ」

 なるほど。彼女の言葉のセンスを理解し、学んだことリストに追加した。

 「ねぇ、私のこと、好き?」

 唐突にこう聞かれた僕は、「好きです」と答えることしかできなかった。

 「それは君の本当の気持ち?それともこの状況に忖度したのかしら?」

 彼女から視線を逸らし、頬を赤らめる僕を見下ろしながら彼女は言った。

「君は、私を好きになるしかないの。」
 
 彼女の手には鈍色に輝くナイフ。誰がどう見たって凶悪犯罪の犯行現場である。しかし、ただ異常性が支配するこんな風景の中、僕は、彼女の腿が触れている腰に、彼女が掴んでいる腕に、そして彼女の唇が触れた唇に温かさを感じていた。

 まずはここからだ。この温もりを受け入れて理解するところからはじめてみよう。ここは一旦、観念すべきところなのかもしれない、と僕は思った。

 どっと押し寄せてくる心地よい疲労感を感じながら瞼を閉じた僕の耳に、隣人の部屋からのテレビの音声が漏れ聞こえてきた。

「それではお聞きいただきましょう。
デビュー25周年を迎えたKinki Kidsのお二人で
“愛されるより愛したい”」

おしまい

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