マンガの楽しみ方が変わってきた

子どもの頃からマンガが好きで、中学高校の時は自転車で複数のブックオフを巡回することが趣味の一つだった。オッサンになり、読書に主軸を移したり、単純に多忙になったりと色々な変化があった。それでも、やっぱりマンガを読み続けている。

最近になって、自分がマンガに求めているものが変わってきたなと感じる。今回はそのことについて整理してみたい。

小学校~高校ぐらいまでの読み方

マンガの読み始めはドラゴンボールだったろうか。当時はあまり深く考えずに物語を目で追っていたような感覚だった。

この頃は、自分を主人公に同化させる傾向が強かったのかもしれない。
主人公の評価が上がれば誇らしかった。
主人公に仲間が増えれば頼もしかった。
主人公がかわいい女の子にチヤホヤされると気分がよかった。

20代あたりの読み方

大学生ぐらいになると、他の人のマンガ評に触れる機会が増えてきた。これは、ちょうど20歳ごろからインターネットに触れるようになったこと、マンガ談義を出来る相手がいたことなどが影響しているだろう。

ストーリーの一貫性や整合性にうるさくなったし、意表をつく展開や、伏線の回収などに重きを置くようになった。

例えば『進撃の巨人』の伏線回収などには興奮したし、『ベルセルク』や『ワンピース』の展開を作中の手がかりから予測するのも楽しかった。匿名掲示板などでのマンガ評論は、特に整合性や展開に対する要求が強い気がする。

また、マンガを通じて知識を得ることも好きだった。例えば『もやしもん』は、発酵や腐敗に関する微生物知識が得られることがとても嬉しかった。

ちょうど20代は「自分の専門に一極集中して学ぶのだ」という気負いがあって、かなり視野が狭かった。だからマンガを通じて届いてくる幅広い分野の知識というのもありがたかった。

また、このような変化の一方で、相変わらず主人公に同化して一喜一憂する傾向も強かったように思う。

30代になって

30代になって、マンガの読み方が一気に変わってきた。

テーマ性重視
まず、テーマ性を強く意識するようになった。『鬼滅の刃』ならトラウマ、『チェンソーマン』なら支配と自由と教養の関係をテーマとして汲み取る。そんな読み方が自分にとって重要になった。

この変化には、たくさんの優れた批評を読んだことが関わっていそうだ。マンガ、アニメ、映画などを鑑賞し終えたあとは、必ず感想や批評を漁りにネットサーフィンをしてきた。そうすると、どんな作品であれ「凄い」と思わされる批評と出会うのだ。しかも多くは、あまり有名でもなさそうな個人ブログだったりする。

「自分の力で、同じぐらい深く作品をとらえたいな」と思うようになった。noteでアレコレ素人批評をしているのも、その修行である。

キャラそのものではなく、キャラの行動や決断が大事
近年では、特定の人物を”推し”たり、登場人物同士の関係性に”尊さ”を感じたりという楽しみ方が勢力を増しているように見える。そのあたりの楽しさもよくわかる。しかし、最近の自分にとっては人物の行動や決断というのがポイントになってきた。

家庭を持つオッサンとして生きるうち、人生は平坦なものになっていく。色々とこだわりの強い人間だったはずが、いつしか「慎重さ」という名の「臆病さ」を獲得してしまうのだ。

その点、少年漫画には重要なものが詰まっている。例えば、「誰かを守るため、勝てないかもしれない敵に戦いを挑むこと」だったり、「拒絶されるリスクを承知で好意を伝えたり」といった行動そのものが自分を惹きつけたり、奮い立たせてくれたりするのだ。

登場人物の心情がリアルだったり、その決断に作品内の経験などが関わっていて、必然性が感じられるとなおよい。

表現の意図や作品の背景にも興味
最近では、『批評理論入門』という書籍を読んだことで、技巧面などにも目が行くようになった。作者が意図を実現するために行っている工夫に注目しようとしたり、その作品が生まれた時代的背景、あるいは作者の個人的背景を考えることも楽しくなってきた。

「萌え」と「燃え」に対する反応が薄くなった
一方で、これまでの読み方で重要だった部分が、急速に色あせてきている。

意表をつく展開・・・あまり重要でない。
主人公がカッコいい・・・あまり重要でない。
萌え・セクシー・・・どうでもいい。
細かな整合性・・・パッと見で違和感なければどうでもいい。
得られる知識・・・ほとんどの場合、本を読んだ方がいい。

こんな感じだ。

この変化にもいくつか心当たりがある。一つは、サービス精神へのある種の反発である。何しろどの作家の方も生き残るのに必死だ。だから、人気に結びつきやすい要素がわかりやすく作品に盛り込まれていく。加えて、マンガアプリにおいては、目当てのマンガを読みにきた読者を自作に引き付けようと、一枚絵+テキストで必死にアピールすることになる。

そうすると、「かわいくてセクシーな女の子が主人公に迫ってきまっせ!」とか、「主人公がモリモリ活躍して痛快!」といった要素がそこかしこでアピールされることになる。

そんなアピールが日々視界に入ってくると、どうしても辟易としてしまう。実際に作中でそのようなシーンが出てきても、どうにも記号的というか、気持ちが入っていかないのだ。

まとめ

自分に生じた変化を面白がり、まとめてみた。マンガの読み方は成熟しつつあるような気もするが、萌えと燃えへの反応の悪さというのはあまり良くない傾向かもしれない。

作品を自分なりに読み、考え、感想や意見をまとめる。そして、他の人の感想や批評を読み、また考える。その一連のプロセスをこそ自分は楽しむようになったのかもしれない。

そういう意味では、今回のタイトルを「マンガの楽しみ方」に限定したのはミスで、物語全般の楽しみ方の話なのかもしれない。

まあ個人の趣味の領域なので、自分に素直に楽しみつつ、今後も自分の変化を見つめてみたい。