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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第15回ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団 来日公演 1988年 


エッセイ

「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」

第15回
ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団来日公演1988年


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⒈ ウラディーミル・フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団来日公演 1988年


公演スケジュール


1988年
9月
23日 中新田
24日 大宮
25日 横浜
26日 東京
29日 名古屋
30日 東京
10月
1日 調布
2日 沼津
4日 大阪
5日 広島
6日 高松

9日 
京都
京都会館第一ホール
グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
ピアノ:ミハイル・プレトニョフ
チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調「悲愴」

10日 砺波
12日 松戸
13日 筑波
14日 東京
15日 東京
16日 大阪

※筆者が購入したチケット

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フェドセーエフについて筆者が知ったのは、当時クラシックCDの中で話題を呼んでいたビクター&メロディアのモスクワ・デジタル録音シリーズからだった。


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その第1弾であるストラヴィンスキー『春の祭典』を買って、聴いてみた。ところが期待に反して、その録音の演奏はいささか焦点の合わないものだった。おそらく、この録音シリーズの特徴である残響の多さが、『春の祭典』の特徴的なリズムの変化と立体的な音響にとっては、逆に邪魔になったのかもしれない。
そんなわけで、フェドセーエフ&モスクワ放送響の第1印象は、いささかがっかりだったのだが、来日公演があるというのでダメ元でチケットを買った。ところが、そちらも完全な判断ミスになった。どういうことかというと、よりによって京都公演を買ってしまったのだ。
当時の関西クラシックファンには周知のことだったが、80年代、京都会館のホールの音響は実にお粗末なものだった。それでも京都には他に主要な大ホールがなかったので、来日オケの場合も、この全く響かないホールで演奏するしかなかったのだ。
実をいうと、筆者もそれを知らなかったわけではない。それでもわざわざ京都を選んだのは、曲目のためだった。どうしても、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が聴きたかったのだが、大阪公演では2度とも「悲愴」はプログラムにない。そこで、仕方なく京都公演を選んだというわけだ。
さらに期待していたのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴けることだった。それも、当時俊英という評判だったミハイル・プレトニョフが、共演するというので、これも聴き逃せないと思ったわけだ。


※参考CD


http://www.hmv.co.jp/news/article/1407210002/

《1974年の就任から音楽監督、首席指揮者としてモスクワ放送チャイコフスキー交響楽団を40年率いてきたヴラディーミル・フェドセーエフ。このボックス・セットは、1998年、1999年に録音されたチャイコフスキーの交響曲、及び管弦楽曲をまとめたものですが、交響曲第4、5、6番は、既発のCD音源ではなく、2009年ウィーンのムジークフェラインザールで行われた公演の録音です。フェドセーエフは何度となく、モスクワ放送響とチャイコフスキーの交響曲を演奏・録音していますが、常にオケの統制を取りながらも、正にロシア的な味わいを感じさせてくれます。(キングインターナショナル)》



https://www.japanarts.co.jp/artist/MikhailPLETNEV


ミハイル・プレトニョフ

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だが、はっきりいって選択を誤った。
普段、大阪でザ・シンフォニーホールの日本一優秀な音響を聴き慣れているので、その頃の筆者には、大阪フェスティバルホールでさえデッドな音に思えた。だから、全く響かない京都会館第1ホールでは、本当に学校の体育館で聴いているような味気ない音でしか聞こえてこないのだ。
フェドセーエフの指揮でモスクワ放送響は立派な演奏をしていたはずだ。しかし、どうしても音響の薄っぺらさが気になって、演奏に没入できない。
プレトニョフのピアノも、おそらく見事な演奏だったはずだ。なのに、ピアノの音がちっとも響いてこない。
この時ほど、ホールの音響の良し悪しを痛感したことはなかった。それ以来、曲目を問わず、シンフォニーホールでの公演がある場合は会場を優先することにした。


⒉  フェドセーエフ&モスクワ放送響による「最後の録音」(になるはずだった)ショスタコーヴィチ『森の歌』


そんなわけで、せっかくの実演でも演奏の真価が今ひとつわからなかったフェドセーエフだが、その後、別なきっかけでこの指揮者を見直した。ショスタコーヴィチ『森の歌』の「最後の録音」(になるはずだった)CDを聴いたのだ。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/