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コロナ禍の下での文化芸術特別編〜 カジノより日本センチュリー交響楽団を守ってください

「コロナ禍の下での文化芸術特別編〜カジノより日本センチュリー交響楽団を守ってください」


2020年、コロナ禍の最初の頃、安倍政権の全国一斉休校・緊急事態宣言と同時に、あらゆる音楽・舞台イベントが中止になった。その後、緊急事態が解除されてから、全国で初めてフル編成オケとして演奏会を再開したのが、日本センチュリー響だった。


同じ年の秋には、ベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」の演奏会形式も敢行した。
この日本センチュリー響は、かつて大阪センチュリー交響楽団という団体だった。元は、大阪府音楽団という府の楽団で、それを発展させて大阪府が持つ素晴らしい交響楽団となった。それが、橋下府知事時代、行政の無駄だとして、大阪市音楽団(全国唯一の市営のプロ吹奏楽団だった)とともに切り捨てられた。
その後、大阪市音楽団はshion、大阪センチュリーは日本センチュリーとして、独自団体に生まれ変わり、地道な活動をしてきた。
日本センチュリー響は、飯森範親が指揮者となって以来、記念碑的なシリーズ「ハイドン・マラソン」の演奏会と録音の企画を継続している。コロナ禍の2020年、緊急事態解除後の全国初のフル編成オケ演奏会再開も、この「ハイドン・マラソン」のうちの一回だった。
そもそもがハイドンの交響曲の連続演奏会だけあって、舞台上にのる演奏者の人数が少なめだったことも幸いし、奏者間にそうとうな距離を空けての演奏を試行錯誤していた。
ハイドンでは、ディスタンスをとっての演奏もうまくいったが、次はなんとオペラだった。2020年秋のオペラ演奏会形式によるベートーヴェン「フィデリオ」、これも歌手とオケの間にアクリル板を置き、様々に感染対策を試みたコンサートだった。



現在、同楽団は久石譲を客演指揮者に招聘するなど、積極的に音楽活動を展開している。
だが、それでも楽団の経営は苦しい。

ところで、大阪府には4つのプロのオーケストラがあり、それぞれに個性的な音楽活動を続けている。世界的にも、地方都市にプロオケが4つもあるのは珍しい。
大阪府、大阪市として、本当に世界に誇るべきなのは、カジノや万博より在阪4オケの活躍ぶりではなかろうか。
実は以前、「在阪4つのプロオケを1つに合併したら最強だ」という問題提起が、指揮者の井上道義から出されたことがあった。在阪オケの経営難を解決する奇想天外なアイデアだった。
だが、結果的にそうならなくてよかったと思う。
大阪フィル、関西フィル、大阪響、そして日本センチュリー響、いずれも甲乙つけ難い。4つのライバル楽団が切磋琢磨する中から、さらなる音楽文化の進化・深化が生まれるという期待がある。



筆者は長年、関西在住で地元のオーケストラ演奏活動を視聴してきた。その観点から見ても、大阪のプロオケ4団体の活動からは、世界でも稀有な音楽文化が生まれている。
首都なら知らず、地方都市に4つプロオケがあり、近隣市にもプロオケが複数(京都市交響楽団、兵庫県立芸文センター)あるという、こんな豊かな音楽環境は、世界に他にないはずだからだ。
大阪の住民が知らないだけで、実に貴重な音楽文化が足元にあるのだ。


そもそも、オーケストラは、学校と同じように、人数や予算で機械的に統廃合しても決して良いものにはならない。
大阪府・大阪市は橋下府知事時代以来、行政の無駄をなくすという名目で、府立高校(のちに大阪市立高校も府立に移管)を統廃合してきた。だが、かつては地域に根差した教育活動を続けてきた府立高校が、遠方に統廃合されていくにつれ、地元の高校という存在が希薄になり、大阪の高校生を見守る地域の目も、どんどん失われつつある。
オーケストラも、学校と同じなのではなかろうか。地域に根差した文化活動ができる限り、学校も楽団も地方都市にもたくさんある方がいい。
あとは、学校の場合と同じく、住民が楽団を育てるかどうかにかかっているといえる。音楽活動、地方自治体の芸術文化というものを、単純な市場原理だけで判断してはいけない。

※参考記事
「クラシック演奏定点観測〜バブル期クラシック演奏会」
https://note.com/doiyutaka/m/m95eba8e4b1c1

《このエッセイでは80年代からの海外オケ来日ラッシュから始めて、最終的には現在の日本クラシック事情を記録していく。定点観測音楽批評として数十年来、オケ演奏を聴き続けたリスナーとしての耳を武器に、プロの物書きとしての文章を生かして、世間の「音楽評論家」の先生方に負けない読み物を書いていく》


「関西オーケストラ演奏会事情」
https://note.com/doiyutaka/m/mdda8590d315f

《国内オケの演奏会評、関西を中心とした演奏会事情などをまとめた。
21世紀前半の今、日本での、それも関西という地方都市を中心としたクラシック音楽の様相を記録しておくことは、歴史的に意義がある。昭和・平成・令和と時代が進む中で、日本の音楽文化の現状は厳しい。バブル期から数十年かけて、クラシック音楽文化も凋落してきている。その現実を考える手がかりにしたい》


※連載中
「コロナ禍の下での文化芸術」
https://note.com/doiyutaka/m/mbfe79043941d

《コロナ後初めてフル編成のオーケストラ演奏会を体験した印象から、今後のクラシック音楽、音楽ライブの行方を考えてみたい。観客と演奏者、興業側の立場の差。まず、コロナ渦中でのオーケストラ演奏会をどう開催するべきか?を考える上で、これら3者の立場がそれぞれあることを見落としてはならない。
観客の立場としては、コロナ危機がくる前、2020年2月中旬までは、まさか今年の演奏会が何もかも聴けなくなってしまうなどとは想像していなかった。
コロナ危機の最中に、音楽文化がどうなっていくのか? 感染拡大の緊急事態の中、演奏会やライブが次々中止されていったパニック状況から、演奏会再開した最初のフル編成オーケストラの体験、さらにその後の迷走状況へ。コロナの中の音楽を記録する連載(連載継続中)》


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コロナ危機の最中に音楽文化がどうなっていくのか? 感染拡大の緊急事態の中、演奏会やライブが次々中止されていったパニック状況から、演奏会再開…

土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/