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(大幅改稿・新規写真追加多数)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第29回ラファエル・クーベリック指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演1991年

エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第29回
ラファエル・クーベリック指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演1991年


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⒈  ラファエル・クーベリック指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演1991年


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公演スケジュール

1991年
10月

27日
大阪
ザ・シンフォニーホール

ラファエル・クーベリック 指揮
スメタナ 交響詩「我が祖国」全曲

28日 佐賀
29日 熊本
30日 鹿児島

11月
1日〜2日 東京
3日 茅ヶ崎
4日 浜松
6日 松戸
7日 郡山
8日 府中
9日 高崎
10日 武蔵野市
12日〜13日 東京
14日 仙台
16日 名古屋
17日 岡山
18日 京都
20日 大宮
21日 東京
22日 相模原
23日 横浜
24日 柏


※筆者が買ったチケット

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※公演のチラシ

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このクーベリックとチェコ・フィルの来日公演は、筆者にとって、数多い来日オーケストラの公演の中でも、おそらく一生記憶に残る稀有な体験の一つだ。
なぜなら、この公演そのものが、冷戦終結の一つの象徴というべき一大歴史的事件だったからだ。クーベリックがチェコ・フィルを振るということ自体が奇跡のような出来事だった。それが日本で、それも東京と大阪の二度だけ実現した。


詳しくは、以下の公演パンフレットからの引用にゆずるが、89年〜90年の冷戦終結はクラシック音楽の世界にもいくつかの歴史的名場面を生んだ。ベルリンの壁開放記念コンサートのバーンスタインと東西ドイツ合同オケのベートーヴェン第9や、クルト・マズアの活動もそうだが、チェコスロヴァキアにクーベリックが帰還を果たしたことは、何よりの象徴だったといえる。


※公演パンフレットより

(1)
「ラファエル・クーベリックの全貌」関根日出男
《85年5月に重傷を負い、サインもままならず、残された唯一の芸術活動である作曲も、写譜屋に口述筆記させる有様だった。だが90年5月不死鳥のようにプラハの春の舞台に舞い戻ったのである。5月13日2回目の〈わが祖国〉は、やや遅めのテンポの〈ヴィシェフラト〉に始まったが、心を揺さぶる名演だった。》


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(2)
「ノイマンと、二つのプラハの春」渡辺茂
《1990年の「プラハの春」音楽祭は、東西の壁がとりのぞかれての初めての記念的な催しになっていた。
(中略)
今回のチェコ・フィルの日本公演には、戦後のこのオーケストラの歴史に欠かすことのできない指揮者が、まるで横綱の土俵入りのように華やかにそろう。恐らく、チェコ・フィルにとってもこのような機会は二度とはないであろう。》


IMG_0257のコピー


(3)
「チェコの歴史と、チェコ・フィルの現在」佐川吉男
《「ビロード革命」にさいしてチェコ・フィルは、共産党主導の内閣がつぶれるまで公式の演奏会をボイコットし、決起した学生や勤労者を励ますマチネーを連日のようにやって民主化運動の先頭に立った。
(中略)
民主化の結果も今のところはよいことばかりではない。今年に入って見られた商品価格の自由化に伴うインフレは、幸いすでに山を越して鎮静に向かっているが、娯楽の多様化に伴うオペラハウスの入りの悪さもそのひとつだ。》



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(4)
インタビュー「ふたたび祖国へ  ラファエル・クーベリックとの対話」
《問「わたしたちが感心したのは、〈モルダウ〉のテンポを直線的にとらえ、個々のエピソードに分けることなく、一枚岩の流れの中にまとめられた点だと思います。」
クーベリック「そうです、このようにスメタナは望んでいたのです!すべての区切りとなる個所には、先行する部分と後に続く部分の拍節単位の関係をほのめかす、然るべき拍節の指示があります。このことからスメタナが同一のテンポを頭に描いていたことが解ります。」
(中略)
問「もう一度あなたが指揮される演奏会が待っていますね。」
クーベリック「私の最後のですね。総選挙の日に私は旧市街広場で、チェコ・フィル、ブルノ・フィル、スロヴァキア・フィルのメンバー200人から成るオーケストラで〈わが祖国〉をもう一度指揮したい。1945年にプラハの三つのオーケストラのほぼ200人を率いて行った演奏の再現というわけです。」》




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⒉  クーベリックの演奏について


クーベリックという指揮者について、筆者はそれまであまり多く聴いたことはなかった。マーラーをいくつか、FMのエアチェックで聴いたぐらいで、その演奏もあまり印象に残らなかった。
コンサートの演奏曲目のスメタナ「わが祖国」も、それまでは特に好きな曲でもなかった。一時、アマチュア・オーケストラでホルンを吹いていたとき、「モルダウ」を演奏したことがあったぐらいで、それ以外の曲は聴いたことがなかった。
だが、初めて生演奏で聴いたクーベリックは、まさに圧倒的だった。その演奏で聴いたおかげで、「わが祖国」という作品にもたちまち惚れ込んでしまった。
コンサートの後、同コンビによる90年の記念碑的ライブ録音の「わが祖国」のCDも買った。


※参考CD

http://www.hmv.co.jp/artist_スメタナ(1824-1884)_000000000021328/item_『わが祖国』全曲-クーベリック&チェコ・フィル(1990)_3853774

《1990年の「プラハの春」音楽祭は、永遠に記憶されるべき感動の幕開けとなりました。民主化革命により42年ぶりに祖国の土を踏むことになったクーベリック、祖国が生んだ巨匠とはじめて共演するチェコ・フィル、彼らの音楽に万感の思いをかみしめる聴衆。そしてこの演奏はこのアルバムを通じ世界の人々に感動を与え続けています。「わが祖国」演奏史に偉大なページを刻んだ名演です。(コロムビアミュージックエンタテインメント)
【収録情報】
スメタナ:連作交響詩『わが祖国』全曲
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ラファエル・クーベリック(指揮)
録音時期:1990年5月12日
録音場所:スメタナ・ホール、プラハ
録音方式:デジタル(ライヴ)》


※参考サイト

http://columbia.jp/kono1mai/091kubelik.html

《1989年11月にベルリンの壁が崩れ、年末にはチェコスロヴァキア(当時)でも共産党一党支配体制が崩壊し、劇作家で反体制の闘士ハヴェルが大統領に就任し、プラハは自由の街となった。
一説によるとハヴェル大統領が、1948年に亡命し1986年には一切の指揮活動から引退した名指揮者ラファエル・クーベリックを母国の、かつて彼が首席指揮者であったチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に、しかも5月12日スメタナの命日に始まる「プラハの春音楽祭」のオープニング・コンサート「わが祖国」の演奏に呼び戻した、と言われる。劇作家の実にドラマチックな脚本ではないか。
このニュースは「チェコスロヴァキアのビロード革命の仕上げの一筆」としてたちまち世界中に拡がり、コンサートの模様は全世界に中継されることになった。日本では音声中継をFM東京が開局20周年記念放送として13日日曜日午前3時から生放送として行ったし、映像はNHK衛星放送第2で13日午後6時から「プラハの春音楽祭」ドキュメンタリーを、午後7時20分からはコンサートの録画を放送した。一つのコンサートを民放とNHKが同じ日に放送するという事実がこの演奏の歴史的意義を物語っている。
このコンサートのCD化、映像商品化権をスプラフォンが獲得したことは日本コロムビアにとって大きな驚きであり、喜びであった。東ドイツの崩壊で共同制作相手のドイツシャルプラッテンが機能不全に陥っていたため、スプラフォンも同様になるのではと危惧していたからだ。もちろんこの革命でスプラフォンから一部の制作・技術者達が退職し、ボヘミア・ヴィデオ・アーツを新設したが、共に日本コロムビアとは良好な関係が保たれていた。》



一言でいって、クーベリックの指揮は熱かった。長身の彼がザ・シンフォニーホールの指揮台に立つと自然な威厳を感じさせた。

大編成のチェコ・フィルがところ狭しとステージを埋め、ハープのソロが鳴り始める。「ヴィシェフラド」の開始は、このハープソロが実に印象的で、そこから始まって第1曲から第2曲「モルダウ」まで一気呵成に駆け抜ける印象だ。上記のクーベリックのインタビューにあるように、ほぼインテンポで押し通すこともその原因だろう。さらに、第3曲以降、楽曲の内容が物語や伝説を基にした交響詩らしいカラフルなものになると、そこからがまたクーベリックの面目躍如というものだった。もともと録音でのクーベリックの演奏は、地味でそっけない印象だったのだが、実演の彼は、アンサンブルを細部にわたって磨き上げつつ、大きなうねりを豪快に形づくる指揮ぶりだった。


交響詩「わが祖国」を、この時初めて全曲聴いたのだが、一番気に入ったのは、第3曲「シャールカ」だ。このボヘミヤの伝説を描いた交響詩は、激しい楽曲と主人公の女戦士を印象づけるしんみりとしたメロディーのコントラストが印象的な、ドラマティックな曲だ。さらに、後半の有名な「ボヘミアの森と草原から」では、チェコ・フィルの弦の美しさをたっぷり堪能した。第5、6曲は一続きのような流れで、ボヘミアのフス教徒のエピソードを描いた楽曲。力強い主題が執拗なまでに繰り返し鳴らされ、楽曲を通じて民族の誇りのような感情が沸き起こるのが身をもって感じられる。終結部に再び登場する第1曲の主題が鳴り響くと、感情が激しく揺さぶられた。

ステージでのクーベリックの存在感は絶大なものがあり、そのカリスマ性は、容姿の相似と相まって、フルトヴェングラーはきっとこういう感じだったのだろう、と想像させるものがあった。指揮ぶりも、精緻な棒というよりは、ダイナミックでエモーショナルな振り方で、みていても心が大いに鼓舞された。
チェコ・フィルも、これで実演を聴くのは三度めだったが、これまでで最高の演奏だったと断言できる。奏者たちのテンションがものすごく、以前聴いたノイマンのマーラーの時より明らかにパワフルで、アンサンブルも見事だった。何より、クーベリックとともに演奏できる喜び、という雰囲気がステージに満ちていて、まさに一期一会の気分があった。


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クーベリックの音作りについての興味深い談話が、公演パンフレットに載っている。録音技術には無造作な印象があったのだが、例えば何度も録音を重ねているスメタナ『わが祖国』についても、録音技術について詳しく語っている。また、シカゴ交響楽団との数々の録音についても、音響が悪いことで知られるシカゴのホールについて、当時のマーキュリー・レーベルの録音技術を絶賛している。


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⒊  クーベリックのチェコ帰還と、ビロード革命


今回のクーベリック指揮チェコ・フィルの公演パンフレットには、歴史的に貴重な資料といえるような記事や写真も多く含まれている。
例えば、このクーベリックのビロード革命時の姿。


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また、ビロード革命後の「プラハの春」音楽祭に登場したバーンスタインの指揮姿。

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クーベリックのサインさえ、今では貴重なものではないだろうか。

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その後、クーベリックの演奏が日本でも再評価され、長らく日本では聴くことのできなかったバイエルン放送交響楽団とのマーラーのライブ録音のCDなどが、数多くリリースされた。
そのライブ演奏は、かつてクーベリック&バイエルン放送響のセッション録音盤で聴いていたマーラーの演奏とは全く違うものだった。まさしく実演で聴いたあのクーベリックの演奏を思い出させる、熱いライブ録音だった。
また、改めて聴き直したクーベリックのグラモフォン盤のマーラー録音の中でも、特に第8番の演奏は、他のどの指揮者の録音よりも集中度が高く、あの複雑怪奇なスコアが見事な完成度で、しかもほぼインテンポに近い推進力の高さで、見事な高揚感を実現していた。
他の指揮者のマーラー第8番の録音を数多く聴き、実演も何度か聴いた(歌った)が、このクーベリック盤ほどにエネルギーの凝縮した、それでいてバランスの良い演奏はないといえる。


※参考CD


http://www.hmv.co.jp/artist_マーラー(1860-1911)_000000000019272/item_交響曲全集-クーベリック&バイエルン放送響(10CD)_695387


また、さらに興味深いのは、上記のセッション録音のマーラー8番とほぼ同一キャストで、セッション録音の直前に行われたライブ盤がリリースされたことだ。
クーベリックの場合、明らかにライブ録音の方が演奏の燃焼度は高い。しかし、この8番に限っては、ライブの場合と、セッションの場合で、甲乙つけがたいのだ。これは、楽曲があまりに複雑でまとめるのが難しいということも影響しているだろう。ライブでここまでまとめた腕を良しとするか、あるいは、セッション録音でここまで高揚感をもたらした腕前に感嘆するか、いずれも捨てがたい録音だ。


※参考CD

http://www.hmv.co.jp/news/article/411300003/

《ライヴで登場! クーベリック/マーラー第8番
AUDITEのクーベリック/マーラー・ライヴ・シリーズに第8番が遂に登場。実演で燃える巨匠がこの超大作をいかに料理しているか、時期を接して収録されたスタジオ盤との比較などなど、興味津々です。
シリーズ第9弾となる今回の交響曲第8番は、既に定評あるDGへのスタジオ盤と同一の年、同一の会場、さらに同一のメンバーによるライヴ。実はこの演奏会はスタジオ盤収録の直前におこなわれたもので、演奏会の成功に気を良くしたクーベリックがすぐさまスタジオ録音に踏み切ったといわれる、はなはだ興味深いもの。“スタジオでは硬くなる”とさえ言われ、かならずしも得意ではなかったというスタジオ録音を自ら望ませるほどの大成功を収めたとされるこの演奏、“ライヴ”と“スタジオ”に対するこの指揮者のスタンスを検証するに格好の音源でもあり、ファンならずとも大いに期待されるところです。

マーラー:交響曲第8番 変ホ長調『千人の交響曲』

マーティナ・アーロヨ、エレナ・スポーレンベルク、
エディト・マティス(S)
ユリア・ハマリ、ノーマ・プロクター(A)
ドナルド・グローベ(T)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
フランツ・クラス(Bs)
バイエルン放送合唱団、北ドイツ放送合唱団、
西ドイツ放送合唱団
ミュンヘン・モテット女声合唱団
レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊
エーバーハルト・クラウス(Org)

ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

録音:1970年6月24日、ミュンヘン、ドイツ博物館会議場におけるライヴ》



⒋  筆者のプラハ探訪と小説について


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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/