ウナギの蒲焼き、本当に必要ですか?

 今日は土用の丑の日ということで、ウナギがあちこちで売られていますね。タイトルからお分かりかもしれませんが、私は日本のウナギの消費習慣に否定的です。簡単に言ってしまえば、漁獲量減少の問題ときちんと向き合うべきだと思うからです。また、「ウナギを食べている人は本当にウナギを求めているのか?」という疑問も感じるからです。「別に心の底からウナギを食べたいわけじゃないのに(絶滅が危惧される)ウナギを食べている」人がいるというのは非常に非効率だと思います。

蒲焼きでウナギの味、わかりますか?

 私がウナギ消費に関して疑問なのが、蒲焼きで食べる習慣です。あの甘辛いタレと山椒の香りで、それはそれは食欲をそそられます。が、それってつまり、ウナギじゃなくてもいいんじゃない?と思ってしまうわけです。もちろん、ウナギの味を識別できる人もいるでしょうし、ウナギの栄養を求めて食べる人もいるでしょう。でも、これだけ大量消費されている中には、惰性で食べている人もいる気がしてならないです。「高いお金を払っているんだから、惰性なんかではなく、当然食べたくて食べているんだ」と思うかもしれませんが、なんというか、それは”夏””土用の丑の日”というイベント性に後押しされて、「ウナギを食べるものだ」と思い込んでいるのではないでしょうか。あくまで体感ですが、”ウナギの蒲焼き”が好きな人の半分くらいは”ウナギ”というより”蒲焼き”が好きな気がします。私自身、昔はウナギの蒲焼きが大好物でしたが、ある時「これウナギである必要はあるのだろうか…私はたぶん蒲焼きが好きなだけだ」と気づいてから、食べていません。

供給者は遠慮なく高くしたらいい

 ウナギの絶滅が懸念されるようになり、毎年のように値上がりがニュースになります。しかし、飲食店やスーパー等の販売店では「なるべく価格に転嫁しないように」努力しているという報道をよく見かけます。私はこれに反対で、どんどん転嫁させるべきだと思います。というか、ウナギ価格が高騰したから販売価格を高くするのは転嫁ではなく適切な反映ですね。どんどん反映させるべきだと思います。もちろん、専門店などではウナギ料理を売ってなんぼだから少しでも多くの人に来てほしいと思うんだと思いますが、どんなに高くても本当に食べたい人はその金額を払って食べに来るはずです。キャビアとかフォアグラとかみたいに。

 価格ってそういうものだと思います。需要と供給を成り立たせるもの。漁獲量が減る(=供給が減る)のに需要が減らないからこそ、価格は上がるわけです。そしたら「こんなに払ってまで食べなくてもいい」と思う人は需要しなくなり、需要と供給が一致する。こういう話に関して必ず「じゃあ貧乏人は食べる資格ないって言うのか」という批判が付いてきますが、誤解を恐れずに言ってしまえば、「そうだ」ということになります。
 まず、どうしてもウナギを食べたいのならば、他の部分で節約してウナギのために使うことは可能だと思います。年に1,2回なら。それすらできない低所得者がいるというのは、ウナギの問題ではなく賃金や社会保障の問題です。そういう例外的な話を置いておくと、「どうしてもウナギが食べたいのにこれ以上値上がりしたら食べられない」という人はほとんどいないはずです。何かのお祝いなどでご馳走として焼肉に行くのを辞めてウナギを食べるとか、洋服の購入を3ヶ月我慢してウナギを食べるとか、趣味にかけるお金を半分にしてウナギを食べるとか、いくらでも手はあるわけです。「そこまでしたくない」という人は、「そこまでしてでもウナギを食べたいわけじゃない」ということです。だから値上がりは差別とか弱者いじめとかそんなことではなく、市場の原理で、ウナギを絶滅から守るための正当な工夫です。

 遠慮なく値上げして、もしお店に客が来なくなったりスーパーで売れなくなったりした(=需要が減った)ら、また価格を下げればいいと思います。単純な話ですが、それが健全な市場だと思います。現状は何が健全じゃないかというと、価格を低く抑えることが優先され、そのために持続可能な量を上回って漁獲されています。逆です。適切な漁獲量を守り、それ固定したまま供給するために、価格を変動させるべきです。

土用の丑の日は、普段より値上げすべき

 ウナギ自体、適切な漁獲量を守るためには価格を上げるべきだと思っていますが、特に、土用の丑の日に食べるためにはさらに高価格であっても仕方ないと思います。これも市場の原理で考えれば単純ですが、同じ日に大勢がウナギを食べようとする(=需要が急増する)からです。特定の日に需要が急増するのはクリスマスケーキやおせち料理など、行事で食べる料理全般に言えることですが、ウナギをさらに特殊にするのは供給面です。ケーキやおせちなど人間の手で作るものなら、多少は融通が利きます。事前に準備ができるものだけしておくとか、シフトを特別態勢にするとか。それでも、やはり従業員にはある程度の無理を強いているわけですから、普段買うものと比べて高くても仕方ないと思います。
 そしてウナギの場合は、漁獲されるものです。多少は準備できるのかもしれませんが、丑の日に合わせて一度に大量に漁獲するというのは、大きな負担をかけているはずです。それはきちんと価格に反映させるべきです。「普段の2倍の価格だけど、それでも土用の丑の日に食べたい」という人と、「丑の日に比べれば半額なら、安い時に食べればいい」と考える人にわかれるはずです。

まとめ

 私は別に人の食習慣に口出しするつもりはありません。好きなものを好きなだけ食べたらいい、という考えが根底にはあります。ただ、「ウナギは漁獲量が年々減少していて絶滅が心配される、という問題があるからこそ、適切な漁獲量を守るためには価格が上がっても仕方ない」という認識がもっと広まってほしいと思います。ウナギを食べることにこだわるからには、さらに、土用の丑の日に食べることにこだわるからには、それだけの対価を払う必要がある、ということです。こだわりたければ大金を払ってこだわり続ければいい。それだけ払うのが嫌ならやめればいい。そう思います。土用の丑の日をきっかけに、自分とウナギの関係を見つめ直す(どれくらい払ってでも食べたいのかを考える)人が増えてほしいと思います。


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