第五開『酒』.原井

 両親ともに酒飲みで、幼いころから、食卓に料理と共に酒があるのはあたりまえだった。もちろん、子どもは飲まない。飲むのは大人だけではあったが。
 とはいえ、酒飲みの親というのは往々にして、子どもに対して「一口飲んでみるか?」と尋ねるものである。大人だけに飲むことが許されている魅惑の液体。平素より親が旨そうに飲んでいるそれを「飲んでみるか?」と訊かれたら、子どもの返事は「うん!」に決まっている。
 僕の場合はビールだった。そのように記憶している。不思議なことに泡の立つ、金色の飲み物。一気にグラスを傾けてごくんと飲むのは、それでも怖い。親も「ちょっと舐めてみるぐらいにしなよ」と言ってくる。言われたとおりに少しだけ啜ってみる。そして子どもは感じるのだ。ちっとも美味しくなんかない! いや、それどころかまずい。こんな飲み物を好んで飲む大人の気が知れない。
 当然だ。そういうものである。
 続けて大人はこう言うのだ。「大人になったらこの味がわかるよ」と。ちょっと得意げな顔をして。
 両親に飲酒の習慣があった方の多くは、これに類する経験をお持ちなのではなかろうか。
 ひょっとして、いくら冗談とはいえ子どもに酒を飲ませるだなんてとんでもない、と憤る方もいらっしゃるかもしれない。しかし、しばしお待ちいただきたい。この酔っぱらいの戯れにも、実はちゃんとした教育的効果があるのだ。
 というのは、「大人になったら美味しくなるよ」と言われた子どもは「早く大人になりたい」と思うに決まっているのであり、つまりはこの一連のやりとりは、子どもの成熟への欲求を促すメッセージなのである。
 子どもは、子どものままでいたいと思っている限り子どものままである。いくつになっても。当然ですね。だから周りの大人は、明に暗にいろいろな形で「大人になりたい」と思わせるようなメッセージを発するものだ。「一口飲んでみる?」も、そのひとつである。
 もちろん、自覚的に「これはわが子の成熟を促すメッセージである」と思いながら子どもに酒を勧める親は、いない。実際のところ、やはり酔っぱらいの戯れに過ぎないだろう。しかし、学ぶ側には「教えられていないことを学ぶ」自由が常に担保されている。学びとはそういうものである。
 そういうわけで、「一口飲んでみる?」はなかなか含蓄に富んだメッセージであると解釈することができるのだ。

 月日は流れ、ビールの苦味に嫌悪感を抱いていた小さな男の子は、今では日々の食事にほとんど酒を欠かさぬ飲兵衛に成長した。体調の悪い日や健康診断の前日、翌日よほど早起きの日などを除いけば、酒を口にしない日があるなんて、ちょっと信じられない。
 清少納言が枕草子を「春はあけぼの」と書き出して以来、随筆をしたためようと思ったときには「四季の○○」について述べるというのが基本の型であるからして、それに従って季節の酒と肴について書いてみようと思う。この季節といえばあれを食べながらあのお酒、という組み合わせはいくつかあるが、ここではなるべく、自宅で買って食べるもの・飲む酒を中心に書いていくことにしよう。
 春を感じさせる食べ物はいくつもあるが、僕の場合はソラマメを見かけるとうれしくなってしまう。それほど頻繁にというわけではないのだが、年に一回は、スーパーの野菜コーナーでソラマメを見つけると買ってきて食べる。茹でても焼いてもいい。まだ熱さが残るところに塩をちょいとつけて食べる。ほくほくして旨い。
 春はなんたって山菜の天ぷらだよ……と言えれば格好がいいのだが、自宅で、しかも一人暮らしの家にいて天ぷらを作るというのは、調理から片付けに至るまでの手間を考えると躊躇してしまうところがある。その点、ソラマメはいい。調理に手間がかからない。それでいて存分に春らしさを味わうことができる。
 合わせる酒は……けっこう何でも合う気がする。ビールに合わせてもいいし、芋焼酎のあてにもいい。
 あとは菜の花。まだ寒さの残る春先の夜に、湯豆腐を作る。冬の間は白菜か何かを入れていたところを、菜の花に変えてみる。それだけでぐっと春っぽくなる。ただし寒いので、酒は熱燗か焼酎の湯割りなんかにしておく。身体が温まってこれば、これから本格的に暖かくなってくるのを迎える準備もできようという算段である。
 夏はなんといってもビールの季節だ。暑い季節に飲むビールの爽快さは、至上の愉悦に数えてもよかろう。肴は何がよろしいか。食べる身として食べたいものは多いけれど、同時に作る身でもあると、長時間台所に立ちたくないというのが本音である。特に夏は、長くコンロのまえにいればいるほど暑くてかなわない。自然、「とりあえず豚肉を茹でておしまい」という冷しゃぶや、さらには火を使わずに済む冷奴あたりを中心に肴を組み立てることが多くなってくる。
 冷しゃぶにしろ冷奴にしろ他の料理にしたって、夏場に薬味として大活躍してくれるのがミョウガである。僕はこのミョウガというやつが大好きで、夏場には冷蔵庫から欠かすことがほとんどないと言ってもいいぐらいだ。薬味としてだけでなく、刻んでおかかを散らして醤油をかければそれだけで小鉢が一品できあがるし、グリルで焼いてもおつな味だ。ミョウガのすっとする香りが鼻腔をくすぐったところで、ビールを喉に流し込む。夏の醍醐味ではないか。
 秋の味覚の王様といえば日本人にとってはマツタケということになるだろうが、あいにくとマツタケ様に手が出るような生活は送っていないもので、では秋の味覚といえばなんだろうかと考えると、それはぎんなんということになるだろう。レンジで温めても十分旨い。殻をむきながら一粒ずつ食べていく。麦焼酎なんかが合う。
 同じく庶民の秋の味覚の代表格といえばなんといってもサンマであり、塩焼きにすれば焼酎やビールの最高の肴になるのだが、ウナギやクロマグロなんかと同様に、近年どうも「捕りすぎなのではないか」というような話も散見し、旨いとは思うもののやや複雑な気分になってしまう……。
 暗い話はさておいて、冬の話をしよう。寒いので暖かいものが食べたい。しかし、そう手の込んだものは作りたくない。そこで冬場は毎日のように鍋ばかりつついていることになる。湯豆腐のようにシンプルな鍋も、寄せ鍋風にたくさんの具材を入れた鍋もそれぞれによい。熱燗をちびちびやりながらのんびり鍋をつつくのはたまらない。
 中でもゆったり時間を過ごすのに向くのは、常夜鍋だろう。酒と水を1:1で張った鍋に昆布を入れて出汁をとる。豚肉とホウレンソウを用意しておいて、一口分ずつ鍋に入れては、火が通ったらすぐに取り皿にあげ、好みのたれで食べる。一口食べたら酒を一口。ほうと息をついて、次の肉と青菜を鍋に。繰り返しているうちに夜は更けていく。まこと素晴らしいひと時ではないか。
 四季を確認し終えたところで、そろそろ筆をおくことにしよう。そして、今夜の食事を考えることにしよう。さあ、何を食べながら、何を飲もうか。

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