第六開『花/色/本』.原井

「それじゃあ、教科書次のページ」
 金曜日の三時間目、理科の授業。佐伯先生の指示にしたがって、ぼくは教科書のページをめくる。真横から半分にスライスされた眼球のイラスト。先生がプロジェクタを操作して、同じ図が黒板に浮かびあがる。
「みんなの教科書にある図です。さあ、それぞれの部分のはたらきについて、説明していこう」
 先生がチョークで書き込みを入れながら説明していく。角膜、虹彩、ひとみ、水晶体、ガラス体、網膜、視神経……。
 ここは大事だから太く書いておこう。先生が太チョークに持ちかえるのにあわせて、普通のペンと太ペンを使い分けながら、ノートをとっていくぼくたち。
 授業が終わる八分まえ。先生がふとしゃべるのをやめた。
「これは中学ではやらない内容なんだけど」前置きをして、「網膜の奥にはシ細胞って細胞があってね。スイタイ細胞とカンタイ細胞っていうんだけど」
 シ細胞は、たぶん「視細胞」のことだろう。スイタイ細胞とカンタイ細胞って、どういう字を書くんだろう。
「カンタイ細胞は、光の強さを受け取る細胞。明るい暗いは、この細胞によって判断できるんだね。一方のスイタイ細胞は……何を受け取る細胞だと思う?」
 先生がぐるりと一周教室を見まわすけれど、答えてみようってやつはいなかった。ぼくも、ちょっとだけ考えてみて、何も思いつかなかったから、何を見るともなしにノートに視線を落とす。
「この細胞は、色を感知する細胞……でした。いまではもう、形だけしか残っていないけれど。ヒトのスイタイ細胞がどうしてはたらきを止めてしまったのかは、まだ解明されていません」
 ああ、そうか。
 色が見える、ということが想像できなくて、完全に意識の外側だった。
 ぼくたち人類が色覚を失ってから、もう二世代ぐらいが経つ。ぼくらの祖父母のそのまた祖父母の世代に色が見えない人が目立つようになり、僕らの祖父母の世代では色覚がある人類はごく少数派に、そして僕らの親世代にあたるある年、新生児のすべてが色覚をもたずに生まれてきたことが判明した。その子ども世代であるぼくたちも、生まれてこのかた、色が見えるとはどういうことかを知らずに育ってきたのだ。
 昔の人たちは、白と黒の濃淡だけで表現される世界(色のついた写真が撮れるようになるまでは、色のない写真しか撮れなかったんだってさ。どっちにしろ、ぼくたちには区別がつかないけれど)のことを「モノクロ」って呼んだらしい。国語の授業で習ったから、ぼくも言葉は知っている。ぼくらはみんな、モノクロの世界に生きている。
「これは国語や歴史なんかとも関連する話題だから、ちょっと特別の課題を出しておきます。色、というテーマで2000字のレポートを提出してください。再来週の金曜日、この理科の時間に提出ね。三人までのグループを作って取り組んでもいいことにします」
 えー、という倦怠ムードが湧き上がって、その日の理科の授業はおしまいとなった。

 四時間目の国語は古典の授業。
 国語の授業は好きだ。自分以外の人の目を通して、自分が知らない世界のことを覗いているような。知らない言葉と出会って、世界の輪郭が次第にくっきりしていく感覚もいい。
 ぼくたちが教科書を広げた教室に、藤枝先生のやわらかい声が響く。
「『春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎわ、少しあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる』。有名な一節です。春の夜明けに心を惹かれる清少納言が、空の様子を描いたところですね。紫、というのは色の名前です」
 ただ、頻繁に色の名前が出てくるのは大変だけど。平安時代の文章だけじゃなくて、ちょっと古めの物語が出てくると、たいていどこかに一つは色の名前が出てくるもので、教科書の欄外に「※色の名前」みたいな註がつく。色の名前だってことは、まあ覚えれば済むとして、実際にどんな感じに見えるのかがわからないこっちとしては、やっぱり何かすわりが悪く思えるものだ。
「みんなは、というか私にもこの辺はうまく想像できないんだけど……昔の日本人は、とても色を大切にしたようです。この時代の女性の正装は十二単といって、何種類もの色の着物を重ね着するのね。その色の組み合わせにもひとつひとつ名前がついていたんだって。試しに資料集の写真を見てみようか」
 資料集に載っていた写真では、等身大の人形が、重たそうな着物を着ていた。何枚もの布が……そうか、これにそれぞれ色がついていたんだな。どんなふうに見えたんだろう。
「色の組み合わせにも名前がついていたわけだけど、日本には昔から、色をあらわすことばがたくさんありました。藍色、浅葱色、亜麻色、瑠璃色、鶯色、鉛丹色……」
 藤枝先生のちょっと縦に長めの字が、黒板に連なっていく。それぞれの字の形を見ていると、文字は美しいと感じる。でもやっぱり、それらの色がどんな風に見えるのかは、さっぱり想像できないのだった。
「さっき佐伯先生から聞いたけど、理科の授業でレポート課題が出てるんだって? うまく題材が見つからなかったら、こういう話も調べてみたらいいんじゃないかな」

 昼休み。案の定というかなんというか、香織がぼくの机にやってきた。
「郁~」
「はい?」
「そんなわけだから、よろしく」
「何が?」
「佐伯先生の課題に決まってるでしょ」
 うん、そんな予感はしていたけどね。
 香織は小四のときに同じクラスになって以来の友人だ。こいつときたら、頭は切れるくせして面倒くさがりなところがある。それで、チャンスさえあればこうやって、グループワークの負担をぼくに押しつけようとしてくるわけだ。本人としては「別に押しつけてるわけじゃなくて、協力してもらってるだけ」らしいけど、その協力の割合がだいぶぼくの方にかたむいているのに、どうやら気づいていないみたいだ。
「放課後、温室にいるからさ」
 そう言い残すと、さっさと女子の輪の中に入っていってしまう香織。ぼくも、いつもの男子グループでの会話に参加……しようと思ったけど、一応、図書室にでも行って、課題のために役立つ本でも探しておくことにしよう。香織はどうせ、その辺のこともぼくに「協力」してもらうつもりでいるだろうから。
 図書館のある西校舎へ向かう渡り廊下。何となく窓の外を見る。昨日は雨が降って重たく暗い空だったけれど、今日は晴れていて明るい。そういえば、以前、国語の時間に虹の七色って言葉も習ったっけ。雨上がりにたまに見える、なんだか巨大な蛇みたいに見えるあのアーチ。空の境界を覆っているみたいで、おまえはここから外へは出ていけないんだって言われてるみたいで、ぼくは閉塞感にも似た気持ちを抱いてしまうけど、さて、昔の人は、どんな風に眺めていたんだろう。
 図書室について、それっぽい本を何冊か見繕ってみる。大きめの国語辞典で「色」と調べてみたり、人体事典で目の仕組みについて調べてみたり、近代の暮らしについての本に色についての項目を探してみたり。
 国語辞典によれば、色というのは光の波長の違いらしい。かつて人類はそれを目で感じることができたけど、今ではできなくなっている。この辺は学校の授業でも習った通りだな。
 人体事典を調べると、理科の時間の疑問が解けた。スイタイ細胞は「錐体細胞」、カンタイ細胞は「桿体細胞」と書くらしい。けれどそれ以上、色に関して理解が深まりそうな記述は、残念ながら、見つけることができなかった。
 ふぅん、色言葉なんていうのがあったのか。色が象徴するイメージ……。〈赤〉は愛や情熱の色。〈青〉は冷静、知性の色。〈紫〉は高貴、神秘の色。エトセトラエトセトラ。たしかに共通点のある言葉がグループにはなっているけれど、そこから心に浮かべるイメージが、はたして本当に昔の人が見た色に近しいのかどうか、判断する方法がないのが不安になるな。
 藤枝先生の言っていた色の名前についても調べてみたけれど、見たことのない大量の言葉が洪水のように目に入ってきて、くらくらしてしまった。やっぱりひとつひとつの漢字は美しかったけど。
 うーん、めぼしい材料は見つからないな、っていうのが正直なところ。レポートを書いてみようと思えるほど、さらに深めてみたい題材がないというか。色というもの事態に興味がないと言ったらうそになるけれど、その興味を向ける先が、具体的に想像できないのだった。
 どうしようかな……。
 ……ま、いいや。放課後、香織と話しているうちに何か思いつくかもしれない。

 放課後。教室で友だち数人と雑談してから、学校の敷地内のすみっこにある温室に向かう。今日は温室の脇にある花壇の前にしゃがんで、香織は何やら草いじりをしているようだった。香織は園芸部などという酔狂な部の、二年生唯一の部員なのだ。植え込みから背を伸ばす植物たちは、なんだか自分たちの意志でも持っていそうに見えて、ぼくなんかにはちょっと気味が悪くもあるんだけれど。花の形の対称性にはちょっと惹かれるところがないでもないけど、全体としての造形は、やっぱりちょっと不気味だ。とくに、同じ種類の花が密集して咲いているところなんかは。
 香織に言わせれば、ものを言わない生物の世話をしてやっている感がいいんだとか。動物は走り回ったり飛んだり吠えたりするけれど、植物はそれをしないから。
「水や肥料をやったり、害になる虫をとったり、自分がかけてあげた手間の分だけ、すくすく育ってくれるのがうれしいんだよね」
「その気持ちはちょっとわかるけど。形が動物とかけ離れすぎてて、ちょっと気味悪いってのが本音だな」
「そう? この花の形とかさ、よく観察してると面白いよ。花びらの部分の、同じ形の繰り返しとか。葉っぱの伸び方にも、ちゃんと規則性があるんだよね。そういうのに気づいたとき、けっこう楽しい」
「なるほどね」
「いい匂いする花もたくさんあるし。あ、そうだ。花によっては蜜が吸えるやつもあるんだよ。ごめんね、って言って、ちょっと摘んで吸ってみるの。ほんのり甘くてさ」
「それはちょっと興味あるかも」
 でしょ? といって香織は笑う。
「あとさー、おばあちゃんが、好きだったんだよね。庭で花とか育てるの」
「あー、昔、香織んちに行ったときに、何か植わってたっけ、そういえば」
「今でもあたしが世話してるよ」
「そうなんだ」
「うん。お母さんとかお父さんはあんまり好きじゃないみたいだけど」
「気持ちはわかるな……」
「でも、庭の手入れをしてるとさー、おばあちゃんがにこにこしながら『きれいでしょ』って言ってたの、思い出すんだよね。ほら、うちのおばあちゃん、色が見える人だったから」
 そういえばそうだった。香織のおばあさんは、めずらしく色覚のある人だったのだそうだ。香織はおばあちゃんっ子だったから、おばあさんが亡くなったとき(ぼくがまだ香織と同じクラスになったことがなかったころだ)は食事もろくにとらないほどふさぎ込んでしまったとか。いまでは考えられないけど。香織が植物の世話を好むわけとして、そのことも強くあるんだろう。
「で、なんかよさそうなテーマある?」
 作業がひと段落したのか、温室の入り口にある小さくておんぼろなベンチにこしかけると、軍手を外しながら香織はそう言った。ベンチは一人半分ぐらいの中途半端な幅しかないので、自然、ぼくは立ったままってことになる。
「ぼくがもう何か調べてて当然みたいな言い方は何」
「どうだったの?」
「いまいちピンとこない」
「えー。どうすんの、それじゃあ」
「それを考えるのもグループワークのうちだと思うんだけど」
「それを郁が考えるのが役割分担ってやつだと思うんだけど」
 沈黙。
 グラウンドの運動部員たちの、何て言ってるんだかよくわからない掛け声。
「おばあさんの思い出とか、何かないの? せっかく、って言ったら悪いけど、色見える人だったんでしょ?」
 そういえば、という感じでぼくがそう言うと、香織はぽかんとした顔で僕を見上げた。
「その手があった。郁、もしかして天才?」

 小学校五年生のときの遠足。行き先は郷土資料館。ぼくたちはそこで、「むかしのひとびとの暮らし」を見てまわることになった。やたら奥行があるテレビやパソコン、さまざまな木製の道具、かなりかさばる通信機……。その一角にあった、「色のある暮らし」というコーナー。カラーコーディネートとやらの指南書や、色見本帳。色だけでサインを伝えていた、視認性の低い旧型の信号機。
 ぼくらの大半が退屈で、早くお昼の時間にならないかな、弁当とおやつが食べたいな、なんて思っていたころ、香織はある道具に心惹かれていたそうだ。
 色鉛筆。
 十二色や三十六色、さらには百色入っているものもあるというそれは、ぼくにはたくさん鉛筆が入ったケースにしか見えなかったけれど、香織には、おばあさんが見えていたという色を、さらに昔の人たちは自分の手で描いていたのだというたしかな証拠として、心なし輝いて見えたのだという。
 昨日の夜、少し興奮した声の香織から電話がかかってきた。
「お母さんに聞いてみたんだけどさ、あるんだって、うちに。色鉛筆」
「え、何?」
「だーかーら! 色鉛筆! 小学生のとき遠足で見たやつ!」
「……思い出した」
「お母さんってば、あのときは教えてくれなかったくせにさー、そういえばおばあちゃんのがしまったままになってたかもね、なんてあっさり言うんだよ。信じられる?」
「いま思い出してくれてよかったじゃん」
「そうなんだけど。ってことだからさ、郁、明日ちょうど土曜だし、うちにおいでよ。そんでさっさとレポートやっつけちゃおう」
「やる気だなあ」
「だって、これ、ちょーいい題材だよ。あとは郁がうまいこと文章書いてくれれば完璧じゃん」
「そこはぼくの担当決定なんだ……」
 そういうわけで、小学生のときぶりに、香織の家におじゃましている。あたりまえだけど、香織の身体が大きくなった以外、特に大きな変わりはないな。記憶通りの家。玄関ドアを開けるまえに庭を眺めてみたら、そこには香織が世話をしているという植物たち。
「ふふん。いい感じっしょ? おばあちゃんが見ても、きっときれいだねって言ってくれると思うんだ」
 案内されたのはリビングのテーブルだった。小学生のころは香織の自室で遊んだりもしたものだけど、さすがに中学生、そういう恥じらいは身につけていたみたいだ。なんてよくわからないところでしみじみしてしまうぼく。
 氷の浮かんだお茶のグラスをふたつ置いて、香織はいったん自分の部屋へ。戻ってきて、
「はい、これ」
 取り出されたのは、十二色入りの色鉛筆。触れてみると、金属製のケースがひんやりと冷たい。
「開けてみて」
 そう言われてふたを開ける。いろいろな濃淡の、鉛筆。おばあさんが好んで使う色があったのか、半分ぐらいの長さになっているものから、それほど減っていないものまであって、なんというか、実際にこれを手に取って使った人がいたんだという使用感がありありとあって、さすがにどきどきしてしまう。
「違いがわからないのもあるな」
 明るさの濃淡で違う“色”だとわかるものもあるけれど、区別のつかないものもある。
「あ、それはね。ほら、このはしっこのところに、ひらがなで色の名前が書いてあるんだ」
 ああ、ほんとだ。
〈くろ〉……はいいとして、〈き〉〈きみどり〉〈みどり〉〈みずいろ〉〈あお〉〈むらさき〉〈もも〉〈あか〉〈だいだい〉〈うすだいだい〉〈ちゃ〉。ぼくが見たことのない、“色”の数々。
「これでさ、何か描いてみようよ」
「何かって?」
「実はさー、色鉛筆もだけど、他にもいいもの、見つかったんだよね」
「いいもの?」
「そう、これ」
 含み笑いの香りが取り出したのは、一冊の本だった。表紙には「ぬりえ」の文字。
「本にもともと線だけの絵が描いてあってさ、これで色を塗ってくんだって。おばあちゃん、好きだったみたい」
 ページをめくってみると、はじめの何ページかには、すでにおばあさんが色を付けていたのだろう、線画だけではなくて、絵に濃淡が生まれている。
「もう全部のページが埋まってるやつも何冊かあったんだけど、それは見ることしかできないから、今日はこれだけ出してきたんだ」
 この本は途中で終わっているということは……つまり、そういうことなんだろう。これがおばあさんにとって最後の一冊だったのだ。そう思うと、ページをめくる手つきも慎重になった。
「あたしたちも実際に、色鉛筆でぬりえをしてみようと思います」
 目立つ動きで背筋を伸ばした香織が、仰々しくそう宣言する。
「でも、いいの? 書き込んじゃって」
「そこはちょっと怖いので昨日の夜にコピーをとっておきました」
 こういうところは抜け目がない。
「じゃあ、郁も。はい」
 僕の前にも、イラストの描かれた(コピーだけど)紙が差し出される。これは、魚が泳いでいる絵だ。
「……ってことは、周りの部分は水だろうから、この〈みずいろ〉を使えばいいのかな。名前からして。でも、水って別に色はついてないよね」
「だよね。〈みずいろ〉っていうけど、別に水の色って意味じゃないのかも」
「ま、いっか」
 とりあえず、〈みずいろ〉の色鉛筆で紙の一部をこすってみる。淡めの影がつく。
「郁って普段は慎重派を気取ってるくせして、変なところ大胆っていうか大ざっぱになるよね」
「そう?」
「もうちょっと真剣に悩むでしょ。あたしたち、いま“色”を描こうとしてるんだよ?」
「とはいっても、見え方が変わるわけじゃないし」
「ばーか。あたしは本気でやるから」
「別に気を抜いてるわけじゃないんだけど」
 僕の反論は意に介さず、本当に「本気」モードになってしまったらしい。香織は黙って、真剣な目で色鉛筆を吟味している。
 目の前にあるのは、草花の線画が描かれた一枚の紙。
「おばあちゃんから聞いたけど、植物のことを、グリーンって言ったんだって。緑、って意味。ってことは、この〈みどり〉でぬればいいのかな」
「そうなんじゃない?」
「郁、ちゃんと考えてないでしょ」
 おっと。自分の作業に集中しているふりをしてごまかす。
「あっ、でも、この三本だけ他のよりだいぶ短いよね……おばあちゃん、好きだったのかな」
 どうやら〈あか〉〈き〉〈あお〉に候補を絞ったようだ。
「うーん……よし、決めた」
 そういって香織は、おごそかに〈あお〉の色鉛筆を手に取る。
 絵の中の葉っぱのひとつに、意を決したように鉛筆の先をあてる。
 少しの間、紙の上に鉛筆を滑らせては、その出来栄えを確かめるようにじっと絵を眺める。
 ときおり低くて小さくうなりながら、たまに鉛筆を持ち換えたりして、香織は手元の絵に着色していく。たぶん、彼女の祖母がそうしていたように。
 その様子を見ているだけのぼくがなんだか少し緊張してしまう。のどが渇く。グラスのお茶を飲む。ぼくのグラスはだいぶ空に近づいていた。香織のグラスは、氷が解けただけでほとんど中身が減っていない。
 考えているときの癖なんだろうか、色を置くその合間あいまに、右手で持った鉛筆をあごにあてて、左手で前髪をかき上げる。その動作に、不覚にも、どきっとしてしまうぼく。こいつを女の子として意識するのはこれがはじめてで、なんだかむずがゆくて、この部屋から逃げ出したくなる。
「どうしたの?」
 僕の手がずっと止まっていることに気づいたんだろう。軽く首をかたむけて、香織が訊いてくる。
「あ、いや、ちょっとぼーっとしてた」
 慌てて、適当な(ろくに確かめてもいない)色に鉛筆を持ち換える。
 香織がなんだか色っぽくて、なんて、言えるはずもない。

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