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母の誕生日に恐ろしいことを考える娘

 更年期と花粉症とで朝から大泣きしている。散歩には出たけれどすぐに戻ってきて、そのままベッドに座り込み、自分のひざを何時間も眺めていたーー。
 目がかゆくてかゆくて、くしゃみも止まらなくて、自分がみじめで。箱ティッシュを抱え、涙と鼻水でぐっちゃぐちゃになった顔と向き合う。これが私? いつからこんな「男性的」な顔になったのだろう。あぁ、笑わなきゃ。こんな時こそ自分をちゃんと笑ってやらなきゃ。嘘でもいいから、笑わなきゃ。そう思うのに、だめだ。今日は無理だ。涙が止まらない。

 年末からの躁状態が落ち着いて、今度はまた鬱だ。というより、4月なんて憂鬱で当たり前だろう。出会いとか別れとか新学期とか友達100人とか、ヘドが出る。
 こんな憂鬱な季節に母は生まれてきたのだなと、ぼんやり思う。70になったのだろうか。かわいそうな女だ。不幸せな母親だ。こんな娘を産んでしまってーー。

 昔、一枚の古い写真に衝撃を受けたことがある。まだよちよち歩きの兄が、公園のブランコに乗りたがって母を見上げている、楽しそうな母子のツーショットだ。けれども母は私に言った。「おまえもここにいるよ」ーー写真の中の若い母の腹は、大きく膨らんでいた。

 最近になってよく思い出す。思い出して悔しくなる。私が小さかった頃、母はギターを弾き語りしてよく歌っていた。レコードもたくさん持っていた。音楽が好きだったのだ。あの時代にそんな女はどこを見回してもいなかった。母はお金持ちのお嬢様だったから、教養があったということだろう。私に歌を教えてくれたっけ。《遥か離れたそのまた向こう 誰にでも好かれるきれいな娘がいた》ーーそんな大人っぽい歌詞を、小さな私に何度も何度も歌って聴かせてくれた。才能に溢れた人だった。

 けれども母はあっという間に生活に追われ、私が小学生になる頃にはもう、ギターなど一度も触れたこともないかのような平凡な女になってしまった。夫に隷属し、自分のことを才能のない人間だと思い込んでしまった。母が父に泣かされるのを、私はじっと見ていた。

 人はどうやって生まれてくるのか。男なんて好き勝手に女の股に潜り込むだけではないか。女は命がけで自分の股から人間をひとり捻り出すのだ。それなのに。
 私はまだ一度も母を幸せにしたことがない。それどころか私は母を軽蔑している。命がけで産んでくれた母を軽蔑している。必死で働いて養ってくれた母を軽蔑している。夫と子供の奴隷になって、自分の人生をあきらめた母を軽蔑している。子供のためだけに歳を取ってしまった母を軽蔑している。ギターを弾かなくなった母を軽蔑している。歌わなくなった母を軽蔑している。でもそれは母のせいじゃない。

 生まれなきゃよかった。

 私も兄も生まれなければよかった。母は父と出会わなければよかった。母も生まれなければよかったのだ。そのために祖父母も生まれなければよかった。先祖も生まれなければよかった。ホモサピエンスはネアンデルタール人と出会うべきではなかった。ビッグバンなど起きなければよかった。私が生まれないために。母の才能を奪わないために。


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