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能登半島地震の支援をめぐる論争について

Xアカウントも凍結したのだし、しばらくは黙っていようかと思っていたのですが、能登半島地震の被災地に対する個人ボランティアによる支援について、論争が起こっているのを見かけましたので、一言だけ書いておきたいと思います。

昔、私も東日本大震災の発災直後に、職務で復興支援に派遣されたことがあります。私が担当したのは、医療支援にあたる派遣医師のみなさんを現地につなぐ、大切な仕事でした。

私は、発災から比較的時間が経った時期の派遣だったので(確か、発災から1~2か月程度経った頃だったと思います)、都市部の宿泊施設を利用することができましたが、それでも、タオルなどのカトラリー類などが不足しており、使用できなかったのを覚えています。交通事情などはずいぶん改善していましたが、津波の被害を受けた地域などは、いまだに道路の浸水がひどく、潮見表を見ながら、干潮の日を見計らって現地入りをしたりしていました(それでも海水が道路にあふれていたので、塩分が車を傷つけないよう、都度ごとに車のタイヤや底面を水洗いしていました)。

食料にしても医療にしても、なんでもかんでも運び入れればよいというものではなくて、それぞれの避難所ごとに不足している物品をデータベース化しながら、過不足なく届けられるよう細心の注意を払っていました。よく言われることですが、被災地はさながら「戦場」のようなものです。必要な物資を必要とされるだけ、システマティックに前線である避難所に届け続けることが大切になります。不要な物品や人員を送り込んでしまえば、それだけで、限りある現地のリソース(交通余力や保管場所等々)を圧迫してしまいますし、現場を混乱させる原因になるからです。

例えば、印象深かった出来事をお話ししますと、東日本大震災では、当初、現地で看護師が不足しているという声があり、たくさんの看護師の方が支援のために現地入りをし、福祉避難所(医療や介護が必要となる方のための避難所のこと)等に中心に配置されたのですが、私が被災地に派遣された時期になると、もう、全国から派遣された看護師でいささか過剰供給気味となっておりました。代わりに、発災からしばらくたった時期になると、避難者の心のケア、特に「傾聴」といって、避難者の方々のお話にしっかり耳を傾けて、心理的な安心感を持っていただくというようなことのニーズが大きくなっており、人手が足りない状況が生まれていました。現地派遣されていた私は、派遣元に連絡をとって、看護師の派遣要請を縮小し、介護士や臨床心理士の追加派遣を急いで依頼したのを覚えています。

そのような試行錯誤の中で、現地に派遣された職員がリアルタイムの情報をとり、本当に必要なものを届けるというシステムを確立していったのです。

今回の能登半島地震では、そうした復興支援の経験が生かされているように思います。

リエゾン派遣された職員の情報を基に、まとまった支援物資を送り込める団体や企業から、必要なものを必要なだけ、システマティックに送り込んでいく。それが今、東日本大震災の状況を教訓として、全国的に展開されているのだろうと思います。

さて。

いま、個人のボランティアがばらばらに現地入りし、思い思いの物資を届けるというような行為について、SNS上で議論になっていると聞いています。もちろん、その善意は疑いようのないものだとは思いますし、そうやって被災地の人々を助けたいという思いで動く人々が日本社会にたくさんいるということは、本当に素晴らしい、希望を持てることだと思います。

でも、被災地のことを考えるのであれば――これは私自身の過去の経験を基にした、個人的な意見にすぎませんが――まずは行政や公的団体の組織的な支援を信頼し、支援をゆだねたうえで、もしどうしても被災地への支援の思いをかたちにしたいということであれば、それぞれの組織が開設している支援先口座に寄付をする、というのがベストなのではないかと思います。

もちろん、政府や体制を批判したいポジションの方々からすれば、「行政なんか信頼できない」「自分が直接行って、現地の声を聴く/現地を支援する」と言いたくなる・行動したくなることは、非常によくわかります。ですが、未曽有の災害からの復興に向け、社会が一丸となって支援しなければならないという今の状況を鑑みていただいて、そこはぐっとこらえてもらいたいな、と個人的には感じます。

一方、そうした個人ボランティア的な行動を嫌悪するあまり、被災地域に行くこと自体を過度に忌避する向きが出ているのも、憂慮するべきことです。

私が震災派遣されたとき、被災地の首長から、私たち派遣職員に対して「ぜひ、私たちの土地の美味しいものをたくさん食べて、お金を落としてもらいたい。それが一番の復興支援だ」というコメントがありました。私も、せっかくなので、職務後の夕ご飯などには、当地の名産などをいただき、しっかりとお金を使わせていただいたのを覚えています。三陸海岸などを擁する東北地方ですので、海産物などはとても美味でした。

今回の能登半島地震についても、同じことが言えるのではないかなと思います。もちろん、いまだ孤立しているような場所は別ですが、復興がすでに進んでいる都市部などについては、ぜひ、観光などで訪問し、しっかりと現地でお金を使うことが、経済的な意味での復興支援につながるのではないかと思います。地震で大変だからと、被災地域への訪問を自粛するなどという動きが広がれば、かえって復興にとってはマイナスになってしまうと思います。

誤解のないように言っておきますが、行政の支援を検証したり、批判することを否定しているわけではありません。政府や自治体だって完璧ではありませんから、不備や不足、失敗はつきものであって、市民がしっかりと監視することは、災害対策をよりよいものにしていくという点で、とても大切なことです。特に今回、電源や道路などのインフラの復旧体制や、原発の安全対策について、改めて活発な議論が行われていることは、とても良い傾向だと思います。

しかし、そうした議論は、政府や自治体から提供される情報や、メディアの報道を基にして十分できるはずです。被災地の自治体の要請を無視して、個々ばらばらに現地に押し掛けることを合理化する理由にはなりません。

本当に被災地の人々のことを思うのであれば、まずは、復興や支援に必死に尽力する、当事者やプロの支援者の方々を、温かい目で見守るべきではないでしょうか。

以上

青識亜論