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なぜ私たちは対話をするのか?

よく聞かれる。

「対話をして、誰かを変えることができたのか?」

根本的な考え違いだと、私は思う。

以前、朝日新聞の記者が、わざわざ我が地元・徳島まで来てくれて、私のネット論客活動について、インタビューをしてくれたことがある。二年ほど前のことだ。結局、記事にはならなかったけれども、印象深い問いがあった。

「対話が大事だという『青識亜論』としての考え方はわかったけれども、そんな対話で、ヘイトスピーカーを止めることができるのか?」

朝日新聞記者らしい、問いだと思った。

確か、駅前の居酒屋でちょっと飲みながら、インタビューを受けていた気がする。にこやかで人当たりの良い感じの記者だったけれども、そのときばかりは、目に爛々とした光が宿っていた。

「それは」

一瞬考えて、一呼吸置いて、

「それは違うんですよ。対話というのは、誰かに自分の考えを押しつける為にするものじゃないんです。それが、その発想が、全ての間違いだと思うんです」

と答えたと思う。

言い終えてから、私はぐびりとジョッキに残ったビールを飲んで、喉をうるおした。お茶ならぬビールで場を濁したと思われたかもしれないが、しかし、私の回答は真剣だった。

「他人の考えを変えられないなら、いったい、なんのために対話なんてするんですか。議論なんかしても、意味がないんじゃないですか」

記者という職業の人間、それも、新聞業界の中ではもっとも進歩的な企業に身を置く人間らしい、素朴な疑問だと思う。

新聞やテレビに載せた言葉は、きっと何百万人もの人々の思想を揺り動かし、そのうちの何万人もの人々の人生さえも変えてしまい、ときには政治さえ動かすのだろう。

そんな誰かに影響を与え続ける立場で筆を執り続けている人間にとっては、膨大な時間をとって、人間と人間が対話を続けることは、まったく馬鹿げた、時間の浪費にも見えるのかもしれない。

大新聞や大メディア、あるいは炎上系Yotuberにでもなって、一方的にバズを飛ばしまくったほうが、自分の考え方を効率的に人々に伝えることができると、そう思うのは自然な思考だと思う。

しかし、そういった営為では変えられないものが一つだけある。

自分だ。

自分の考え方だ。

もっと言えば、自分たちと同じ側に立つ人々の考えだ。

対話というのは、まだるっこしい営みだ。自分を相手と同じ目線、対等な立場に置き、相手が理解できるような言葉を探しながら発話する。

そのとき、自分の考えを、相手にも伝わるような言葉に変換する必要が生じるのだ。自分一人ならば、自分の考えを自分に説明する必要など無い。

しかし、自己を対立者と対等な立場に置いて発話するとき、自己の思想は対等な他者の視線に反射的にさらされることになる。

自分の思想の隙や欠けた側面を、私たちは対話の中で、いやおうなく見つめることになるのだ。

そうして私たちは、対話を続ける限り、絶えず、自分の考えの正しさをどうやって相手に届けるのか、永久に探り続けることになる。

私たちの思考は、あたかも将棋やチェスを指すときに、対立者の最善手を想像しながら次手を考えるように、自分自身との対話に没頭していくことになる。自分自身なら自分の考え方にどう反論するか。その反論を砕くための理論とはなにか。そもそも、私たちの考え方の源泉はどこにあるのか。その正しさを客観的に説明するためにはどういう言葉が適切なのか。

断っておくが、新聞記者に、読者に伝えるための努力が存在しないと言いたいのではない。それは、私のような根無し草のネット論客とはまったく違ったレベルでの、職業的な研鑽と努力があるのだろう。

ただ、マスメディアや、大学教授といった、職業的な人々の「伝える」行為は、基本的には一方通行なのだ。一段上から、「正しい言葉」を伝える作業と、どちらが正しいのかの権威差がない場所で、同じ高さの目線で言葉を交わし合う行為とは、質的にまったく異なっていると言っていいと思う。

他者の目とは、鏡のようなものだ。

対話というのは、実は、他者に言葉を届けるために行うものではない。もちろん、他者に言葉を届けようと努力をするのだけれども、その努力を通して、実際には、他者という鏡を通して、自己を見つめなおす作業なのだ。

「だから、差別主義者やヘイトスピーカー、あるいはフェミニストやリベラルや、私と異なる考えの人々が、私の言葉に納得して、ただちに考えを改めるとは思っていないんです。いや、もちろん、変わったらいいと思いますよ。そう願って、私は彼らに届くための言葉を練る。彼らも、私を変えるために言葉を紡ぐ。それでいいんです。お互いがお互いに言葉を届けようとする過程で、私たちは、実は自分自身を見つめ直すんです……」

そう熱弁するときには、もう一杯のジョッキが空っぽになっていた。

ツマミに注文した厚焼き卵を、私は記者氏と二つに分けて、口に運んだ。記者氏もビールを飲むと、口を開いた。

「それを、今、ヘイトスピーチを浴びせられている人々に言えますか」

「言えますよ。そして、私はその、私の意見に納得しない在日コリアンや、LGBTの人々や、フェミニストの人々とも、ぜひ、お話をしたいと思うんです。それで私の考えが変わるかもしれない。あるいは、その人々のほうが変わるかもしれない。でも、それでいいんです」

私はくらくらと酔っていた。記者氏のほうは、飲んでいたけれどもまだ素面だったと思う。なにせ彼は仕事中だ。そのぐらいの不公平は許してもらおう。

「でも、それじゃあ、今、差別に苦しんでいる人は納得しないんじゃないですか? あるいは、そんな悠長なことを言っている間に、青識さんが守りたい、表現の自由が権力者に潰されるかもしれませんよ?」

「そんなことはないと、私は思いますよ。だって、私が「そういう活動」をしていたからこそ、記者さんも、私のところに取材に来てくれたわけじゃないですか。私はね、種子を撒くようなものだと思っているんですよ。議論しているうちは、対立者のことを、けしからん不正義の唱道者で、悪魔の手先だと思って憤ってるかもしれない。でも、そのときの対話のことを、十年後に思い出して、ああ、あれはこのことを言っていたのかと、なにかに気づくきっかけになるかもしれない。そういう希望に向かって投擲する行為なんですよ。対話というのは、ねえ、そう思いませんか」

「希望的観測じゃないですか?」

「その希望に全力で賭けるのが、民主主義という思想でしょう。違いますか」

記者さんもビールのジョッキを空けていた。けれど、追加で注文することはしなかった。

それから、

「今日は取材に応じてくれてありがとうございます。青識さんは、御自身が思ってるよりも、ずっとリベラルですよ。」

などと言っていたような気がする。そのあたりの記憶はあいまいだ。なんせ、酔っていたのだから。

「青識さんと会えてよかった」

と言ってもらいながら、その日は別れた。

結局、私のことは、記事になることはなかった。だから、記者氏の言っていたことが本音なのか、取材相手から情報を引き出すためのトークだったのかはわからない。

けど、いろいろな人と会って、いろいろと考えが変わった今でも、その日に話したことは、私自身の中で変わらない、核のようなものとして私の中心に残り続けている。

あるいはそれも、あのときの朝日新聞記者の目という一枚の「鏡」を通して、私が私自身を見つめ直した結果なのかもしれない。

以上

青識亜論