NAGAOKA yoshiyuki

フリーランス記者。出版流通/出版の自由/子どもの権利/労働/時事諸々。著書『マンガはな…

NAGAOKA yoshiyuki

フリーランス記者。出版流通/出版の自由/子どもの権利/労働/時事諸々。著書『マンガはなぜ規制されるのか』平凡社、『物語のある本屋』アルメディア他。福島高専化学科卒・早大第二文学部中退。福島県旧小高町の実家は津波で流され、東電のせいで一時警戒区域に。

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プロフィール代わりに

まずは、どこかで書いた記事の転載(初出は明記。読み直して変な文章や事実関係の誤りなどがあったら改稿して載せるつもり)を基本にしようと思うので、しばらくは自分自身のSNSでもほかのところでも、このnoteのことはとくに宣伝しないで、ひっそりとはじめるつもりです。 以下は、「原発のない未来へ」という出版労連(日本出版労働組合連合会)が毎月出していた機関紙に原稿を書き、その後、『原発のない未来へ2 私たちは忘れない』(出版労連発行)というブックレットに一部改稿して転載した記事(どっ

    • お題:こっくりさん

      40年以上前、小学6年生だった私は、学校でこっくりさん(狐狗狸さん)を流行らせた。2校時めが終わってからの休み時間、給食の後のお昼休み、放課後と、1日に何度も何度も級友を誘ってこっくりさんをやり続けた。つのだじろうのマンガ「うしろの百太郎」や「恐怖新聞」が大流行していたころだったけれども、私がこれらのコミックスを(しっかりと)読んだのは中学に入ってからだった。そのころどこでこっくりさんのやり方を知ったのかは、よく覚えていない。 こっくりさんの遊び方は簡単だ。横にしたわら半紙

      • 「相馬の若者の気合い」に難癖を付ける者ら

         名古屋で開かれていた芸術祭「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の展示が不快だなどとして抗議にさらされ、ガソリン携行缶を持って行くと主催者を脅迫する事件まで起きてしまった。表現の不自由展は開催3日で中断を余儀なくされ、加えて、政権の意を受けたらしき文化庁が助成を撤回するという横やりまで入ることになる。だが、愛知県などの主催側は、芸術祭の終了間際に展示を再開し、ぎりぎりのところで矜持を保った。  この展示に福島ゆかりの作品があったことに気がついたのは、不自由展の

        • ポポーの実 干拓地に暮らしていた友人との思い出

           小学時代よく遊んだ友だちの家の庭に、ポポーの木があった。いまごろの季節には黄緑っぽい果実がたわわに実り、友だちのお祖父さんにごちそうしてもらったものだ。異国を思わせる癖のある味だったけれど、ほっぺたがとろけ落ちるほど甘くおいしかった。以来40年以上、口にしたことのない思い出の果物だ。  友人の家は旧小高町の井田川にあった。かつて井田川浦(リンク先はPDFファイル)という潟があり、旧石神村(現南相馬市原町区)の土建業者、太田秋之助(後に県会議長、国会議員を歴任)らが大正末期か

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        プロフィール代わりに

          あるドキュメンタリー映画 被ばく労働者に対するスティグマ

           震災・原発事故の翌月、水俣市長が緊急メッセージを発した。水俣病によって〈偏見や差別を受け、物が売れない、人が来ないなどの影響を受けたり、就職を断られる、婚約が解消されるなどの影響を受けたこともあります〉と述べ、〈放射線は確かに怖いものです。しかし、事実に基づかない偏見差別、非難中傷は、人としてもっと怖く悲しい行動です〉と訴えたものだ。地元内の軋轢を経験したであろう首長だからこそ、説得力のある内容だった。  震災から2年後、原発事故による“健康被害”を取り上げた、あるドキュメ

          あるドキュメンタリー映画 被ばく労働者に対するスティグマ

          出稼ぎと原発 山谷の支援者と話をしていて気がついたこと

           東京の寄せ場、山谷で野宿者支援などに取り組む知人と雑談をしていたとき、山谷暮らしの人の出身地はどこかという話になった。彼は「東北出身の人がたくさんいる。福島は、浜通りの人もいるけど、会津はもっと多い」と言った。  ハタと気がついた。同じ福島県出身者でも、会津には大きな産業がなかったので東京に残り、浜通りには原発ができたので田舎に帰ることができた。中通りは働き口が比較的多く、もともと山谷にたどり着く人が少なかった。多分そういうことだったのだろう、と。  1964年の東京オリン

          出稼ぎと原発 山谷の支援者と話をしていて気がついたこと

          「フクイチ」「イチエフ」問題 地元民を捨象した都市民どうしのさや当て

           東日本大震災による原発事故以来、世間では東京電力福島第一原子力発電所の略称としてふた通りの言い方が流通している。「フクイチ」と「イチエフ」だ。  フクイチを使うのは、以前は原発容認だったり、自分に累が及ばなければ興味も関心もなかったりしたにもかかわらず、事故に直面して生活保守的に原発反対に転じた都市生活者に多いという印象がある。  イチエフは、もともと地元の原発作業員らが日常的にかわしていた言葉を竜田一人氏がコミックスの『いちえふ』に採録したことによって一般に広まったようだ

          「フクイチ」「イチエフ」問題 地元民を捨象した都市民どうしのさや当て

          ある「発掘」調査 福島県浪江町に残る南朝伝説

           40年以上前、私が小学生か中学生だったころ、伯母が「浪江の大堀には昔、南朝方の天皇が落ち延びてきて、御所が置かれていた。御所の発掘が行われたこともある」と話してくれたことがある。当時、伯母の家は私の実家があった旧小高町の隣、浪江町の小野田という部落にあった。小野田の西隣が旧大堀村の中心、大堀部落だ。大堀焼(大堀相馬焼)の里といえばわかりやすいかもしれない。  郷土の伝承に惹かれ、少しばかりそんな本をかじってみると、南朝の政権を樹立した後醍醐天皇の末裔とされる信雅王なる人物が

          ある「発掘」調査 福島県浪江町に残る南朝伝説