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【エッセイ】SNS断ちを始めた話

先日33歳になった。
その途端に、わたしのやる気スイッチがオフになった。
読書も注意力散漫だし、noteも文章がまとまらずに放置したし、ご飯を作ることも面倒になった。
必要最低限のことだけをこなし、なんとか日々をやり過ごす。
スイッチがオフになった理由は言語化できずに数日経った。

最近、読書を続ける中で思考グセみたいなものがついていたのであろう。
【なぜ、罪悪感をいだくのか?また誰に対する罪なのか?】を初めて考えてみたのだ。
以下、わたしが思うなぜ・誰に、だ。

なぜ?
わたしの中で”休日はみんな素敵に充実した時間をすごすもの”という固定概念があり、みんなと同じができない自分は罪だ、という考えが芽生えてしまうから。

誰に?
みんなと同じができない自分に対して。

さて。
ここで考えなければいけないのは”みんな”とは誰か?ということだ。

わたしにとってのみんなは”SNSの中の人”だ。
たとえばSNSの中の人たちをみて「みんなすごいな」「みんな頑張ってるな」「みんな賢いな」「みんなかわいいな」という感想をもったとする。
さて、その”みんな”は“ある特定の一部のひと”であることはないだろうか。またある特定の一部のひとの、切り取られた部分だけで判断していないだろうか。

じつは、自分の中で育ててしまった“みんな”という人物像は、みんなと呼ぶには少々偏っていたりする。

わたしが感じていた罪悪感は、わたしが勝手に作りだした”偏ったみんな”の視線を勝手に浴びていたのだ。
おそらくそれは、33歳にもなって仕事をしていないことに対する自信のなさからも来ているのだろう。
ちょっと考えたら、そんな視線はなかったことに気づく。

ありもしない人の視線を気にするのはSNSを見続けているから。

そこで、本日8月1日から31日までの1ヶ月間、SNSを絶ってみようと思う。
そして、SNSを断つことで生まれる時間を読書&noteに費やしてみようと思う。
(noteもSNSなんだけど、ここは自分のアウトプットの練習場であるからしてOKだと理屈をこねてみた。)

さて、スイッチがオンになったようなので、そろそろ33歳をスタートしよう。


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