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63.国立第二次世界大戦博物館とニューオーリンズPart2 (アメリカ南部ツアー、ルイジアナ州)

前回の続きです。

それでは、全米4位の人気を誇る第二次世界大戦博物館を取り上げようと思って、Trip Advisorをダブルチェックしたところ、2017年博物館ランキング世界2位になっていました(笑)。

市内のポスターは2016年ランキングのようで、情報が古いので、絶対更新すべきです。全米4位→世界2位だと全くインパクトが違いますからね。参考までに5位までのランキングは以下になります。

1位The Metropolitan Museum of Art(NY)
2位The National WWII Museum(New Orleans)
3位Musee d'Orsay(Paris)
4位The Art Institute of Chicago(Chicago)
5位State Hermitage Museum and Winter Palace(St. Petersburg, Russia)

高校生の見学者が多い、観光客が多く館内は混雑するので、出来るだけ開館時間の9時に行くべきです。私は少し出遅れて9時20分に着きましたが、既に行列ができていて10分ほど待ちました!

場所ですが、市内中心部(Preservation Hall)から20分で着きます。

徒歩+Canal at Carondelet駅から12St.Charlesという緑色の路面電車(Streetcarという)に乗ります。

乗り場に標識がないのでわかりにくいが、Canal通り沿いのCVSの前の人だかりがある場所です(笑)

市内の路面電車は、1回の乗車が1.25ドルで1日乗車券が3ドルです。

1回乗車券は、いちいち購入するのに時間がかかる+車内がいっぱいの時は1日乗車券の保持者から優先乗車できます。そのため、2回乗るのであれば1日乗車券を買うのがおすすめです。

国立第二次世界大戦博物館見学前に、一番気になっていたのが、原爆の展示物の説明ぶりでした。

○広島、長崎での死傷者の数の記載のされ方

○「原爆使用が、日本の降伏、そして戦争の早期終結に繋がった」という説明のされ方

の2点が最大の関心事です。

アルバカーキのNational Museum of Nuclear(国立原子力博物館)の記述、Wikiの記述は以下になります。

広島(Little Boy):国立原子力博物館7万~13万人、英語Wiki6万6000人、日本語Wiki11万8661人

長崎(Fat Man):国立原子力博物館4万5000人、英語Wiki3万5000-4万人、日本語Wiki7万3900人

さて、どんな結果になるかワクワクドキドキです。果たして、結果は!!!

なんと、「広島約14万人、長崎約7万人」でした。広島に至っては、日本語Wikiよりも多い死者数になっています。貴重な資料なので、英文を以下に記載します。

When Japan dismissed Allied surrender terms announced at the Potsdam Conference, the Allies reacted swiftly. On August 6, 1945, a rare clear day ober the target, Colonel Paul Tibbets and the crew of “Enola Gay” delivered the world’s first atomic bomb, striking the city of Hiroshima. The bomb decimated the city, ultimately killing approximately 140,000 and wounding many more. When no surrender was forthcoming, on August 9, 1945, the crew of the B-29 “Bockscar” delivered a second atomic bomb. When their assigned primary target, Kokura, was obscured by clouds, they bombed their second target, Nagasaki, killing approximately 70,000.

これは、非常に興味深い展示物です。ニューメキシコ州アルバカーキのNational Museum of Nuclear(国立原子力博物館)もルイジアナ州ニューオーリンズのThe National WWⅡ Museum(国立第二次世界大戦博物館)も国の支援を得て建設された国立です。

日本の国立博物館の近現代の展示で、戦争死傷者数が博物館によって全く違うというのは考えられないと思います。しかし、アメリカの面白さは、州をまたいで、博物館が異なれば、国立でも全く異なる展示になるという事実です。

「いや~、本当にアメリカという国による中央政府統治と州自治の違いは面白い!」と声に出してしまいました。

アメリカでは、中央ではなく、州ごとに学校での指導内容や教科書内容を自由に決めるので、各州で歴史解釈が異なるのは全く問題がないのです。

だからこそ全米に渡る画一的な歴史的事実は存在せずに、各州と同様にどの教授や専門家の書物を引用するかで異なってくるわけです(進化論の例がわかりやすいでしょう)。

この博物館は、日本の降伏に関しても、「ソ連の対日参戦」にしっかりと触れていて、学術界の主流解釈に一番近い記述をしていると個人的に思いました(間違っていたら教えていただけると助かります)。

The twin shocks of the Soviet declaration of war and the Nagasaki bombing ignited fierce debates in Tokyo. Emperor Hirohito decided that Japan must “endure the unendurable.” Although the Allied leaders rejected Japan’s initial demand that the emeperor retain supreme authority during the occupation, Hirohito ordered his government to surrender. After outbreaks of rebellion, Japan’s armed forces reluctantly complied. On August 15, a radio broadcast of a recording of Hirohito’s voice notified the stunned Japanese people that the war had ended. Hirohito would remain a symbolic figure as emperor. Japan signed the formal surrender socuments abroad the battleship USS Missouri(BB-63) in Tokyo Bay on September 2,1945. World War Ⅱ was over.

この降伏(Surrender)にある記述は、昭和天皇をやたら強調しているように見えますが、実はこの展示(The Road to Tokyo)の始まりから、昭和天皇に対する位置づけはAllies(連合)のルーズベルト、チャーチル、蒋介石に対するAxis(悪の枢軸?)としてHirohitoとなっています。


Road to Tokyoの入口と一番最初の展示
わかりやすいAxisとAlliesの対立構造、そういえばUnited Nation=United Allies=連合国です。敗戦国日本は戦争記憶を封印するために、「国際連合」と異訳しましたが、「連合国」が正しい訳です

そもそも、イギリスって関与してましたっけ?

太平洋戦争と言うと、私はどうしても日本対アメリカという図式を思い出しがちです。

しかし、第二次世界大戦という枠組みだと確かに、ビルマやインドでの戦い、特に有名なインパール作戦という牟田口の無謀作戦では、日本はイギリスに大敗を喫していることを思い出します。

日本人の感覚からしても政治指導者という並びでも、昭和天皇(Hirohito)ではなく、東条英機が適切ではないかと一瞬思ってしまいましたが、戦時中でも東条英機、小磯 國昭、鈴木貫太郎と終戦までの間に首相は変わっているので、戦争期間中に一貫して責任があるシンボル的存在として昭和天皇(Hirohito)ということなのでしょうか?

あまり釈然としませんが、歴史に解釈は付き物なので、いままで見たことのない展示物は既存の思い込みを再考する機会をくれました。

1942年の日本の領域


そうそう、この東條を昭和天皇の代わりに大きな展示に持ってくればいいのでは?と思いました
誰もが知っているマッカーサー元帥と海軍大将のニミッツ。
6人のアメリカリーダーに対してイギリスは1人のみ!
アメリカ人が尊敬する第32代大統領フランクリン・ルーズベルト!
博物館チケット売り場の展示物


8つの関心

ここからは、私の8つの関心の順番に当時の状況に思いを馳せてみます。

1.アメリカ空軍(当時は陸軍の一部ですが)による空爆の記述はどのようなものでしょうか?

2018年3月21日にコロラドスプリングスの空軍士官学校を見学してから、第二次世界大戦中の陸軍、海軍、陸軍から独立を目指した空軍部隊のいわば3つの官僚機構のアメリカ内での内なる戦いが、多大な民間人の犠牲を出す大空襲に繋がったことを学びました。

例えば、Edward Luttwakの“The Rise of China vs. the Logic of Strategy”では、アメリカの対中政策は、財務省、国防省、国務省で異なるので、その時の政策決定を組織毎に見る必要があると喝破しています。財務省は親中、国防省は反中、国務省は関与(Engagement)と封じ込め(Containment)を混ぜたコンゲージメント(Congagement、アーロン・フリードバーグの用語)戦略というのが一般的傾向です。

このようなわけで、国際関係(リベラリズム)においてはStake Holder分析が重要ですので、第二次世界大戦も陸軍、海軍、空軍の動きを別々に見て行くと、全く異なる動きをしているので面白いと思いました♪

さて、まずはBombing Japanese Citiesの展示ですが、

1945年3月9日にカーチス・ルメイが大胆な低空飛行によって、夜間の東京に焼夷弾を使用し始めることが描かれています(a daring, low-level, nighttime strike on Tokyo using incendiary rather than conventional bombs.)。

16平方マイルの炎の嵐により10万人以上の人が犠牲になったとあります(That attack ignited a firestorm that consumed 16 square miles and killed more than 100,000 people.)。

次にControlling the Skiesです。

B29のおかげで1945年中盤までには、日本の制空権を押さえたという記述のほか、日本の港や内陸水路の通航を防ぐために13000個の機雷を設置していたことも書かれています。

なんと、B29が空だけではなく、海も押さえていたことは知りませんでした…( ゚Д゚)ちなみに、日本はほとんど対空砲がなかったため、B29は高度10000m以上を飛ぶ必要がなく、低空飛行により大量のポイント爆撃ができたようです。

最後にFirebombing Cities of Japanです。

都市のどのぐらいが破壊されたかが%で記載されています。また、同じ規模のアメリカの都市も付記されています。意外に一番破壊されているのが、Toyama95.6%,Fukui86%,Tokushima85.2%,Fukiuyama80.9%,Kofu78.6%という感じです。

破壊されていない都市はNishinomiya11.9%,Amagasaki18.9%,Ube20.7%,Sendai21.9%です。集団疎開で地方に行った方が安全と言われていましたが、全国土が爆撃されて、特に富山は何も残らないぐらい破壊され尽くされたことがわかります。

2.日本が大敗を期したミッドウェー海戦の記述はどのようなものでしょうか?

山本海将の“victory desease”の描写が面白いですね。やはりアメリカ海軍の歴史的戦いとあります。

Turning the tables, it was Admiral Nimitz who ambushied the Japanese. In one of the most dramatic and pivotal naval battles in history, Nimitz’s aircraft carriers sank four enemy carriers and a heavy cruiser, while losing the aircraft carrier USS Yorktown(CV-5) and the destroyer USS Hammann(DD-412).

ミッドウェー海戦の1か月前のBattle of the Coral Seaの時から、米海軍は日本の暗号解読に成功していたというビデオが流れていました(Alerted by intelligence reports of Japanese moves toward New Guinea and the Solomon Islands,)。

3.Code Talkers(ナバホ族の暗号兵)の活躍の記述は?

文字を持たないナバホ族は、400人が暗号兵として戦争に従事して、最後まで日本に暗号解読をされることがなく大活躍をしました(文字持ってない少数民族の言語(モン語)を学ぶのは大変だと、ラオスで学びました)。

太平洋での海軍の指揮すべてにナバホ族が関わったのは知りませんでした(Navajo code talkers participated in every marine operation in the Pacific, providing encrypted battlefields communications.)。

4.第二次世界大戦勃発当時の1939年の各国軍事力はどのようなものだったのでしょうか?

なんと当時の軍人数は、ドイツ318万人、日本85万人、アメリカ33.5万人でした。ドイツの軍人はアメリカの約10倍だったんですね。衝撃の事実。。。

5.第二次世界大戦への参戦に対するアメリカ国民の感情はどうだったでしょうか?

大きくIntervantionistsとIsolationistsの対立があったようです。

介入派は、ドイツのヨーロッパ支配はアメリカの安全保障に脅威になる。

また、ヒトラーを止める道徳的な責任感があると感じていたことで、ロビイストはまずはイギリスへの軍事援助を増やすことをルーズベルト大統領に提案したようです。

他方の孤立派は、多様なグループからなっていて、ビジネスマンは経済の弱まりを心配し、大学生は何の関係もない戦争に関わることを反対し、平和主義者はアメリカの民主主義が傷つくことを恐れたようです。

1940年1月のギャロップ社の世論調査では、対独伊参戦反対(No)は88%、英国救済のための参戦反対(No)は60%でした。

1940年9月には、英国救済の参戦はYesが52%、Noが48%になり、40年10月の調査では日本の拡大を防ぐための参戦は、60%がYes、20%がNoです。

真珠湾攻撃の1941年12月の前から、日本に対しては、参戦すべしという世論が多かったのですね(´・ω・)

更に1941年9月には、独伊に勝つために戦争という手段しかなければ参戦すべきかという質問に対して、Yes68%、No24%になっていて、41年8月の日本に宣戦布告すべきかという質問に対しては、Yes67%、No24%です。

日本との開戦ムードがアメリカ国内に蔓延していたことを考えると、アメリカとの戦争は、避けられたのか疑問が残るところです。勉強になります♪

6.戦争中の日米両国のプロパガンダはどういったものだったのか?
写真で見るとわかりやすいですね。

日本のプロパガンダです
アメリカのプロパガンダです

このあまりにも激しいプロパガンダによって沖縄一般市民の自殺者が多く、死者は15万人に上っています。

7.戦争中のアメリカ国内の日系アメリカ人や日本人の扱いはどのように記述されているのか?

アメリカ内の日系アメリカ人、日本人に関しても記述と展示がありました。11万人以上いた西海岸(主にワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州)の60%は日系アメリカ人で強制収容にあったようです。

1943年以降の政策変更によって、日系人も従軍してイタリア戦地へと赴きました、合計33000人の日系アメリカ人が従軍して、なかでも6000人はインテリジェンスに関わったようです
強制移住の命令書です

8.そもそも、なぜニューオーリンズにこんな立派な博物館があるのか?
ニューオーリンズと第二次世界大戦って何か関係があったのか?と推察する人もいると思います。

しかし、この博物館の構想は、ニューオーリンズ大学の2人のPassionateな歴史家からはじまりました。

Stephen Ambroseさんがこの博物館のアイディアを友人のNick Muellerにはじめて話したのが1990年でした。

その後、10年の歳月をかけて博物館プロジェクトを実現するために、様々な人に掛け合った結果、2000年6月6日にオープンする運びになったようです。2人の情熱と構想力によって、第二次世界大戦という重いトピックを掲げた博物館が、世界2位の人気博物館になっています。文系の歴史学者が世界を動かした一例になったと言えるでしょう。

国立第二次世界大戦博物館は、大変勉強になりました。DCのスミソニアンに比べて映像内容、記述内容が膨大なので、半日必要なぐらい学びになることが多かったと思います。

この博物館に行かずとも、ニューオーリンズはアメリカの中でも多種多様な文化が混じり合って新しい文化を創り出した面白い場所ですので、おすすめです。

以下はそのほかの展示物になります。

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