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コーヒーブレイク2回目:ラオスの紹介 ~人はなぜラオスに魅了されるのか~

桐島です。今回は、2回目のコーヒーブレイクです。1回目を再掲します。

さて、東南アジアで私が一番好きな国は、ラオスです。その理由は、「自分を見つめ直す機会を得られる」ためです。

「ラオスにいったい何があるというんですか? 」という質問に、答えたいと思います。

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まずは、首都ビエンチャンから見えるメコン川です。ビエンチャンは、ラオスとタイの国境近くに位置していて、夕方のメコン川の幻想的な光景は圧巻です。

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川の写真を撮ったのは、Sun Tara Restaurantです。観光で訪れる際は、オススメのオシャレな店です。

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このレストランの近くには、夏には野外のフードコートがあり、賑わいます。ラオス人は、結構、飲みっぷりが激しい人が多くて、驚きました。

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こちらは、ルアンパバーンで撮ったメコン川になります。やはり雄大なメコン川を見ていると癒されます。

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ラオスが日本で少し有名になったのは、2015年に発売された村上春樹の、「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」の影響が大きいと思います。そこに、記されているラオスを紹介します。

 「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」というヴェトナムの人の質問に対して僕は今のところ、まだ明確な答えを持たない。僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。何かを口にする誰かの声が耳に残っている。そのときの心の震えが思い出せる。それがただの写真とは違うところだ。それらの風景はそこにしかなかったものとして、僕の中に立体として今も残っているし、これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろう。
 それらの風景が具体的に何かの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。

「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」という質問に対して、回想シーンを用いて描写する。そして、役に立つのか役に立たないのか、その場では分からないものこそが、旅の醍醐味であり、真の豊かさである、という含蓄に富んだストレートなメッセージを贈っています。

しかし、私には、そのような文学的センスの欠片も無いため、私であればこう答えます。そう、、、

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「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」
「ビアラオ」です。

メコン川を背景に飲む、ラオスビール「ビアラオ」の味は忘れられません。
実は、ビアラオにはビールとしての飲み方以外に他の飲み方もあります。

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それは、栄養ドリンクとしての飲み方です。ビアラオは、暑い夏のラオスにピッタリの飲み物で、ほのかに甘いハチミツのような香りがします。
氷入りのグラスを貰い、それに注いで飲む。それも昼から、栄養ドリンク代わりに飲む。これが、ツウの飲み方です。
自動車の運転、バイクの運転は絶対に控えて下さい (笑)

そして、私がもう1つ紹介したい、「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」は、「少数民族」です。

さて、みなさん、中国、ミャンマー、ベトナム、ラオスにいる少数民族の数はどのぐらいだか分かりますか?

正解は、以下です。

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ラオス、面積・人口の割には、少数民族が多いと分かります。更に、ラオスの少数民族は、ミャンマーやベトナムと比較して、中央政府と仲が良いというのがポイントです。

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このように少数民族は、独自の民族衣装を着ています。日本も、アイヌ民族や琉球民族がいましたが、統合の過程で徐々に中央に併合されていって、独自の伝統が廃れていったわけですが、ラオスでは、未だに多数の少数民族が健在です。

さて、ここで最後の問題です。

なぜ、こんなに多くの少数民族がいるのか(多数の言語があるのか)

ヒントは、フランス統治下でも、インフラ整備(鉄道や河川などの交通網)が整わなかったこと、です。

これは、ヨーロッパには多数の主権国家が乱立していて民族・言語が多数あるのに対して、中国では漢民族の割合が大きく・言語が中国語であることにも関係しています。

正解は、「山がちな地形」です。

「山がちな地形」の解説に行く前に、東南アジア(大陸部)の少数民族の解説です。

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ヨーロッパに植民地支配される以前の東南アジアは、マンダラのように複数の勢力が並立して重なり合っているというもので、王様が一定の領土を支配するというものではなく、人々が王に従属すると形で、王国の中心地から離れれば離れるほど、人々の王様への従属意識は弱まる。そして、王国が統治する領域は不明瞭で、複数の王国の領域が重なる地域も存在していました。

しかし、19世紀に入ると、豊かな天然資源を求めて、ヨーロッパが東南アジアに進出してきて、大陸部にはイギリス領ビルマとフランス領インドネシア連邦という2つの植民地が成立する形で、国境線が山地に引かれました。

その結果、1つの国家に人口の多数を占める多数派(ミャンマーのビルマ人、ラオスのラーオ人、ベトナムのキン人)が生まれて、「それ以外」の少数者が存在するようになり、それぞれの国家は、住民登録や課税をする際に、国民を便宜的に民族に分けるという形で、民族を公式認定しました。

すなわち、少数民族は、たまたまその国の国民とされてしまった訳で、特に山岳地帯に住んでいる少数民族は、日々国境を越えたりしているわけです。

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この少数民族に関して、「ゾミア」という面白い本があります。
こちらは、日本語だと7000円しますが、英語の”The Art of Not Being Governed"はネット上に無料公開されています。(笑)

なぜ、こんなに多くの少数民族がいるのか(多数の言語があるのか)?
に対する「山がちな地形」という回答に関して言えば、基本的に大都市が平地(平野)に位置しているように、平地には多数の人が住むことができます。そして、それら多数の人は、人の移動も盛んで、コミュニケーションも多いため、時代が経過するにつれて、同じ言語を話し、同じ習慣を身につけていきます。そして、結果として多数派になることになります。

対照的に、山地に住んでいるのは少数民族です。山を隔てると、また異なる少数民族がいたりします。

ヨーロッパ大陸が、あんなに多くの国に分かれてしまったのも、山がちで、山によって隔てられているためです。ラテン語という共通の言語もありましたが、各国言語に分化していきました。

一方、中国は国土を隔てる山がない平地のため、漢語が共通言語となって、場所によって話し言葉に違いはありますが、書き言葉は共通です。
そして、漢民族が大部分を占めるという形になりました。もちろん、チベットのような地理的にも隔てられた場所もあります。

お気づきの通り、ラオスは、特に山がちなのです。
フランス統治下でも、インフラ整備(鉄道や河川などの交通網)が整いませんでした。
※フランスはタイからラオスを強奪して、インドネシア連邦に編入した

「ゾミア」に話を戻しますと、少数民族の面白い特徴が描かれています。
イエール大学の人類学者のジェームズ・スコットさんは、高地で暮らしている少数民族をまとめて「ゾミア」と呼びました。
ゾミアが居住範囲が、左の図の白い部分になりますが、右の高低差の地図から「ゾミア=高地に住む少数民族」と定義が分かると思います。

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そして、ゾミアの面白さは、以下です。

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スコットさんがフィールドワーク調査で発見したことは、少数民族は中央政府から距離があるため、少数民族として存在している。というわけではなく、意図的に中央(国家)に取り込まれまいと抵抗して努力してきたということです。

少数民族ってなんだか不思議で、面白いと思いませんか?!

以上、私なりの
「ラオスにいったい何があるというんですか? 」という問いに対する答えは、「ビアラオ」と「少数民族」になります。

ラオスには、あまり多くのものがありません。少数民族のシンプルなライフスタイルもそうです。
あまり多くのものがないことによって、逆説的に、「自分を見つめ直す機会を得られる」ということになります。

東京みたいなコンクリートジャングルの大都会で仕事をしていると、モノ・情報・人間関係と、色々なものが絡み合っていて、慌ただしさに追いかけられている気になります。

ないものねだりですが、そんな人にとっては、「何もない」ラオスは、非常に魅力的です。

是非とも、皆さま、ラオスに足を運んでみて下さい。
最後に、ラオスに興味が出た方のために、本を紹介します。

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See you soon.


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