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Best Shot(s) 2018@self choice

note事務局のお題にならなくても一応、今年のベストショットを選んでいた(とは言っても去年から、笑)。
今年は数は多く撮った。ざっと計算したらおそらく15000は撮っているだろう。
週末になるとnoteにその日に撮った写真からチョイスして、5~15ほどをアップしつづけたから、1年で7~800ぐらいはアップしたのだろうか?
ベストというと一枚だよな、、、
ちょっと忍びない、ちゅうか無理である。
というわけで、セルフチョイスで12枚を選んでみた。
選びながら感じ、思い出すのは、まず実際に撮るときにその光景に出会えた喜びの大きかったこと、そしてその喜びをうまく切り取れたか? 切り取った光景は「物語」を感じさせてくれるか? 主題だけでなくちゃんと、主題を物語る情景がともになければ物語にはならない。
まずボク自身がそれらを感じたい。感じたものをチョイスしてみた。
無理やり部門をつけて物語ってみよう、笑
妄想のままに浮かんだ言葉は連ねてみた^^;
年末ギリギリまでまってupしようかとも思ったが、明日生きてないかもしれないので、今日アップすることにしよう。

Best チルドレン
これから公園で本格的に遊ぶだろう子どもたちが、いきなり舗道に積もる落ち葉で遊びはじめた。じゃれて追いかけっこが始まる。おもわずシャッターを切った。こうした子どもの表情はいつの時代も変わらないことにホッとしている自分がいる。もともと好きだった秋の舗道に二度と無い瞬間に出会うことができた。と同時に、こうした笑顔になれない子どもも枯れ葉の影にいっぱいいるのだろうと思いながらこの場を去ったのは、ボクの抱える性。

Best シュール
真冬の海岸にいる。冬の波を撮っていた。ふと振り返ると捨てられた乳母車が砂に埋もれていた。乳母車のむこうに海と空が広がりを感じられる場所に移り、そこに座りじっと見ていた。
強い風が吹くたびにすこしづつ乳母車が砂に埋もれていく。はたしてこの乳母車は本当に捨てられたのだろうか?
もしかしてここまで押されてきた乗っていた子どもは母親とともに海に入っていったのではないか? それとも手漕ぎ舟で沖にでたのか? いや突然上陸した人魚に拐われたかもしれない。なんといっても砂浜に乳母車である。妄想しか浮かばない。まさか、乳母車を掘り起こすとやけに小さな骨がでてきたりしないよな。残された乳母車は何も言わない。埋もれることでただ時間の経過だけを訴えている。この乳母車もやがて朽ち砂となり海に還るのだろうか?

Best スパイダー
蜘蛛の写真は多く撮った。蜘蛛というより蜘蛛の巣かな。
蜘蛛の巣はアートだ。光と重なればほぼ間違いなく絵になる。だから逆にbest、と言われると選べなくなる。
一方蜘蛛といえば、どうなのだろう?
恐怖の対象だろうか? ボクにとっては畏怖なのかもしれない。
そんななか、どうしてもこの写真が気になる。
子ども心に恐れながらみていたウルトラQを思い出してしまう。
ほぼシルエットでお食事の風景。蜘蛛の巣は映らず枯れ葉を背景に浮き上がった。上から迫る森の影にぶら下がるようにも見える。
ウルトラQでは、食われているのはカゲロウではなく人間だろう。そんな創作を思い出すなんて、トラウマかよ。
でも、はたして創作と言い切れるのか、いつか蜘蛛はかたちをかえボクを食いにくるだろう。
写真のなかで食われるカゲロウと人間はどれほど違うというのだ、、、妄想の深淵に堕ちたボクは、いつのまにか♪愛はカゲロウ〜♫という歌っていた。
なんとも心をざわつかせる蜘蛛だ。

Best 誕生
森の底から生まれた命。ここまで育つのにはいろいろあったに違いない。まず芽生え誕生しなかった種が多くいる。動物に食われたり、吹かれたり、腐ったり、たとえ芽を出すことができてもいきなりの競争である。底には多くの枝や葉や他の芽生えが覆いしげる。複雑さが渦巻いている。そのなかからとにかく光に向かって手を伸ばすことができた。
だからといって安心できない。
虫に葉を食い荒らされるか、水か土砂に押し流されるか、人間に刈り取られるか、、、、それでも、とりあえず今は生きている。生きて光になっている。
そうした喜びを感じてしまう。

Best トンボ
トンボはいつも絵になる。特に森の奥深くで枝からぶら下がるトンボは存在するだけでワクワクさせる。光が羽を透かしている。眼は光をうけキラキラである。はてさてヤツは何を考えているのやら。やたら思慮深く感じるのだが、きっと何も考えずにただ止まっているのだろう。安心しきった安穏の時間である。安穏な裕福さを感じる。
コガネムシの裕福さとは明確に違う。マッチョな裕福ではなく痩身の裕福さである。

Best 旅の風景
奈良は長谷寺の参道である。
朝で人は少ない。参道の店が開店の準備をしている。店先におかれた蒸篭は激しく蒸気を吹き出している。白い湯気が参道の空気に吸い込まれ消えていく。空気に溶けた水蒸気を参拝客が吸っている。二酸化炭素とともに吐き出される、元湯気。何かが起きそうな予感がする。日傘をさした参拝客が急ぎ足で通りすぎる。何を焦っているのだろう?
湯気がこんなに吸って融合して欲しいと訴えているのに。

Best 紅葉
一枚が突然現れた。いつものように、いつもの森の道を歩いていると20mも先に浮かび上がったのだ。え?と思った。急いで駆け寄った。落ち葉が枝にひっかかって立っていると思ったら、生えたまま立っていたのだ。しかもこんな美妙な彩。紅ではなく黄色。斑。
今年も紅葉の写真は多くとったけど、どれもキレイなのだけど、この葉だけは美しいと思った。
美しい、それはよくコメントで頂く言葉。けっしてキレイではないボクの写真に「美しい」と言ってくれた。もちろん被写体のもつ美しさであり、それを感じ取れる人の美しさであり、それを切り取ることのできるボクの美しさである。と、若干自慢めいたことは、あらためて言葉にしないほうがいいのかもしれないが、「美しい」という謎めいた「言葉」でただ在る被写体と見つめる人間と切り取る人が繋がることのできることは奇跡なのかもしれない。

Best モーニング
四国、四万十川の源流近くの朝。林の向こうが朝もやで見えずその手前に彼岸花が3本咲いていた。
朝の光がさし、森の朝の清々しさがそのまま絵になって現れた気がし目が覚めた。森の向こうの彼岸花、彼岸花のむこうの光る靄。もうダメだ。吸い込まれる。行ってはいけない。絶対帰ってこれない。だから行ってはいけない。靄に吸い込まれたまま二度と戻れない。
とうぜん靄の向こうにはUFOが止まっていて、宇宙人がまっているに違いない。彼岸花が3つなのだ、そうに決まっている。
ワレワレは〜、と声を震わせながら日本語で自己紹介をしながらボクを連れ去るに決まっている。
・・・しまった、なぜ、行かなかったのだろう、後の祭りである。

Best リバー
四国、四万十の源流近くの渓流。吊橋から見下ろす渓流に靄と光が幻想的に覆う。昔まだフライフィッシングをしていたころはこんな上から覗き込むのではなくこんな朝の川岸に立っていた。川面を跳ねるフライやそれ狙うヤマメのライズ。もう過ぎてしまった過去が朝もやのなかに見え隠れする。
とうぜん幻視である。目と光を必要としない映像で誰もが同様に見ることの出来ない光景である。誰もがそれぞれに見ることのができる幻視が在るということは、かなり興味深い。幽霊もUFOも宇宙人もきっと見ることができる。愛も心も生きがいもきっと見ることができるさ。

best ドキュメント
ハラビロカマキリである。人の歩く道の片隅である。ひたすら枯れ葉をかき分け歩く。ボクはカメラを地面に置いてハラビロカマキリの動きにあわせて後ずさる。マニュアルでピントをあわせながら、カメラを移動させシャッターを切る。カメラはズルズルと枯れ葉の上を移動させながら、ハラビロカマキリに追いかけられる。ぜんぜんピントが合わない。
と、とつぜんアリがつぶやく。はたしてあいつ(仲間のアリ@親友)を助けるために身を呈した自分は正しかったのか? 身代わりとは果たして自分の課題なのだろうか? という印象深いドキュメント写真。

best 不思議
最近の写真である。みればみるほど不思議な鞠だ。繊細で透き通る白さ。編んであるようだ。はたして誰が編んだのか?向こうに蜘蛛が見える。怪しい。ヤツが編んだのだろうか? 新種の蜘蛛の罠かもしれない。見とれてみつめているうちにきっと魂は抜かれやがて地面に倒れるだろう。するときっとヤツがボクを喰いに来るに違いない。
それとも冬を越すために繭を編んでいる芋虫をヤツが食うたのだろうか?
普通は食わない芋虫を虫がまったく居なくなってしまった冬に初めて試食してしまったのだろうか。ヤツはそれを後悔しているのだろうか?知らぬ顔である。

best 2018
あえて1枚を選ぶならこの写真かな。
出会えたことが奇跡だと感じた。
物語るのはやめておこう。すでに十二分に物語っていると思う。


まだ今年も撮るだろうし、来年も撮りつづけるだろう。生きている限りではあるだろうけど。


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