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死とは、身近にある死について。

小学生の頃なんて死なんて考えた事なかったです。
それが祖父の急死で、なんとなく親戚の雰囲気や態度を
肌で感じて「こういう事なんだ」と思いながらもまだ身近では
なかったです。
「おじいちゃんやおばあちゃんの物」だと思っていました。

それが少し近くなったのは伯母の死でした。
当時は20代で東京で専門学校に通っていました。
叔母とは同居していて地元での短大時代の話も
面白そうに聞いてくれて、漫画を貸し合い、休日には
お買い物に出かけ、本当に大好きで親友と毎日一緒にいる感じでした。
短大の卒業と専門学校の入学の準備の頃に具合が悪くなり
近くの病院に入院した叔母に頼まれてジャンプを差し入れしたり
その頃はまだ元気でした。
東京に行く時にも挨拶に行き。
心配はしながらも病院である程度元気に振る舞っていたので
あまり心配していませんでした。
東京の生活に馴染んできた頃に実家から大変なことになっていると
連絡をもらい、覚悟よりも受け入れ難い方が先でした。
経過を知らずに急に病変を伝えられ戸惑うしかなかったです。
gwにお見舞いに行くと、すっかり変わってしまった叔母がいました。
聞けば、まだ完全介護の時代ではなかったので祖母が夜は付き添いをしている
そうで、自分の娘を高齢になって介護するのはとても苦しい事だったと思います。
祖母は人一倍気丈な人なので一言も愚痴を言いませんでしたが
辛かったと思います。
病室に行き、変わり果てた叔母に合い、絶対にここで泣いてはいけないと思い
痩せ細っても美しかった顔や肌をさすってほめて部屋を後にして
声を出さないように泣きました。
上京する時とのあまりにもの変化に母から聞いていたものの
目の当たりにするともう死に捕らわれている事がわかりました。
それから1ヶ月後に叔母は亡くなりました。
私は学生だったので、授業をブッチして即、空港に行き
天候不良で降りられないかもと言われても早く叔母の所に
行きたくて雨の中、飛行機に乗りました、
当時は地元の空港が市内のアクセスの良い場所に有って
家までタクシーで5分程度でよく乗っていました。

広島空港付近も雨で視界も悪く降りられないかと
思ったのですが、
アナウンスで「機長が降りると言っております」とあり
一刻も早く帰りたかった私はほっとしたのと同時に
難しいであろう着陸に神経を尖らせていました。
先にも話をした当時の広島空港は海に向かって滑走路があり、
地元住民の反対で延長できなくて、機体が上がったと同時に
急上昇して高度を取らなくてはいけない難所で
パイロットでも上手い人しか来れなかったのです、
それが功を奏したのか、悪天候でフラフラしましたが
無事に着陸してくれました。
そこからタクシーで家に着くともうお式の支度をしていて
最後の面倒を見てくださった葬儀社さんにお願いしたそうで
お花が好きだった叔母の祭壇いっぱいに花を飾ってくれている
最中で、涙が出ました。馴染んだ家がどんどんお葬式の様子に変わって
行く過程をただ眺めているだけで、叔母の顔を眺めたり
自分の支度をしたりしていると、家はすっかり様変わりしていて
別の家にいるみたいでした。

姉妹のように遊んで、出かけて、セーターの編み方を教わったり
していた人がいなくなる?実感はなくても、事実が目の前に有って
受け入れざるを得ない状態でした。

それからしばらくは忘れていました、
そして、父が事故に合い危篤になった時に
また身近に感じました。
最初に本人に会えもせずに医者の説明と言った時から
覚悟はしましたが、次々と出てくる言葉は
もう助からないと感じられる物でした。
不謹慎にもこれからの生活にも不安を覚えましたし
最後に話も出来ない状態で対面するとは思っていなかったし
頭の中がガンガンしました。
たくさんの書類、入院の手続きなどを書くのに
必死ですぐに父に会えなくてもどかしかったです。

今年の10月は大事な友人を病気で失い、
まさに失意のどん底ってこういうのなんだなと痛感しました。
これはまだ気持ちの整理もできてなく長くなるのでやめておきます、

そして今、愛犬の最期を見ています。
食欲は弱っている割にはありますが、
ガリガリに痩せて床ずれができてしまった部分もあり
前のような発作もなくなり、毎日静かに寝ています。
このまま静かに行ってしまうのかなぁと思っています。
けして多くはないですが、いろんな形の死を見てきました。

今、また目の前で命が消えそうです、
初めての犬のお世話、初めての老犬介護。
もっと上手く遊んであげられたかも、
もっと上手くやれたかもと思うことがいっぱいあって
後悔しかないです。いつも自問自答です。
あの子を連れてきて良かったのか?
他の家の方が幸せに暮らせたのでは?


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