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『アレクセイと泉』ーー坂本龍一の転回 Ⅱ

 坂本の音楽についていえば、出来るだけ農民たちに寄り添おうとしながらも、距離を測りかねているところがある。映画音楽は極めて控えめに農民たちの気分を補い、場面場面をつないでいるが、それでも違和感が残る。映像の魅力でなくてもいいかなと一瞬思うが、やはりないと映画として成立しない。このあたりをどう考えればいいのか。

 これは坂本の立ち位置に関係すると思う。世界の“サカモト”は、現代文明の最大の受益者であり、日本や世界の権力中枢に近い人間だ。そのことをよく意識しているので、“グローバリゼーション”が時代のキーワードになった時期に、NEO GEO(1987)やBEAUTY(1989)でアフリカ、沖縄、ラテン、アジアなど非西欧世界の音楽を織り込むような作品を作ってきた。グローバル時代の“多様性”を寿いでいるともいえるが、多様性を無理やり一つにしようとするような帝国主義も感じる。だが音楽的にはそれが面白い。

 その坂本が2001年の同時多発テロの前後に依頼を受けたのが本作だ。同時多発テロはグローバリゼーションの楽観的な見通しを葬り去ったが、坂本は本作を通じて一層、グローバル化の問題、地球環境の問題を強く意識するようになったようだ。しかし、坂本の位置から大地に根づく圧倒的な存在に接近することは困難があって距離の取り方が難しかったのではないか。

 この映画の音楽で一番いいのは、オープニングで村に接近していくときに流れる不安感のある電子音だ。この不安感は文明を享受してきた我々が汚染された村に踏み込むときの心境をよく表している。

 ともあれ、9.11やこの作品のあと坂本が環境問題により熱心になるとともに、これ以降のアンビエントな作風への転機になったことは間違いない。それだけの力がこの映画の映像にはある。


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