能勢桂介

気になった出来事、芸術や映画、本についてつらつら書いています。

能勢桂介

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最近の記事

ひとりで老いる不安

 福祉系の仕事を始めたパートナーが、ひとり暮らしの認知症高齢者がゴミ屋敷になったり、金銭管理できなくなっている惨状を目の当たりして「年をとるって不安だ」とこぼしていた。  彼女によれば、職場に毎日、「携帯の使い方が分からない」と同じことを聞きに来る認知症の一人暮らし高齢者がいるのだという。不安からか?さびしいのか?ただ分からないから来るのではない。  子どもやパートナーがいればいいけど、独身だと自分の認知の衰えも分からない。「怖い……」。パートナーがいても両方衰えるかもし

    • 美術本散策 1

      なんだか思い立って一気に美術本を読み漁った。そこで少し思ったことを書く。 西欧絵画では女性の水浴図は多いが、この本では彼の性的指向を反映してか男性がシャワーを浴びている。  ホックニーは男性の後姿を何とはなしに眺めているようでいて、肩、尻、腕の曲げなど一挙手一投足が目に入っている。ぼんやりだがしっかりと愛する者を眺めること。それが彼の幸福なのだ。  ホックニーの作品は、生に対する肯定性があって人を前向きにさせる。音楽だと、アントニオ・カルロス・ジョビンやスティ

      • 清明上河図--都市と多様性 

         前から何とはなしに眺めていたようだが、宋代に描かれた『清明上河図』という存在を発見した。都市に生きる人々がパノラマのように緻密かつ繊細に書き込まれている。遠景から徐々に目を凝らすと運河や街並みに沿って、荷物を満載する船、天秤棒を担いで行商する人、ロバで荷物を運ぶ人、木陰のカフェ、占い師、香辛料店、居酒屋、サトウキビ売り、ロバがいる。当時の人々の息づかいが聞こえてくる。    この時代の開封には、石炭、鉄、陶磁器、絹織物、紙、製糖、製塩、醸造などの手工業が盛んになり、火薬、印

        • 自由と民族:孫文の『三民主義』再読

           孫文の『三民主義』(1924年)を30年ぶりぐらいに読み直した。この間、リベラリズムをはじめ、近代社会についてずーっと考えてきたから革命家・孫文の近代についての捉え方は実に興味深かった。    中国の近代化の目標を民族、民権、民生(生活の豊かさ)で三民主義としたのは、実に分かりやすくツボを心得ている。まず「民族」について。孫文は、中国はバラバラの砂であり、それをまとめるのに「民族」が必要であり、民族こそが自由の道だという。    ここには福沢諭吉が「一身独立して一国独立す

        ひとりで老いる不安

          モンゴル民族に目を凝らせば、国民国家、アジアの近代が見えてくる。

           メジャーなものだけを見ていると、かえってものごとが分からなくなる。目立たず日が当たらないマイナーものに目を凝らすことによって、ものごとが見えてくる時がある。精神障害を見るとじつは正常であることの異常さが分かる。不登校を見ると学校に通うことの奇妙さが分かる。  さてモンゴルである。前月に開催されたイベントについて記す(9月も開催予定)。この前の話では、モンゴル系民族はモンゴル、中国、ロシアの国にまたがって生活し、人口は総計700万人程度の民族ということだった。    この

          モンゴル民族に目を凝らせば、国民国家、アジアの近代が見えてくる。

          『晩春』に見る諦念――我々は選択の自由をいつどこで放棄するのか?

           前便の本で印象的だったのがRobert E. Lane” The Loss of Happiness in Market Democracies”からの 「人生を左右する選択の機会が多すぎる。……結果的に重荷を背負い込むという意識がなく‥‥‥慣行による束縛がなくなった。つまり、あてがわれたアイデンティティを受け入れるのではなくアイデンティティみいだす。あるいは、作り出すのが仕事になった」という引用だった。  たとえば、性に関しても経口避妊薬の発明、性革命による結婚の自由

          『晩春』に見る諦念――我々は選択の自由をいつどこで放棄するのか?

          自由をどう生きるか?ーー現代の意外な難問

           自由に配偶者を選べるはずの学歴も収入もそこそこの中流男性がなぜ未婚なのか?この謎を解こうとしたのが拙著だった。  この謎は、 自由に職を選べるはずの学歴も収入もそこそこの若者がなぜ職を転々と変えるのか? どんな進路もサポートしてくれる家庭の子どもが、なぜひきこもりか? などと基本的に同じである。  周囲からはそんな恵まれているのに何やってるの?あなたなら少し努力すれば出来るじゃない?と言われる。 でも選択しない。  基本的に拙著と本書シュワルツ,バリー『なぜ選ぶ

          自由をどう生きるか?ーー現代の意外な難問

          メディア・コメントの難しさ

           「マスコミが言っていることは、全部ウソだぜ」(岡村靖幸「どぉなっちゃってんだよ」『家庭教師』)とは言わない。しかし、判断保留すべきところに目をつぶってメディア自身が打ち出したい視点で書いてしまうと、分かりやすいが論点がズレた記事になる。このことを今回、インタビューを受けて痛感した。そこで改めて記事掲載前にメディアに提出したコメントを再掲したい。                      2023年6月17日 中野立てこもり事件について                能勢桂

          メディア・コメントの難しさ

          性教育弾圧から暴発へ―ひとりぼっちテロ② 

           ではなぜ昭和的価値観は、昭和が終わって30年以上たつのに執拗に人々の意識を拘束するのか?昭和的価値観に対する批判が80年代に学校、仕事、結婚などあらゆる分野で見られた。にもかかわらず、90年代後半からの構造改革(とくにリベラルな面)に対するバックラッシュ(反動)によってブレーキがかかってしまった。これが80年代の批判や夢が制度として社会に定着しなかった理由だ。  この停滞は様々なところで現れているが、「性教育」という意外なところにも現れている。私は子ども白書にかかわってい

          性教育弾圧から暴発へ―ひとりぼっちテロ② 

          3人のさとり世代が産んだ新聞記事――ひとりぼっちテロ① 

          先月新聞社のインタビューに答えた。1ヶ月もたってしまったが、その経緯が面白いので書いておきたい。最初に記事を訂正したい。 記事:団塊ジュニア→訂正:バブル世代(おおよそ50代) 親や世間への反抗から自立に至るコースが減ったのは団塊ジュニア世代からで、バブル世代はツッパリ・ブームのようにまだ親に反抗していた。団塊ジュニアから友だち親子が現われ始める。新聞社も忙しいらしく、こちらの修正要求を反映してもらえなかったのは残念だ。  さてなぜ私が新聞にコメントすることになったのか

          3人のさとり世代が産んだ新聞記事――ひとりぼっちテロ① 

          『アレクセイと泉』ーー坂本龍一の転回 Ⅱ

           坂本の音楽についていえば、出来るだけ農民たちに寄り添おうとしながらも、距離を測りかねているところがある。映画音楽は極めて控えめに農民たちの気分を補い、場面場面をつないでいるが、それでも違和感が残る。映像の魅力でなくてもいいかなと一瞬思うが、やはりないと映画として成立しない。このあたりをどう考えればいいのか。  これは坂本の立ち位置に関係すると思う。世界の“サカモト”は、現代文明の最大の受益者であり、日本や世界の権力中枢に近い人間だ。そのことをよく意識しているので、“グロー

          『アレクセイと泉』ーー坂本龍一の転回 Ⅱ

          『アレクセイと泉』ーー坂本龍一の転回 Ⅰ

           坂本龍一が亡くなった。しばらく呆然としたが、徐々にその影響力を改めて思い返し始めた。坂本の音楽や思想とは何だったのか?その膨大な作品は「世界のサカモト」という形容が邪魔して何が本当によい作品なのか分からなくなっている。世評を振り切って「良い物もある 悪い物もある」(スネークマンショー、YMO『X∞Multiplies』1980年所収)の精神で自分なりに坂本の音楽にを再度見極めてみたい。  今回、取り上げるのは本橋成一監督『アレクセイと泉』2001年だ。当時、坂本がこのよう

          『アレクセイと泉』ーー坂本龍一の転回 Ⅰ

          坂本龍一とドビュッシー

           坂本龍一氏が亡くなった。大変残念だ。氏については、諸々あるが今は言葉にならない。  坂本氏は常々ドビュッシーの影響を公言していた。「ドビュッシーのようだ」というのが氏の誉め言葉の定番だった。細野さんの音楽に「ドビュッシーを感じる」など。  実際、氏の音楽を聴いていると、時々ドビュッシーやラベル、バルトークそっくりのところがあって「オヤッ」と思う時がある。真似という次元を超えて身体にそれだけ染み込んでいて、何かあるとその影響が出て来るという感じだと思う。探してみると面白い

          坂本龍一とドビュッシー

          恋愛哲学者 モーツァルト

          『フィガロの結婚』、『ドン・ジョバンニ』をようやく視聴。楽しい。 「恋愛哲学者」(岡田暁生)というだけあっていろいろ考えたくなる。 『フィガロの結婚』:純愛物語と思いきやこのカップルは自分たちを脅かす主人をからかうために浮気スレスレの行動をとる。あれ?これって浮気?  『ドン・ジョバンニ』:ドン・ファン(ドン・ジョバンニ)は選べないのではなく端的に選ばない。ただただ女に惹かれ欲望のままに生きている。くよくよ反省ばかりしているキルケゴールには絶対に真似出来ないためか、ド

          恋愛哲学者 モーツァルト

          崩落する優雅な都--映画『アデーレーー名画の帰還』2015年

           本作は、古き良き時代の都ウィーンから逃れてきた老婆の過去と彼女が長年気にかけていたクリムト作の叔母の肖像画、それを取り戻そうとする同郷の若い弁護士の法的劇がテンポよく展開され、飽きさせない(本作サイト)。  ホロコーストの物語であり、法廷ドラマでもあり、かつ当時のウィーンの人びとや芸術家たちのドラマでもあるといった多面的な面を散漫になることなく上手く畳み込んでいる。    それにしてもウィーンは魅力的だ。当時ウィーンでは、ユダヤ人をはじめ多民族が入り混じり、古さと革新が危

          崩落する優雅な都--映画『アデーレーー名画の帰還』2015年

          上野千鶴子・結婚報道――『未婚中年ひとりぼっち社会』の著者は思う。

           ネットで「上野千鶴子は結婚していた。言行不一致だ」などと書きたてているので、週刊新潮の3月2日号を購入。新潮ではさすがに慎重な書きぶりで、「結婚していた可能性もあるが、養子縁組の可能性もある」としている。週刊誌らしくちょっと煽ってみましたというところか。つまらないことに、小銭を使ってしまった!  ただ私は上野の非婚主義は独断的でヒドイと思っている。そう思ったのは上野と岡村靖幸の対談を読んだ時だ(岡村靖幸『 結婚への道――迷宮編』マガジンハウス、2018年)。 「結婚して

          上野千鶴子・結婚報道――『未婚中年ひとりぼっち社会』の著者は思う。