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恋愛哲学者 モーツァルト

  『フィガロの結婚』、『ドン・ジョバンニ』をようやく視聴。楽しい。
「恋愛哲学者」(岡田暁生)というだけあっていろいろ考えたくなる。

『フィガロの結婚』:純愛物語と思いきやこのカップルは自分たちを脅かす主人をからかうために浮気スレスレの行動をとる。あれ?これって浮気?

 『ドン・ジョバンニ』:ドン・ファン(ドン・ジョバンニ)は選べないのではなく端的に選ばない。ただただ女に惹かれ欲望のままに生きている。くよくよ反省ばかりしているキルケゴールには絶対に真似出来ないためか、ドン・ファンの生き方を絶賛する。


 平穏な愛の秩序を大切にする一般の人々を散々かき乱し憤慨させ、最後には地獄に落とされるが、それでも全く反省しないドン・ファン。それでキルケゴールは彼の哲学と矛盾するのに思わず「あっぱれ!」を送ってしまった(「直接的、エロス的な諸段階 あるいは音楽的=エロス的なもの」『あれかこれか』所収)。

 人間は死にゆく有限な存在であり、その矩を超えると身を亡ぼす。私も著書(『未婚中年独りぼっち社会』)でそう警告した。ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』もそうした物語だろう。だがドン・ファンやドリアン・グレイの生き方がうらやましく思えてしまうのもまた人情。「いつまでも囚われない、限定されない生き方をしたい」と。

  とまれ、両作品ともモーツァルトの軽やかなシンフォニーが駆け抜ける―ーだが意外と意味深長なーー数時間だった。


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