見出し画像

自分の中にある、囚われたジェンダーに気づいた。


私には姪っ子がいる。
最近会っていないので多分、5歳だと思う。

姪っ子の好きなものは恐竜と車だ。
姉から恐竜のぬいぐるみを持っている写真を見せてもらったり、両親がプレゼントにタヨという車のキャラクターのおもちゃを探していることを教えてもらった。

恐竜と車が好きと聞いて、私は「男の子みたいな趣味だな」と思った。

ジェンダーレスが提唱されてる世代に生まれたのでそう思ったことは家族には話していない。
頭の中で「その発言はジェンダー的にどうか?」とストップがかかったからだ。

女の子が恐竜や車を好きなのはそりゃあ、いい。
私にも「女の子らしい」「男の子らしい」は「こういうこと」があったとはたと気づけた。

ジェンダー的なことで言うと私の最大の悩みは「料理は女性がするもの」
もちろん、今やそんなことない時代でもあるのは分かっている。
問題は私がそれに囚われていることだ。
個人の囚われは時代の流れではなく、本人が解脱できるかどうかにかかっている。
この悩みは結構ずっとなので根が深い。

テレビで家で、他人との会話で「そういうものなんだ」と思いつつ

嫌だ〜!!

と私は心の中で叫んでいる。
論理的にとかもうどうでもいい。
料理は作るのではなく食べるのがいい!!
そんな叫び。

随分根深い。自分と自分が闘っている。

今回の姪っ子の『男の子らしいと感じた趣味』について、私はそう発言することを控えたけど
きっと私に今まで「○○っぽい」とか「女の子らしい、男の子らしい」と言ってきた人は深く考えてないんだな、と気づいた。
そう、感想なのである。ただの感想。
私は自意識過剰の民なのでその感想を間に受け過ぎただけだったんだ、と。
すべて「それってあなたの感想ですよね?」で良かったんだ。と腑に落ちた。

身体としての性別があり、
その前に人間個人としての唯一無二の個性がある。
生まれた地域、家庭環境から作られ社会へと。
日々の自分と周りとのコミュニケーションでまた自分が作られていくなぁとしみじみ思う。

願わくば、料理への葛藤の解脱がしたいし
姪っ子が『好き』に対して真っ直ぐにいて欲しい。いれる環境にいますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?