「席を譲って下さい」

「すいませんが、席を譲ってもらえますか」

電車に乗っていたら、白杖を持った目の不自由なおばあさん(Aさん)と、それを支えるおばあさん(Bさん)が乗ってきた。Aさんは、言葉を喋るのも難しい様子だ。Bさんは元気そのもの。「10センチの段差がありますよ」「電車乗ったら左に行きましょう」と補助をしている。

その際に、Bさんがハキハキと言った言葉が「すいませんが、席を譲ってもらえますか」だ。口調も図々しさを感じた。この言葉に違和感を感じるのは、ぼくだけだろうか。

電車の席は早いもの順だ。指定席ではない。座っているのが元気そうな若者でも、立っているのが歩行器を押しているおじいさんでも、早く乗った方が座る権利がある。年の順に座るというルールないし、そもそも検証も出来ない。

しかし、さすがにそうは言ってられない。腰の曲がったおじいさんが立っていたらやっぱり気の毒だ。ここで譲り合いの精神が働く。これは正しいことだと思う。

でもやはり、Bさんの発言には違和感を感じる。座っている人を立たせる権利は誰にもない。譲るのは、あくまでも座っている人の「善意」だ。これを、さも当たり前のように「譲れ」と命令する。口調は丁寧でも、状況的に譲らないわけには行かないから実質命令だ。善意を勘違いしているように思える。こんなのは譲り合い精神ではない。

今回、見事に「譲られた」50代女性。もともと座っていたところの向かいに座っていたOLに席を譲られてた。「次の駅で降りますので」このOLの行動は「善意」だ。譲り合いとはこういうことだ。Bさんは目の前のこの光景を、ちゃんと見ていただろうか。

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