見出し画像

珠洲災害復旧ボランティア1日目

ネタの回収

ボランティアの受け入れは先月から始まっていたのだが、いかんせん道路事情の関係で活動は金沢発着、半日のみという状況。

さすがに首都圏から何時間もかけて行って数時間働いてハイさようなら、ではちょっとなあ…と言うことでもう少し事情が改善するのを待っていた。

ようやく今月から穴水にボランティア基地が出来て、そこで一泊二日の活動ができるようになった。しかし申し込みが瞬殺で埋まってしまったり、東京マラソンだの引退騒動からのTO講習だのでなかなかタイミングが合わなかった。

珠洲市のボランティア募集枠は、一回につき35名。ボランティア応募登録をしておくと、前週の水曜に案内メールが届き、翌木曜の昼に申し込みサイトがオープンするので速やかに申し込まなくてはならない。

今回ようやく3月23-24日の週末に活動枠を確保することができた。ボランティア活動保険に加入するとともに、各種装備品の準備も抜かりなく進めておく。必携の装備はおおむね以下の通り。

  • シュラフ

  • 防寒着、着替えなど

  • マスク(防塵が望ましい)

  • 作業手袋(防刃が望ましい)

  • 作業靴(安全靴が望ましい)

  • 飲用水2リットル程度

  • 二食分の食品+二食分の食費千円

  • その他テント泊に必要なものなど

実際どこで何をするのかは多岐にわたり予測不能なのだが、倒壊した家屋の瓦礫を運び出すような事も当然あるため、上記のような装備が推奨されるという訳だ。

また、穴水のベースキャンプは廃校になった中学校の体育館にテントを設置したもので、ストーブはあるものの夜はほとんど外気温と同じで強烈に寒いとのことだった。

まあ自分はボーイスカウト時代に、雪の積もった野営地で当時の超ショボい冬装備で寝たこともあるので、よっぽどでない限りどうにかなる。

ただ、今回は物見遊山ではないし、これが故にケガなどしては何をしてるこっちゃわからんくなるので、マスクと手袋、安全靴はちゃんとしたものを買っておいた。

金曜前乗り

集合は金沢駅前、土曜日の朝8時だ。当然ながら横浜からは前泊になる。金曜の仕事を早めに切り上げ、昨年も出張でのった北陸新幹線かがやき号で出発。

ホームにはいかにもボランティア風の人がチラホラ(笑)

いつもながら新幹線の旅は快適だ…☺️あっと言うまに金沢着。

宿泊は駅から1キロほどのカプセル。そもそも安いのに、能登応援割だかなんだかが適用されてさらに半額になった。一晩寝るだけなのでこれで充分。

土曜朝

翌朝は買っておいたパンを貪り食って、身支度を整えてチェックアウトしたらまずはコンビニで当日の昼と翌朝の飯、飲料水とオヤツなどを確保。

金沢駅前の集合場所に向かうと、既にデカいバスが並んでおり、受付したらすぐ乗車。注意事項の用紙が配布され、QRコードから当日の参加登録を行う。

乗っているのは男性9に女性1くらいの比率かな。年齢層は若者から私のようなジジイまで様々。明らかにランキャップと思しき帽子を被ってる人もいる。珠洲では(廃止されちゃったけど)ウルトラマラソンもやってたからなあ。

バスは能登里山街道を一路穴水に向かう。途中休憩の西山パーキングの辺りから時折道の段差でバスがドン!と揺れることが多くなった。

当日は朝から冷たい雨。先が思いやられる

隣の若者が気さくに話してくれた。曰く先週も来た(!)そうで、これから道はさらに酷くなりますよ、と。そして先週は特に寒くて寝られなかったそうだ。覚悟はしてきたが…

そこからの道は彼の言う通り悲惨だった。あちこち崩落した道路を迂回して暫定復旧したところ、大きな段差を斜めに埋めただけのところ、そして次第に目立つ沿道で倒壊した民家の惨状。ため息しか出ない。

ドカンドカンと段差に何度も突き上げられるバス。これクルマ酔いする人だとこの時点でダメだな…と思うほどだった。

ベースキャンプ

揺られること約一時間半ほどで穴水のベースキャンプに到着。受付をして体育館のテントに荷物を放り込む。自分の昼飯と作業に必要なものだけ持って、再びバスに乗り込む。

ちなみにベースキャンプのある穴水では、電気は来ているが水道は復旧していない。当然風呂、シャワーは無いしトイレは仮設だ。でも自分は試合で仮設トイレにも慣れてるし、汗だくで一日中動き続ける事にも慣れているのであまり気にならない。

小一時間で珠洲のボランティアステーションに到着。また受付をして、当該地区のボランティアリーダーのオリエンを受ける。表情から知性が迸ってるような若い女性だった。

アサイン

ここからはチームに分かれて作業にアサインされる。準備できた方〜と言うので手を挙げたら最初の8人のアサインに入った。さらに「マニュアルの軽トラ運転できる方〜」これも手を挙げる。

ハイエースに乗って8人まとめて現地に移動し、軽トラ運転手ともう1人の2人1組で作業に当たると言う。そして基本的にはご依頼のあった家屋を訪れ、挨拶して粗大ゴミを中心に回収し、ゴミ分別ステーションへ運ぶ。これが一連のルーティーン。

そして最終的には現地から軽トラに乗ってステーションに「最悪でもバスが発車するまでに帰還せよ」とのこと…8人に「え?うまくできるのかな?」という不安が広がった。

彷徨

地元の人が運転してくれるハイエースに乗って北の海岸地区の依頼先へ向かう。本来なら大谷峠を越えれば一発なのだが、トンネルが崩落しており通れない。非常に狭いクネクネの急峻な山道を越えていく。

自分は休職してた時期にある限界集落に住んでいたことがあるので、そう言う山道には慣れているが、他の皆さんは結構呆気にとられているようだ。ただ、わざわざボランティアに来るだけあって、これしきのことで不平を言うようなヤワな奴は誰一人居なかった。

通りがかりの道のそこここに崩落した民家の残骸が残ったままだ。これは手をつけようがないのもわかる。道もそこら中、亀裂や段差を応急処置したとこばかりで、どうにか通れるレベル。

女性の一人は昨年まで珠洲でアートフェスをやっていた人だった。住んでいた時期も含めほぼ通年で通ったこともあるだけに思い入れがあり、あまりの惨状に胸を痛めているようだった。

ナビ上、あと1キロほどで到着というところで運転手さんが「アーッ」と言って急停止。目の前が崖崩れで完全に道が塞がっている😱!!「…引き返しましょう」

ステーションと連絡を取ったりしながら、なんとか迂回して海岸方面を目指す。どうにか上手く行って、ようやく海岸沿いに出た。ここは忘れもしない、珠洲の絶景街道。バイクコースの一部だ。

しかし、何度も何度も走ったその道からの光景は、あまりにも変貌していた。ご存じの通り、地震による海底の隆起で、道路の際にあった海が枯れたように遠くに引いて、地獄の岩山のような光景が広がっている。

ニュースで知ってはいても、やはり現実を目の当たりにするとショックだった。

かなりのロスタイムがあったので、これは下手すると「こんにちは!ボランティアです!では、時間なので帰ります!」と言うコントみたいな展開か?というおそれもあった。😅

現地着

地区の公民館に到着し、なんやかんやあったがどうにか現地の担当の方と面通し。ところがさっき聞いてたこととは全然違って、現地の人たち四名が軽トラ運転するので、二名一組(一人は荷台)で行動してくださいとなった。

早速乗り込んで一軒目へ向かう。

地元の方「来ていただいてありがとうございます!どちらからですか?」
自分「横浜です」
「えーっそんな遠くから?!」
「ええ、トライアスロンをやってたもので」
「えっ🤩キラーン」🤝ギュッ「私も!」
「えっそうなんですか!来て良かった…🥹」

その方は地元でやってるのは以前から知ってたので、10年ほど前から始め、それからずっとBタイプに出ている、ということだった。

きっとなにか縁があると信じてたけど、一軒目でこうなるとは😅

作業

それからの作業はと言うと、洗濯機や冷蔵庫、家電品の搬出、運搬が数件。あと崩落した瓦の片付けが一件。ただ、瓦は能登瓦と言うとても大きく立派なもので、非常に重く(それが故に倒壊が多かったとも言われている)たった二人の短時間の作業ではどうにも太刀打ちできなかった。

落ちた瓦のほんの一部をフレコンバッグに詰めて運んだところで本日は時間切れ。もう帰らないとステーションからバスに乗れなくなってしまう。

被災地では、全く人手が足りないことを痛切に感じさせられた。

さて、では軽トラに分乗して、あの訳のわからん山道を辿ってステーションに戻らねばならない…と8名に悲壮な覚悟が灯ったとき、現地の担当の方が「えっ何?あ、送るの?ハイエース来た?あーはいはい、じゃそれで」ホーッ…助かった…😮‍💨

一日目終了

ステーションへの戻りは、行きとは別の道、大谷峠のさらに西の迂回路を通った。そっちもまあまあ酷かったけど行きよりだいぶマシで「なんだ行きもこっちから来れば良かったんじゃない?」まあ、いろいろありますわな。

そんなこんなでステーションを経由して無事穴水ベースキャンプに帰着。夕食の折り詰め弁当をいただいて、あとはテントにこもって自由時間だ。

と言うことでこれを書いていたらやっと寝る時間。明日は朝7時15分ベースキャンプ発の予定。
おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?