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Ironman Malaysia too much detailed report Vol.7 詳しすぎるアイアンマンマレーシアレポートその7

宴の後

「終わった・・・」いつものことながら、この瞬間のために生きてる!と言いたくなる開放感に包まれて最高の気分だった。とりあえず完走タオルとメダルをもらって裏手をとおり、椅子に座ってタイミングチップをとってもらう。

そう言えばこのタイミングチップ、下に巻いたテーピングが雨で完全に緩んで肌に直接当たってしまっていた。ランの途中で痛くて我慢できなくなり、ソックスの上に巻き直したんだった。

わかりづらい案内経路を経てストリートギアバッグを受け取り、やっと待っているみんなのところに戻る。先にゴールしていたBucciや山Mさん達が出迎えてくれた。「おめでとう!お疲れ!!」ガッチリ握手を交わす。お互い会心の笑顔がはち切れんばかり。

二人とも弾けています

ゴール地点はノリノリの音楽とMCの煽りですごい喧騒、嫁さんたちもめちゃくちゃ楽しんでいる。そうしているうちに岩Tさんも無事戻って来た。奥さんは実は旦那さんがものすごく心配だったそうで泣き崩れている。さもありなん、あのコースの状態を見ていたからなぁ・・・みんな無事で本当によ・・・そう言えばH口さんは?

なんと、H口さんはバイク序盤にパンクしてしまい、スペアのバルブが短くて届かず(ある!あるある・・・)サポートを待っていたのだが叶わず、ついに断念したそうだ。だからゴール前ですでに着替えて待っていた訳だ。しかし、待っている間もボランティアの手伝いをしていたという。アスリートの鑑だ。

エイジ順位

Bucciがさっそくリザルトを確認してくれていた。「Taiさん!エイジ5位!ボクは9位でした」マジ?あんなにタレて5位なの?タレなかったらどうだったのかなぁ・・・(後で確認したが、タレなくても3位にはまず届かなかった)一方のBucciはバイクで5時間半ちょい(!!)、そしてランはついにエイド以外で歩かずに耐えたという。Awesome!!

事前に確認した際には、マレーシアのコナスロットは全部で55本(55人が来年のハワイ世界選手権の出場資格を得られる)。それが男女各エイジの出場人数に応じて割り振られるシステムだ。参加者数によって変動があるが、例年通りだとM55はたった2本。

稀に上位の人が「いや、私ハワイは行け(き)ません」などと辞退したり、あるいはロールダウンセレモニーに出席していないと権利の繰り下げが行われる(それこそが「ロールダウン」)。BucciのいるM45はM40と並び大変な激戦区で人数も98人と多く、スロットはたしか5本くらいだが強豪ひしめくクラスだ。そこでの9位というのは本当にすごい。

トラの師匠、山Mさんはやはりスイム・バイク・ランすべて自分より速く、総合11時間半ほどでまとめたにもかかわらず、M60で4位だった(スロットはわずか一本)。曰く、義足の古畑さん(!)を始めとする強豪が多数参加していたそうだ。それにしても古畑さんはもはやチート級の強さ。敬服するしかない。

みんなで「ロールダウンあるかもよ?」「いやー無理無理」などと言いながらも、翌日はその雰囲気を楽しむためにも一応セレモニーには行ってみようと思う。リタイヤはあれどみんなの無事も確認できたし、「記憶に残る」とんでもないレースが終わった。後ほど遅い打ち上げに行きましょうということで解散、ゆっくりホテルへ帰還。あー面白かった・・・

打ち上げ

ゴール後は興奮して痛みとか飛んでいたが、ホテルに戻って落ち着くとそこら中ひどい状態。手指にはなぜか何箇所か切り傷があり、足の裏はマメ(幸い酷くはなかった)、捻挫した左足首は腫れ上がっていた。当然全身の疲労感はMax。何かするたびに「ハウッ」「ウウーッ」といちいち奇声を上げないと動けない。

それでも珠洲のミドルに復帰して完走したときとは違って歩く分には普通に歩ける。思えばあれから10年。年齢など気にせずただ好きなことをやっていただけだが、凡人のオッサンでも愚直に続けるとそれなりにどうにかなるものだ。

午後10時に待ち合わせてまた街へ繰り出す。また海鮮のお店に入ったら最初のオーダーがラストオーダーだった(笑)。巨大なビールサーバーを注文したのにあっという間になくなった(驚)。下戸の自分も今日だけは、いや今日こそは一杯。めちゃくちゃ美味かったことは言うまでもない。

とんでもないレースだっただけに、安堵感も手伝って話のネタは尽きない。一緒に「苦行」を乗り切った仲間と過ごす、本当に楽しい時間だった。これがあるからトライアスロンは辞められない。他のスポーツでもたぶん同様だとは思うが、エクストリーム感とネタの幅の広さが絶妙なのかもしれない。

バイクピックアップ

楽しい打ち上げも終わり、ホテルへ帰って爆睡・・・かと言うとそうでもなく、やはり興奮が続いてなかなか寝付けなかったし、翌朝も4時とか5時に目覚めてしまう。今日はT2からバイクとギアバッグを回収しに行かないといけない。朝飯を済ませて8時集合でペランギへ移動し、シャトルバスに乗っていく。

せっかくだからこれを着ていこう。しかしこの「2022」の主張の強さよ

ところが、乗り込んだバスが一向に発車しない。運ちゃんが外に出てしまって全然戻って来ない。単に運行間隔が広いのか知らないが、30分くらい動かず、ずいぶんタイムロスしてしまった。冷房が効いて快適だったからまぁいいのだが・・・

ようやく運ちゃんが戻りT2へ。昨日よくこんな距離走ったなぁ・・・と我ながら信じられない思いに浸る。今日は打って変わって良い天気だ。昨日と入れ替わっていたら、逆に猛暑地獄になっていたに違いない。どっちがよかったのかは今となってはわからない。

T2ではもう多くの選手がバイクを引き上げており、ラックはすでにガラガラ。みんな動き早いな。バイクの状態は、あれだけの雨に一日中打たれただけに、一晩でチェーンが錆びていた。雨のあとよくある光景なので驚かなかったが、山Mさんは「これサビじゃないよね?えっサビなの?」とびっくりしている。

ところでH口さんも来てるけどバイクは?「昨日もう回収したんですが、ランをやってなくて不完全燃焼なんで、T2から走って帰ります」ウヒャーこの天気で?よくやるよ・・・冗談かと思ったら本当に走り始めた。まぁでも気持ちはわかる。

ギアバッグも無事回収し、バイクでゆるゆると帰還する。途中本当に走ってるH口さんを応援してホテルへ帰還。どうも10時に始まるロールダウンセレモニーの序盤には間に合いそうにないが、最初はレースの総括とか総合の表彰だろうから大丈夫だろう。

ロールダウンセレモニー

もちろんこれに出るのは自分も初めて

ホテルにバイク置いて嫁さん達も連れてさっさとペランギへ。嫁さんはトライアスリートの究極の目標がコナ出場であることをおぼろげには理解しているが、そのシステムまではよく知らない。今回セレモニーを見てくれれば、何がどうなっているのかわかってもらえるはず。

会場に着くと、もうロールダウンが始まっていた!おおっと・・・喧騒でよくわからないが、女子カテゴリーを先にやっているようだ。特に若い人では呼ばれても出て来ないことがあったりして、既にもうハラハラドキドキの展開になっている。

ほどなくして男子のロールダウンが始まった。高齢から下がっていくようだ。最初に全体のスロット配分の説明があった。どうやら特に高齢側で選手が居ないカテゴリーが多かったため、全体にスロットが配分しなおされた結果、各カテゴリそれぞれかなりスロットが増えているらしい。

自分のM55は2本が3本になったが、それでも厳しいことに変わりはなく、まさか二人辞退なんてことはないだろう。M60も1本が2本になったが、同様に4位の山Mさんは厳しい状況。実際、これらカテゴリでは誰も辞退することはなかった。やれやれこれで落ち着いた。

ところがBucciのいるM45はなんと5本が8本に増えた!えっちょっと待って、誰か一人辞退したらBucci当選じゃん!!すごいことになってきたぞ!各カテゴリの人たちが栄誉に与っているのを見つつもそっちが気になって仕方がない。前の方を見るとJETTのTシャツを着たBucciが仲間の人たちと集まって待っている。

ハワイスロット

M45の発表になった。上位の人たちは順当に台に上がったが、何人目かのコールに誰も手をあげない!!Bucciのコナスロット獲得が決まった瞬間だった(実は仲間の上位の人が「俺譲ります」という話があったらしく、その前にわかっていたらしいけど)。自分はもう居てもたってもいられなくなった。

なんと晴れがましい・・・

呼ばれて台に向かうBucciに飛びかかって「おめでとう!!」・・・自分じゃない。本当は自分も欲しかった。でも仮想空間のZwiftで苦楽を共にし、お互いに切磋琢磨してきた仲間が努力の末に勝ち取った栄誉だ。彼が選ばれたことがものすごく嬉しかった。しばらく感動で胸が熱くなり、なんとも言えない余韻が残った。

会場ではまだ喧騒が続いていたが、我々の用は済んだのでもう一度グッズ売り場を通ってお土産を物色しておく。この際だからアイアンマンロゴグッズをもう一つ買っておこうということで、普段あまり使わないバイザーを買ってみた(Zwiftのアバターはいつも被ってるけど)。

帰国へ向けて

また皆さんとワイワイ言いながらホテル方面へ戻り、目星をつけておいたお土産屋さんでお菓子を買うなどして、良い時間になったのでモール一階のKFCへ。普通のハンバーガーとポテトとコーラだったが、異様に美味かったのはやはりレース後に仲間と過ごす楽しいひとときだったからに違いない。

他の皆さんはもう一泊して明日の便での帰国になるが、H口さんは夕方、我々夫婦は今夜発つのでそろそろお別れ。改めてお互いの健闘、苦闘を讃えあい「本当に楽しかったですね!」「またどこかでご一緒しましょう」あんなに酷い目にあったのに、トライアスロンって不思議だよね・・・

部屋に戻り、重い身体にムチ打ってバイクや他の荷物もすべてパッキングしないといけない。フレームを逆さにすると中から水がボタボタと出て来た。部品もホイールも泥だらけだったが、いちいち清掃している暇はない。努力の甲斐あって夕方までにきっちりパッキング終了。今度こそ忘れ物はない。

さらばランカウイ

我々の不始末で予定外の変更をしたのに、ツアコンの美保さんは空港まで付き添ってくれるという。チェックインまでは何かあるかもしれないから心強い。ホテル前で再度見送りに出て来てくれたみなさんと最後の挨拶を交わし、ハイエースのタクシーで空港へ向かう。名残惜しい、忘れられない5日間だった。

バイクピックアップに行った時もそうだったが、また空港沿いの道をタクシーで通りながら「よくこんなとこ何回も往復したなぁ」と思う。人にロングのトライアスロンの話をすると、目を白黒させて「絶対、無理!」と言われるのだが、それはそれでわかるのだ。自分だって、なんでできるのかよくわからないんだから。これは実は「絶対ゴールする」と決めるか決めないかの違いでしかない、と思っている。

チェックインでちょっと並んだが、無事完了して美保さんともお別れ。本当にお世話になった。最初にも書いたが、彼は若いのにアイアンマンだし、トライアスロン海外遠征に特化したツアー会社をやっている。我々にとってとても頼りになる存在だ。海外遠征を考えている人はぜひ参考にして欲しい。「コーディアルツアーズ

最後の一泊

ランカウイ空港で出発前に晩飯を済ませ、順調にクアラルンプールに到着した。またトランジットで一晩明かすのだが、今度はバイク・スーツケース共に成田に直行することを前提に、必要なものを準備してきたので大丈夫。また空港内のホテルを探すが、これが往路で来た場所と違うため、まったく見つからない。

インフォメーションで聞くも「あっちへ真っ直ぐ行ったら良い」ぐらいの大雑把な案内しかしてくれない。何回か別のところで聞いてようやく電車で別のターミナルへ移動してから探す、ということがわかった。

見つかったのは往路で来たSama Samaホテルのチェーンが、完全に空港施設内にあるものだった。あっそう言えばこれ来るときに見たぞ。そういうことだったのか・・・また、翌朝までということで若干ディスカウントしてもらい、快適に過ごすことができた。

成田へ

翌朝はチェックインも済んでいるので余裕。ゆっくり準備して空港内で朝食。ちょっと探すと、日本では見たことがない「ガラガラに空いているスタバ」が見つかった。ランカウイのホテルの隣にもあったが、日本の、首都圏のスタバのあの混みかたが異常なのかもしれない。

余裕たっぷりでゲートに着くと、ゲート番号が変わったということでさかんに
「成田行きの人はこちら〜」と案内していたが、そのゲート前に来てるので大丈夫とおおらかに構えていた。しかしいつまで経っても搭乗がはじまる気配がない。そのうちに「成田行き最後の呼び出しです」とか言ってる。は?・・・よく見たらボーディングゲートは一つ向こう側だった(笑)。

ともあれ無事に搭乗し、あとは安心のANA便で日本へ帰るだけ。平日ということもあって乗客は少なめ。自分たちの周りも空席が目立ち、エコノミーでも十分快適な空の旅だった。マトリクスの続きも見れたし(けっきょくブツ切りで見たので何がなにやらよくわからなかった・・・)。

旅の終わり

飛行機は揺れることもなく順調に成田に到着。今回は最初に大騒動が起きて「終わった」と思ったが、実は本当のドラマはその後の大会の中にあり、そして終わりよければ全てよし、と言う感じだった。特に嫁さんが本当に、心から楽しんでくれたのがよかった。実は今回の旅の途中で我々は29回目の結婚記念日を迎えている。

バゲージクレームの前に、コロナ絡みの検疫をする必要があったが、iPhoneにMy SOSアプリを入れて青画面を表示しておくだけで問題なくスルーすることができた。結局、マレーシア入国の際も面倒なことは何もなかったし、向こうでは公共機関の職員以外誰もマスクしてないし、日本の騒ぎようは何なの?という気がしてしまう。

ターンテーブルに着いたらもうバイクは既に出ていて、ほどなくスーツケースも出て来た。あとは安全に車で自宅に帰るだけだ。さすがに平日の夕方ということもあって首都高経由の帰路はちょっと混雑したが、問題なく帰宅することができた。こんどこそ本当に終わった・・・

このあと全てを片付けるという最終種目が待ち受ける

改めて今回の旅は、さまざまな「事件」が発生し波乱万丈、自分のこれまでの人生を凝縮したような感じだったが、無事に完走し、帰って来れたことが何よりの収穫だとつくづく思う。

最後に、今回同行してくれた山Mさん、H口さん、岩Tさんご夫妻、ツアコンの美保さん、現地ガイドのウォンさん、そして素晴らしい結果を出したJETTの仲間Bucci。みんなのおかげでこの旅は一生忘れられないものになった。感謝に耐えない。本当にありがとう!!

エピローグ

長々と長文をお読みいただきありがとうございました。もう既にあの夢のような時間から2週間以上経ったのが信じられません。その後少しずつ片付けをすすめ、先日ようやくバラバラだったバイクを元に戻しました(笑)

記憶をたどりながら書いていたため、時系列がおかしかったり、書き損ねていることがままありますがご了承ください。(見返すとちょいちょい誤字脱字もある・・・)ご感想などいただけると幸いです。

今後はまたトライアスロン絡みのことや個人的なことをたまに綴っていきます。お暇があればまたお付き合いください。

終わり

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