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Ironman Malaysia too much detailed report Vol.1 詳しすぎるアイアンマンマレーシアレポートその1

前書き

2022年11月5日、ついに念願叶いアイアンマンを完走しました。いつもFacebookベタ書きでレポートを書いていましたが、読みづらいし文中に画像も入れられないのでこの際Noteなるものに記してみるのも良かろうと思って記すものです。

準備

ロングのトライアスロンをやり出してもう6年になるし、今年だけでももう3戦目だからそう言った意味ではいつも通りである。ただ、今回は佐渡が終わったあとの調整が今ひとつうまく行かなかった。

精神的にも佐渡で一旦燃え尽きたような感じになったところに仕事の負荷がのしかかり、実は2週前あたりから非常に悪い状態でパッキングも捗らず、こんな精神状態でちゃんと走れるのか、と考えてしまいさらに悪循環。

しかし運動を再開して鬱を克服して以来、こう言う時は走ればだいたい治ることも知っているので、とにかくJETT練とその後のラン練をしっかりこなして精神を安定させることに努めた。

一応3週間前に30キロ、2週間前にハーフまでは実施でき、あとは1週間前に10キロ走って仕上げとするだけ。ところが今回、ランカウイに申し込む前に既に横浜マラソンに申し込んでしまっていた。それが10月30日。まさか1週間前にフルを走るわけにはいかない。キロ6でファンランでもするか、とも思ったがやはりダメージが心配なので10キロだけ走って意図的にリタイヤすることにした。

横浜マラソン

開催は3年ぶりの横浜マラソン、参加するのは初だった(公認大会じゃないから)。詳しくは割愛するが、無事スタート地点に立った。あとは適当に走って10キロ地点で辞めて飄々と帰宅するだけ・・・と思っていたが、走り出すとやっぱりスイッチが入って、10キロタイムトライアルになってしまった。

終わってみればほとんどサブ3ペースに近い感じで押しまくってヘロヘロ。だいぶ酷いダメージを負ってしまった。この筋肉痛が火曜まで続き、さすがにちょっと危機感を覚える。なぜなら今回のランカウイはレースが日曜ではなく土曜日だから。と言ってもやってしまったものは戻らない。あとはいつも通りに調整するしかない。

その週は月曜のJETT練も軽めに抑え、火曜は全休。いつもなら水曜にもう一度刺激を入れるところだが、出発日程ということもあってそれも無し。幸いにして火曜の夜には疲労感はだいぶおさまってきた。

バイク

事前に聴講したサム酒井さんの話によればランカウイのバイクコースはHillyとは言うものの結構調子良くエアロポジで飛ばせる区間も多いし、風はあんまり気になったことがないとのことだったので、後輪は佐渡で使ったJETTディスクのまま行くことに決めた。

謹製JETTディスクホイール。目立ちまくり

フレームは十数年落ちをヤフオクで買ってここ5年ほど使い込んでいるキヤノンデールSix13(アルミ・カーボンハイブリッド)を引き続き使う。今時のTTバイクに比べもっさり感がすごいが、これでも2007年にはファリス・アルサルタンがコナでバイクラップを取ったようなものだから決して悪いものではない。

しかしその部品構成のチャンポンぶりは相当なもので、挙げていくとキリがないが、フロントホイールが中華50mmチューブラー+謎のハブ手組み。ハンドル周りがProfileベースバーに貰い物のアルミカーボンエアロバーを無理やり下出しにして取り付け。

チェーンリングもヤフオクで買ったローター+Power2maxのBB30でSram Redの53-39T。ペダルはサイクリーで買ったスピードプレイ(鉄)。FメカがスラムApex、Rメカが105でシフターが30年以上使ってる10速改造したサンツアーのコマンドシフト・・・と言った具合で何一つ統一感がない。

佐渡の前に組んで試走したときの写真で、まだ前輪がJETT仕様になってない。このシュパーブの面白ホイールに反応してくれる人がほとんどいないのが悲しい

もう世の中はすっかり11速から12速へ、タイヤは太くなりチューブレスレディに油圧ディスクブレーキにスルーアクスルとどんどん進化しているのに、完全に取り残されている。まぁバイクなど最終的に9割5分はエンジンがモノを言うので気にしない!と嘯いてはいるが、会場で最新のスーパーバイクを見せつけられると内心穏やかではない。

ともあれ、嘆いていてもニューバイクは降ってこないので粛々とパッキングを行う。いつもどおりバイクポータープロに詰め込むため、ほとんど全バラにしないといけない。またその前に最も重要な整備事項としてチェーンの灯油洗浄を行っておく。

ディレイラーがどんなに高級だろうが電動だろうが、チェーンが汚れていては意味がないのだ。逆に言うとチェーンさえ綺麗であとはタイヤがちゃんとしていればコンポの差などほぼ無いと言って良い。

毎度のことながらたいへんな作業。これをまた現地で組み立てないといけない

2019年の五島遠征の際、帰還後にバイクがサイクリングヤマト便で送り返されてきた時に片方のベルト+キャスターを紛失されてしまっていた。当時は箱の外側からぐるっと一周させてベルトを巻いており、さらにキャスターをつけたままにしていたことから引っかかってズレていくうちに外れてしまったらしい。

その後の後継製品を見ると、プラダンにスリットを入れてベルトを通せるようになっており、たしかにそうすることで絶対にベルトが外れることがなさそうである。さっそく同様に切れ込みを入れてベルトを通せるよう改造してみた。さらにキャスターもワンタッチで取り外せるようになっている(これは最初から)ので、荷物を預ける際にキャスターだけ取外しておけば良い。

バラし具合はというと、ハンドルをごっそり外すため前後のブレーキも取り外し、シフトレバーもハンドルから外し、フォークも抜く、ペダルも外す、チェーンも外してリアディレイラーも外す、シートピラーも抜くと言った具合でほぼフレームにクランクとフロントディレイラーが付いただけのような代物になっている。

その甲斐あってバイクポータープロの中身はホイールも含め全部入れてもスカスカで、他にボトル・補給食・ウェア・ヘルメット・シューズ・工具などもろもろ詰め込んでもまだ余裕があるぐらいだった。これはどのみち飛行機で大型荷物として預けるから、バイク以外のものを10キロ以上入れておくことができる。

さらに隙間に緩衝材も詰めてパッキング完了

いつも遠征の時には荷物チェックリストを作って忘れ物がないように気をつけている。特に重要なのは試合に出るためのもので、最悪日常用品は忘れても構わないが、レース用品は絶対わすれないようにしないといけない。

リストを何度も確認して、スーツケース、バイクポーター、デイパックそれぞれしっかりパッキングが完了したのはようやく前日の夜だった。もう忘れ物はない、あとは行くだけ・・・と、この時は思っていた。

出発

11月2日(水)朝4時起床。会社は有給休暇を取得して四方八方根回しをしてきた。いよいよ荷物を車に積んで成田へ出かける。予定どおり5時出発。いつものように近所のコンビニで朝食を買ってから東名〜首都高経由で一路成田へ向かう。平日朝ということもあって道路は空いていたが、成田に近づくにつれ次第にガスってきた。こんなところでガスるとは珍しい・・・

特に問題なく成田空港第二ターミナルに到着。いつもそうだが、クルマは駐車場に預けっぱなしにしておく。いつもは周辺の駐車場サービスを使うが、今回は面倒だから空港の駐車場を予約してあった。しかしこの入口、そしてシステムがよくわからない。北駐車場ということは分かっていたが、案内がややこしくてうっかりしているうちに南に迷い込んでしまった。

南から北に移動しなければならない・・・と、その時は思っていたが、実は予約というのは場所を確実に押さえるためだけの仕組みであり、別にどこに停めてもよかった・・・ということは後でわかることで、その時は「北に行く方法がわからん!」ということでパニックになりかけていた。

結局一度精算して駐車場から出るハメになり、またぐるっと回って北入口に入り直し、今度は正しく地下一階の予約エリアに停めることができた。もともと1時間以上余裕を見ていたので慌てる必要は全くない。よし、ターミナルへ行こう。

パニック

車のリアゲートを開けてスーツケースとバイクポーターを下ろした後、信じられないことに気がついた。

「デイパックない」

瞬時に様々なことが脳裏を駆け巡った。出かけようとしたとき、バイクポーターとスーツケースを正しく確実に積み込むことにだけ集中して、テーブル脇においたデイパックの存在を完全に忘れていた。デイパックにはパスポートが入っている。他のものはともかく、パスポートがないと絶対に飛行機に乗ることはできない。

時刻は既に7時。瞬時に自宅に帰って戻ってきても10時のフライトには間に合わない。目の前が真っ暗になり、膝から崩れ落ちてしまった。まさか、自分がこんな初歩的なミスを犯すとは・・・

こういう非常事態でうちの嫁さんは異常に冷静である。即座にツアー会社の人に連絡をとり、何が可能で何が不可能かを仕分けて行った。少なくとも今しなければならないことは冷静に、安全に自宅へ帰ること。そして可及的速やかに現地へ到達できる別のフライトを検索すること。それ以外にない。

しかし、自分もまた鬱から回復して15年ほどの期間に経験した数多の挫折から、どんなに酷いことが起きても死ぬよりマシであると考えればどうにかなる、という思考方法を身につけることができていたので、案外はやく立ち直って冷静になることができた。とにかく帰宅しよう。

帰途は通勤時間帯になったので交通量がかなり増えて首都高の中央環状はナビが回避して湾岸経由で大井の方からとなった。フライトをどうするかを嫁さんが助手席で検索して相談しながらやっているうちに分岐を逃し、生麦〜新横浜経由とやや遠回りになってしまったが、これぐらいのことは今更なんと言うことはない。

リルート

本来の日程では、10時のフライトでクアラルンプール経由、当日の夜にランカウイ着の予定だったが、その便は往復で抑えられているので帰りの便も含めて取り直しを余儀なくされることになった。同じマレーシア航空でならもう少し融通が効いたかもしれないが、それだと完全に1日後の便しかなく、現地に行ってからの慌ただしさを考えるとなるべく避けたい。

いろいろ調べると3回ぐらい乗り継ぎをする格安航空なら最も素早く、少ない追加負担で到着できそうではあったが、これまた3回も乗り継いでバイクやスーツケースがどこかへ言ってしまっては試合どころではないため、やはり避けたい選択肢である。

散々迷った挙句、最終的に夕方のANA+マレーシア航空コードシェア便で普通に行くのが最も確実という結論に落ち着いた。もちろん料金は普通にかかるので血の涙である。そろそろニューバイクを・・・などと考えていた夢は儚く消えた。しかしここで「アイアンマンに出場することを諦める」という選択肢はなかった。

当初の旅程では帰国便が8日火曜の早朝着となっていたため、その日の午前中まで仕事を休むことにしていたが、どうせ自分たちで勝手に便を決められるなら、早めに帰ったほうが良いのでは、ということで6日の夕方発、7日の午後着となるようにした。月曜夕方のアワードパーティには出られないことになるが、ロールダウンセレモニーさえ見られたらあとはどうでも良い。まぁ、ロールダウンが回ってくるとは思ってないが・・・

成田空港駐車場

eチケットを発行し、仕切り直して2度目の成田行きへ出発する。事態を留守番の長女に連絡した後、彼女はテーブルの横にぽつんと放置されていたデイパックを見つけ、既に玄関に置いてくれていた。フライトは17時だが、早めに行って空港で待っても全く困らないので、早々に出かけることにした。

とはいえ、もう昼前になっていたのでまずは近所のすき家で腹ごしらえをしておく。3種のチーズ牛丼を久しぶりに食った。普段は絶対に牛丼屋に入らない嫁さんがなぜか気が変わったのか今回は自ら選んで入り、思いの外美味かったといたく感心していた。

1回目の往復でガソリンを消費してしまっていたので給油も済ませ、再度東名〜首都高経由で成田を目指す。やはりもうだいぶ交通量が増えているのでやや詰まり気味ではあったが、他は特に問題なく無事駐車場に到着。今度は間違いなく北駐車場に入れて、さて荷物を下そうとしてハタと気づいた。

「ANAって第一?第二?」・・・ANAは第一ターミナルだった・・・

と言うことは、当然帰路も第一に帰ってくることになる。車を第二に置いていてはいろいろ面倒だ。しかし一旦大事件が起きた後なので、冷静にその後の動線を考えることができた。イモトのWifiを第二ターミナル窓口で借りることになっていたのだ。先にそれを借りておかなければならない。

イモトの窓口(笑)で帰国時の返却について尋ねたところ、第一南ウィングのドロップボックスに放り込んでくれて構わないとのことだった。それなら助かる。再度第一ターミナルに車を回して停めておけば帰国時にそのまま帰れる。

第二ターミナルを予約していた手数料がパーになるが、駐車場のシステムとして単に空いているところに停めれば良いだけであることがわかり、平日ということもあって停められないということは無さそうなので素直に第一に回ることにした。

第一ターミナル駐車場への道がまた一旦空港外へ出る感じで面食らったが、ナビの言う通りに進んでどうにかたどり着いた。平面もあったが5日ぐらい停めるのでできれば立体に入れておきたい。第二の南北もそうだったが、道案内のサインがよくわからなくて閉口させられる。

チェックイン

いろいろあったが、ようやく国際線出発ターミナルへたどり着いた。次の関門はバイクケースのチェックインである。2019年にスペインへ行った時は日本選手団ツアーにおんぶに抱っこだったのでバイクの手続きはほとんど何もしていない。今回は大型荷物専用のゲートヘ自分で持って行って、検査を受けないといけない。

ANAの案内係の人はさすがに見慣れているようで、バイクケースを一瞥するなり「バイクですか?」「サスペンションは入ってますか?」と聞いてきた。MTBのショックに使うシリンダーが検査対象になっているようだ。しかしよく見てくれ、このバイクポータープロのサイズには普通MTBは入れないと思うんだ。

検査所には大型荷物がとおる巨大なX線スキャナーがある。気になるとすればパンク修理用のCO2カートリッジだが、事前に調べて預け荷物には入れて良いことになっていたはず・・・ところが「カートリッジ入ってますよね?出してください」えっ・・・係員に逆らっても何も良いことはないので素直に開けて「ああ、やっぱり没収されるのか」と思いながら手渡すと、チラッと確認して「はい、大丈夫です」大丈夫なんか〜い!!

要は、規格外のカートリッジではないことを目視で確認しなければならない、ということらしい。それならそう言ってくれればいいのに・・・ともあれ、ようやく
これで安心できた。バイクケースはそのままそこで預かっていただき、係員の話によると今回の便はクアラルンプール乗り継ぎの時間が長いため、クアラルンプール到着時に一旦荷物をバゲージクレームから出して、翌日また国内線でチェックインしてください、とのことだった。面倒だが行方不明になるよりは良い。

あとはセキュリティを通過してゲートに向かうだけだ。緊張が解けたせいか、このあたりからの記憶はほとんど飛んでいる。でもようやく朝からの大騒動が終わり、やっと正しくマレーシアへ向かう道のりに乗っかることができた。

長い一日だった・・・

つづく


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