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LYNYRD SKYNYRDの作品


私の学生時代サザンロックが大人気だったのだが、オールマンブラザーズとレイナードスキナードの人気は別格だった。
レイナードこそサザンロックのイメージにピッタリだった。南部の大酒飲みの荒くれ者だ。
ワルの匂いがプンプンするのだ。
しかもトリプルリードギターだ!
この変わったバンド名は嫌われ者の高校体育教師の名前を捩ったもの。
彼らのデビューは1973年。

LYNYRD SKYNYRD

ファーストアルバムにて彼らの音楽性は既に完成されている。殆どの曲が後年までライブの定番曲になっているのだ。名曲フリーバード収録。プロデューサーはアルクーパーだ。
フリーバードは1976年のライブ盤にてさらに進化している。

POISON WHISKEY

SECOND HELPING

1974年発表のセカンドアルバム。
彼らの代表作とされるアルバムだけに良い曲がいっぱい詰まっている。ファースト同様名曲の宝庫なのだ。ニールヤングのサザンマンに対するアンサーソング、スィートホームアラバマは大ヒットした。


NUSTIN‘FANCY

1975年発表のサードアルバム。
このアルバムが私が初めて買ったレイナードのアルバム。当時私は15才。既にROCKに夢中だった。ラジオでサタディナイトスペシャルを聴いてぶっ飛んだ!なんて格好いいんだろう!
この曲は当時公開された映画ロンゲストヤードにも使用され大ヒットしたのである。
レイナードはこのアルバム以後プロデューサーのアルクーパーと決別する事になる。
このアルバムは当時の私のバイブル、ミュージックライフ誌でも高評価でしたよ。

SATURDAY NIGHT SPECIAL

GIMME BACK MY BULLETS

1976年発表の4作目。
世間の評価はもう一つだがこのアルバムは大傑作だ。プロデューサーがアルクーパーからトムダウドに変わってサウンドが変化した。
私の大好きなファンキーでスワンプなサウンドだ。

I GOT THE SAME OLD BLUES

ONE MORE FROM THE ROAD

1976年にはもう一枚素晴らしいアルバムが発表されている。2枚組のライブ録音だ。
このアルバムこそ日本での彼らの人気を決定付けたと言える非の打ちようが無い大傑作だ。
スタジオ盤を完全に超えてしまった熱気ムンムンの素晴らしいアルバム。
ラストのCROSSROADS〜FREE BIRDは圧巻!

CROSSROAD

翌年なんとレイナードが日本にやって来たのだ!
1月18日(火)大阪厚生年金基金会館大ホールだった。今から考えると夢のような体験だ。
会場の照明が消えると観客は一斉にステージ目掛けて走り出す。場内は大混乱だ。
私は体力だけはあったのでかぶり付きで観れた。一番最初に走ったからね。
ラグビー部だったのでぶつかり合いでは誰にも負けないのだ。
メンバー達は慣れっこなのだろう。馬鹿騒ぎも気にもしない。とても嬉しそうだった。
演奏は凄かった。恐ろしく感動した。
ライブアルバムほぼそのままだ。
セットリストも残してるので貼っておこう。
まだ未発表だったSTREET SURVIVORSからの曲も演奏してくれたよ。

STREET SURVIVORS

悲しいアルバムだ。
発売直後悲劇の航空機事故でロニーとスティーヴとコーラスのキャシーを失ったからだ。
ジャケットの写真も不吉で大嫌いだ。
当時高校3年生の私には酷いショックだった。
素晴らしい生演奏を体験してこれからという時だ。記念に学校の机に彫刻刀でLYNYRD SKYNYRDと大きく彫っておいた。今でも残ってるかもしれない。
アルバムの内容はとても良いだけに残念だ。

YOU GOT THE RIGHT

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