やさしいかぜ

通いなれた場所へ向かう電車の中、私はとてもゆったりとした気持ちで席に座っていた。今日は平日だけどまだ2時前。学校や会社も終わっていない時間の電車は混み合うこともなく、すんなり座ることができた。持病で立ち続けることが出来ない私には最適の時間帯。これは目的地の駅までの約20分間の話。


地元の駅から3分の2ほど乗ったところで制服姿のメガネをかけた青年が乗ってきた。青年は数個空いている席には座らず、出入り口の近くに寄りかかり、足の間に挟んだ革のスクールバックから少し分厚い本を取り出した。今時あの形の細淵メガネ、しかも銀色の淵なんて珍しいな…なんて思っていたが、どこか見覚えがあるような気がした。


青年が本を開き目を伏せた瞬間、何かが私の脳裏を駆け抜ける。不意に青年から目をそらし2時間ほどの映画を早送りするような感覚に陥った私は思い出した。彼は私が人生で初めて告白をした相手だ。

確信があるわけではないけれど、私の記憶と胸の鼓動が物語っていた。私は慌ててもう一度彼を盗み見る。同世代には珍しい細淵の銀色メガネは本を読む姿によく合い、窓から差し込む光がそれを一層良くさせていた。


もう10年近く前になるその思い出を時々思い出すことはあったが、なぜ彼を好きになったのか思い出せず、周りが先に体験した"告白"というものに憧れに似たものを感じていたのだろうか?なんで思っていた。母に手伝ってもらいながら、バレンタインデーに手作りではないにしろ、精一杯の気持ちを入れて包んだチョコを手紙と一緒に渡すという可愛い思い出にすぎなかった。
ところで、返事はなんて言われたんだろう。ただ覚えているのは、お返しにクマの形をしたキャラメルか何かとクッキーのセットをもらったことだけ。その時は何も分からなかったけど、お返しのクッキーは一説によると友達のままがいいという意味らしく、それを知って「なるほど」と思う頃にはすっかり熱は冷めていた。


ていうことは振られたんだなあ、なんてことを思っていると目的地の一手前の駅に着いてしまった。また盗み見ると彼はそのまま本を見つめていた。その間もずっと読書をしていたのだろう。改めて見る彼の大人びた風格に感慨深くなってしまった。自分の成長というのものはなかなか実感することはできないが、こうして彼が大人に近づいているということは必然的に私も成長しているということで。お互いにそれぞれ流れる時間があって、それによって今こうなっているのだと思うとなんだか誇らしくも悲しくもなって来た。

彼は深緑の制服をしっかり着こなしていて、私はフレアワンピースを着ている。平日の昼間という時間はこの時私に大きくのしかかった。スタートは同じで、同じだけの長さの時間を生きて来たはずなのに、それがなんだか、またひとつ自分の現実を見つめるようで胸が苦しくなる。


次の駅のアナウンスが入り、避ける理由もないなと思い、彼のいる出入り口へ足を運んだ。どうせ彼は私に気づかないだろう。それに私以外にも3~4人降りるようでいいカモフラージュになる。

私はエスカレーターを降り、Suicaを取り出す。
彼は最後まで本を読んでいたけれど、少しだけバックを自分に寄せたと思いたい。
改札口を出て見上げるビルはいつもより大きく、空は遠く感じた。